第55回 旧鑑定書の正否を問う再鑑定の意見書に科警研所長意見?疑われる裁判所の訴訟指揮
メディア批評&事件検証拘置、投獄生活を送っていた菅家さんの念願だった無実を晴らす再鑑定が行われ、その結果がどうだったのか、これから弁護側、検察側の意見書が東京高裁(矢村宏裁判長、杉山愼治裁判官、佐伯恒治裁判官)に提出され、再審が開かれるのか、裁判所の判断を待つことになっている。
2009年6月12日付で東京高検の宇川晴彦、山口幹生の名前で検察側意見書が東京高裁に提出された。
《本件については、筑波大の本田克也教授からも鑑定書が提出されているところ、同鑑定については、本年6月11日付科学警察研究所長福島弘文作成に係る意見書の通り、検査の方法等に疑問があり、全体的に信用性に欠けるものと考える。/したがって、本田鑑定は、刑事訴訟法第435条第6号に定める無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当するとは認めがたい》
再鑑定は、そもそも科学警察研究所が足利事件で行った旧鑑定で結果が正しかったのか、否かを確かめるために東京高裁が弁護団側の鑑定人(本田教授)と検察側の鑑定人(大阪医科大学の鈴木廣一教授)にDNA鑑定を嘱託したものだ。問題視されている鑑定を行った科警研にどうして意見書を出させるのか。裁判所の訴訟指揮を疑ってしまう。しかも意見書を書いたのは、旧鑑定当時の科警研所長ではなく、再鑑定時の所長だ。
本来なら再鑑定で旧鑑定が間違いであることが明らかになり、再審の法廷に科警研関係者を出廷させ、なぜ誤鑑定したのか、徹底的に検証すればいい。裁判所はこのような検察の暴走を許してはならない。検察が平気でそのような意見書を出すのは、裁判所がいかになめられているかということだ。まるで訴訟指揮を検察がとっているかのように思える。この世も末だ。
この東京高裁の訴訟指揮のひどさはさておき、意見書を紹介しよう。11枚ある「鈴木廣一教授及び本田克也教授による再鑑定に関する意見書」の最後の項をめくった本田教授は、その署名に驚くとともに得心した。「福島弘文」―しかし、なぜ現在の科警研所長なのか。本来なら、当時の科警研所長が反論すべきではないか。福島所長は足利事件の鑑定にはかかわっていないどころか、かつて科警研のMCT118法を批判した旗頭なのに……。意見書は次のように本田教授を批判していた。
《本田鑑定人は、精子の存在が確認された部位から相当に離れた部位のDNAを抽出している。科警研の鑑定書(平成3年11月25日付のもの)によれば、(中略)当時の検査で、精子が付着している可能性が考えられる部位は特定されていたのであり、本田鑑定人がDNAを抽出した部位には精子は存在しないと考えられる。本田鑑定人は改訂鑑定書に追加記載された「半袖下着から資料部位の採取」の中で、「周辺部位は試薬が十分にかけられていてDNAの型検出を阻害する可能性や切り取る際に人為的に汚染した可能性がある」、あるいは「証拠となる切り抜き部位の位置を残すため」という理由で「最も型判定に適した部位を選別しようと」、「わずかに離れた」、「やや離れた」、また「さらに離れた」部位を選択したと記載している(改訂鑑定書2頁)。(中略)再鑑定では第一に精子付着部位に直近の部位に鑑定を実施し、さらに鑑定人が独自に判断した重要部位の検査を加えるべきである。その結果、再鑑定では複数の鑑定人よってより精度の高い鑑定が可能となる。本田鑑定人はこの再鑑定において求められている趣旨について誤解していると考えざるを得ない》
しかし、旧鑑定書には、栃木県警科学捜査研究所が採取した部位以外の7カ所からも精子が検出明記されていた。ということは、相当広い範囲に精子が存在した可能性が考えられる。《精子が付着している可能性が考えられる部位》のいくつかは、確かに旧鑑定で特定されていたが、逆に言えば精子が全く付着していない部位が特定されていたわけではない。《本田鑑定人がDNAを抽出した部位には精子が存在しない》という主張には、根拠がない。
そもそも、旧鑑定に疑義が生じているからこそ再鑑定になったのだ。科警研が採取した部位の周囲のみに精子があるという前提そのものを疑う必要があると本田教授は考えた。旧鑑定の失敗の原因には、例えば科警研が採取した部位が不適切だったことも考えられる。旧鑑定に拘泥して試料を採取するのでは、鑑定の失敗を繰り返すことになりかねない。
さらに《アイデンティファイラーキットによる常染色体STR型検査を実施していない。また、劣化した試料からのSTR型検査に良いとされるミニファイラーキットも使用していない》と本田教授の鑑定方法を問題にしたが、ミニファイラーキットによる鑑定をしろと命令されるいわれはない。再鑑定は、精液由来のDNA型を検出するのが目的だった。常染色体STR法では、1人に2本ずつバンドが出る。仮に、複数人のDNAが混在したらバンドが乱立し、鑑定不能になる。だから、Y染色体、X染色体のSTR法が適していると本田教授は考えたのだ。
