編集後記:法律で義務化が必要な冤罪の謝罪
編集局便りまるで映画のラストシーンを見ているような感覚に陥った。どうしてなんだろう。頬を伝う涙が止まらない。約40年の記者人生の中でも鮮明に記憶に残っている。
国内で初めて警察庁の科学警察研究所(科警研)のDNA型鑑定によって女児を殺害した犯人の証拠とされ、逮捕につながった足利事件当時に幼稚園バス運転手だった菅家利和さんの再審の法廷での一コマだ。
世紀のDNA型再鑑定によって菅家さんの犯行ではないことが明らかになった。2010年1月22日の第5回再審公判で、事件の真相解明のために菅家さんは宇都宮地検の森川大司元検事に直接尋問する機会をあたえられた。
一審判決で無期懲役が言い渡された1993年7月7日以来の再会で、いずれも同じ宇都宮地裁だった。しかし、立場が逆転した。あの時は女児殺害の真意とその責任を森川元検事から追及された。今度は、菅家さんが冤罪の責任を追及する番だった。
「無期17年半」と記されたプラカードを掲げ、冤罪の過酷差を訴える菅家利和さん
「森川さん、私は17年半もの長い間、無実の罪で捕まっていました。あなたは、このことをどう思いますか」。菅家さんは、背筋を伸ばし、獄中で背負ってきた自分と家族の思いをぶつけた。
森川元検事は、うつむき加減で、淡々とこう答えた。「私は、当時主任検事として、証拠を検討し、その結果、菅家氏が(松田)真実ちゃん殺人事件の犯人に間違いないと起訴し、公判に臨んだわけですが、今回、新たにDNA鑑定で、犯人ではないと分かって、非常に深刻に思っているところです」。
菅家さんは、「自分に無実の罪を着せたことについて、謝ってください」。言葉は丁寧だが、森川元検事の一挙手一投足を見つめる視線は鋭かった。ところが森川元検事は、同じ言い訳を繰り返すだけだった。
息子が犯行を認めた。裁判でも維持する状況だと菅家さんの母親は、検事や刑事から知らされた。無実を信じながらも母親は戸惑い、91年12月12日の森川元検事の事情聴取にこう語っていた。「なんで利和がこんなことをしてしまったのかと情けなく、悲しくてなりません。今すぐにでも死刑にしてもらって、箱に入れてもらって帰って欲しいと思っているのです」。
心にもないこんな言葉を母親の口から出させたことに、菅家さんは胸が締め付けられる思いがした。殺人犯の親のまま逝かせてしまった両親の顔が瞼に浮かんだ。
「森川さん、私の家族にも謝って下さい。苦しんでいる」。菅家さんは固唾をのんで元検事の言葉を待った。元検事は「今、申し上げた通りです」。まるで心が入っていない。菅家さんはあえて聞き直した。「森川さん、あなたは反省していないのではありませんか」。
検察は無罪を立証するため、森川元検事を出廷させて臨んだ。しかし、再三にわたる謝罪要請に、東京高検の山口幹生検事が異議ありと言わんばかりに「裁判長、立証趣旨との関係で質問の趣旨が分かりません」と横槍を入れた。
たまりかねた菅家さんは叫んだ。「あなたは黙っていて下さいよ、関係ないでしょ!森川さん、反省してないんで」。佐藤正信裁判長がすかさず山口検事と菅家さんを制止し「質問を認めます。反省をしていないのですか、という質問です。答えてください」と森川元検事に証言を求めた。
「いま申しあげた通りです」。元検事の言葉は変わらなかった。最後の質問で菅家さんは勝負に出た。これまで一日たりとも忘れたことがない言葉をぶつけた。
「あなたは、取り調べの際に私のことを『人間性がない』と言った。人間性がないのはあなたの方ではないですか」。
間違って他人の人生を狂わせながら謝りもしない。口をつぐんだまま答えようとしない元検事に、菅家さんは畳みかけた。「私は怒っています、何とか言ってください」。元検事はやっと口を開いた。歯切れが悪い。「私は、あなたに人間性がないといったことはないと思うが……」。
菅家さんはピシャリと説き伏せた。「言ったから、(こう)言ってるんです!」元検事の口は横一文字にしまり、その後開くことはなかった。
菅家さんが土、日曜日だけ寝泊りしていた借家。任意同行はここで求められた。
再審法廷には、菅家さんが任意同行される際に借家でいきなり警察官に暴行され、足利署で自白させるために膝蹴りをするなどした警察官や嘘の証言をした科警研の技官らを弁護団が法廷での証人要請を行ったが、ほとんどが出廷しなかった。人の人生を狂わせておきながら謝罪もしない不条理が裁判にあるのは公平さを欠く。だからこそ、法律で謝罪を義務付けることを願わずにはいられない。
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。