【特集】日航機123便墜落事件

日航123便墜落事故と日航(市民記者記事・小幡瞭介)

市民記者:小幡瞭介(おばた りょうすけ)

前回の記事では、「123便から『米軍基地に緊急着陸する』との連絡があった」という旨を、時事通信、共同通信、NHKが発信していたことを紹介した。[1][2][3]

実は、以下の通り日航も同様の旨を発信している。[4][5]

①1985年8月13日付『Lodi News-Sentinel』(アメリカ・カリフォルニア州ローダイの新聞)
https://news.google.com/newspapers?nid=dXBh7-90p_YC&dat=19850813&printsec=frontpage&hl=en
8面
≪(前略)At 6:39 p.m., the pilot, Capt. Masami Takahama, 49, radioed air controllers a seal had burst in a rear cabin door, depressurizing the cabin, JAL said. Takahama said he would try an emergency landing at the U.S. Air Force base at Yokota, but the plane vanished from radar screens at 6:59 p.m., JAL said.(後略)≫

以下、筆者による翻訳
≪午後6時39分、高濱雅己機長(49)は、後部客室ドアのシールが破裂し、機内が減圧したと航空管制官に無線連絡した、と日航は述べた。また、高濱機長は米空軍横田基地への緊急着陸を試みると言ったが、午後6時59分、機体はレーダーから消えた、と日航は述べた。≫
筆者注:「後部客室ドアのシール」とは、自動車でいうドアパッキンのことだと思われる。

②1985年8月13日付『The Times』(イギリスの新聞)
≪(前略)According to JAL, Mr Takahama, who had logged 12,400 flying hours, more than 4,500 on the Boeing 747, said he was attempting an emergeney landing at the US base at Yokota and swung the jet inland off the normal route to Osaka.(後略)≫
以下、筆者による翻訳
≪日航によると、高濱さんは米軍横田基地への緊急着陸を試みていると述べ、大阪への通常のルートから外れて内陸へ機体の向きを変えたという。≫

上記の通り、日航が発信した情報からも、乗組員から「米軍基地に緊急着陸する」との連絡があったことがわかる。
ところが、前回の記事でも述べた通り、1987年に公表された事故調査報告書の「別添6 CVR記録」には、「米軍基地に緊急着陸する」旨の乗組員の発言は記載されていない[6]。

日航には事故の当事者として、自社が発信した情報と事故調査報告書の内容の矛盾について説明する責任がある。

それにしても、事故直後に日航、時事通信、共同通信、NHKが発信した情報と事故調査報告書の内容が乖離しているのはなぜだろうか。仮に事故調査報告書では乗組員の発言が隠蔽されているのであれば、由々しき問題である。

また、仮にそうだとすれば、乗組員の発言はなぜ隠蔽されたのだろうか。つまり、実際には乗組員には米軍基地へ緊急着陸する意思があったのにもかかわらず、それが隠蔽されているのだとすれば、隠蔽した側はなぜ隠蔽したのだろうか。その具体的な理由を無責任に推測することはできないが、仮に乗組員の発言が隠蔽されているのであれば、「重大な理由があるから隠蔽されている」のは確かだろう。

なお、1985年8月13日付のコロンビア紙『El Tiempo』掲載のAP通信配信記事には、以下の通り記載されている。
https://news.google.com/newspapers?nid=N2osnxbUuuUC&dat=19850813&printsec=frontpage&hl=en
≪En el Japón Cae Jumbo: 520 muertos Hallados cuatro sobrevivientes KITA-AKAMURA, Japón, 12 (AP)(中略)
Un vocero de la base aérea norteamericana en Yokota, al sur de Tokio, dijo que se había recibido el pedido de permiso del piloto para aterrizar allí en emergencia.≫[7]

以下、筆者による翻訳
≪日本でジャンボ機が墜落:520名が亡くなる
4名の生存者を発見
北相木村、日本、12日 (AP通信)(中略)
米空軍横田基地の広報担当者は、パイロットからの同基地への緊急着陸許可の要請を受けたと述べた。≫

また、1985年8月14日付の米軍準機関紙『Pacific Stars and Stripes(星条旗新聞)』には以下の通り記されている。
≪All on jetliner feared dead
(中略)
A Japan Air Lines jumbo jet with 524 people aboard crashed Monday in rugged mountains of central Japan after reporting it would try for an emergency landing at Yokota AB.(後略)≫[8]
以下、筆者による翻訳
≪旅客機搭乗の全員が亡くなった恐れ
(中略)
月曜日、524人を乗せた日航ジャンボ機は、横田基地への緊急着陸を試みると報告したあと、日本中部の険しい山中に墜落した。≫

上記の記事からも、123便の乗組員には横田基地へ緊急着陸する意思があったことがわかる。

事故直後に発信された情報と事故調査報告書の内容はなぜ矛盾しているのか。その理由が一刻も早く明らかになることを願っている。

参考文献
[1]世界第二の事故 “緊急降下”告げ消息絶つ. パウリスタ新聞. 1985-08-13, p.1.

[2] UPI. “Japanese airliner crashes in mountains”. Manchester Herald, August 12, 1985. p.1. http://www.manchesterhistory.org/News/Manchester%20Evening%20Hearld_1985-08-12.pdf, (参照 2024-01-23)

[3] “Japanese team tries to reach jetliner that crashed with 524”. The Christian Science Monitor. 1985-08-13, ProQuest, (参照 2023-11-02)

[4]UPI. “Over 500 killed in air tragedy”. Lodi News-Sentinel, August 13, 1985. p.1. p.8.
https://news.google.com/newspapers?nid=dXBh7-90p_YC&dat=19850813&printsec=frontpage&hl=en, (参照 2024-01-23)

[5]”All 524 on board feared dead in Japanese air crash”, The Times, August 13, 1985. p.1

[6]運輸省航空事故調査委員会. 航空事故調査報告書 日本航空株式会社所属 ボーイング式747SR-100型JA8119 群馬県多野郡上野村山中 昭和60年8月12日. 1987. p.309-343.
https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/62-2-JA8119-11.pdf, (参照 2024-01-23)

[7]AP. “En el Japón Cae Jumbo: 520 muertos”. El Tiempo, August 13, 1985. p.1.
https://news.google.com/newspapers?nid=N2osnxbUuuUC&dat=19850813&printsec=frontpage&hl=en, (参照 2024-01-23)

[8]”All on jetliner feared dead”, Pacific Stars and Stripes, August 14, 1985. p.1

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