意見書で次に批判されたのが、《混合が考えられる資料について、2段階のDNA抽出を行わなかった》ことであるという。
《細胞成分を除去することなく、最初から、精子をも溶解する溶液を用いたDNA抽出を行っているので(中略)、仮に精子が付着した資料であったとしても、精子及びそれ以外の細胞成分由来のDNAが混合した状態であり、女性の細胞が混在していれば、抽出されたDNAは男女混合となる。(中略)本田鑑定が採った方法は、精子のDNA型を検査する手段としては、適切な方法ではない》
ところが、二段階抽出法では、19年もの年月を経て柔らかく変化してしまった精子からDNAを捨ててしまいかねないという問題がある。無駄が多く、再鑑定には適さないことを本田教授は心得ていた。しかも、科警研の鑑定や鈴木鑑定でも二段階抽出法が行われていたにもかかわらず、それには何の言及もなかった。本田鑑定への批判はさらに続く。
《(鑑定データがないなど)資料採取、DNA抽出、PCR増幅及び型解析に置ける検査技術の品櫃管理及び検査結果の解釈において、法科学的DNA型検査として適正ではなく、これらの鑑定書は検査技術及び理論構成の両面から信頼できないものである》
これは言葉遊びかと本田教授は思った。たとえば、《法科学的DNA型検査として適正ではなく》と言い切る根拠になる事例を何も挙げていない。それに《理論構成》とは、何だろう。何を理論と言っているのか。中身のない言葉を並べたところで自己陶酔だ。科学者の文章ではないと感じた。それに、鑑定書提出後に不必要になったデータを消去するのは、機密性の保持と、大学では、多くの研究者が共用している機器の管理のため、当然のことだ。
ところが、これだけ本田鑑定を批判しながら、意見書には次のような部分があった。《本田鑑定では、キャピラリー電気泳動による型判定で、請求人(菅家さん)から18、29型、遺留資料から18、24型が検出されている。請求人の血液資料については、本田鑑定においても型としては、正しく検出されていると考えられることから、当時、123塩基ラダーにより得られた請求人の16、26型は、現在のアレリックラダーによる18、29型と考えられる。/当時の科警研鑑定のMCT118型検査の電気泳動像には多少の歪みはあったとしても、遺留資料に付着の精子から検出された26型のバンド位置は、請求人が示す型のバンド位置と肉眼的にもずれはない》
《請求人(当時の被疑者)のMCT118型については、科警研鑑定と本田鑑定とは一致しているので、当時、請求人のDNAバンドが正確に電気泳動したことは明らかである。そうであるとすれば、同じゲル内で同じ条件で電気泳動を行った遺留資料の方だけバンド位置が誤って検出されたなどということはあり得ない》
科警研はこれまで、菅家さんのMCT118部位は、16‐26型だと主張してきたが、意見書で《18、29型と考えられる》、つまり本田鑑定と一致していると認めている。
だが、科警研はどうやって菅家さんの型を18‐29と確信できたのか。鈴木鑑定では、MCT118型検査は行っていないことになっているので、科警研が菅家さんの型を知るすべはないはずである。意見書には最後に《平成3年当時は(中略)MCT118型検査法についても(中略)一般的な手順を踏んで実施しており、これを刑事鑑定に用いることに問題はなかった》と記しているので、菅家さんの型が《科警研鑑定と本田鑑定とは一致している》と結論づけることはできない。《当時、請求人のDNAバンドが正確に電気泳動したことは明らかである》にもつながりを見出せない。となると、科警研は自ら、菅家さんのこの部位の型を確認したとしか考えられない。それにしても、どうやって知り得たのか。科警研がそれを入手するルートは鈴木教授しかないのではないか。
意見書はまた、女性細胞の混合についても次のように批判していた。《本田鑑定において遺留資料から抽出されたDNAは、男性由来成分及び、細胞成分(女性由来資料を含む)の混合と考えられるので、顕出されたMCT118型においても混合が疑われ、男性のみに由来する型ではない》
だが、肌着に付着するのは被害者が女性であれば当然のことで、混合があるのも鑑定人の誤りではない。何をおかしなことを言っているのか、と本田教授は思った。本田教授にとって、事実とは、客観的事実しかありえない。言葉には嘘が含まれていることが往々にしてあるからだ。だからこそ、法医学者の存在意義がある。意見書を読んだ本田教授は、福島所長がかつて法医学の専門家だったことが信じられなくなった。
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。