「知られざる地政学」連載(25) 深海をめぐる地政学(上)
国際
現在の地政学上のホット・イシューといえば、何といっても深海をめぐる覇権争奪だ。にもかかわらず、少なくとも日本の主要なマスメディアはこの問題の所在にまったく気づいていない。無知なのである(本稿で紹介するように、NYTやWPはこの問題の重要性を熟知していることを考えると、日本のメディアの無知蒙昧には驚かされるばかりだ)。
私は、拙著『知られざる地政学』〈上下巻〉を執筆する際、この問題についても割愛せざるをえなかった。まさに執筆中の2023年7月、海底採掘の規則を7月にまとめるという目標を掲げていた国際海底機構(ISA)の結論が延期されたことから、この問題を取り上げることを断念したのである。そこで今回、この問題を取り上げることにした。
海洋をめぐる基礎知識
まず、海洋や深海をめぐる基礎知識について確認しておきたい。2022年12月、米国の議会調査局は、「国家管轄権の及ばない地域での海底採掘:議会の課題」という報告書を公表している。ここでは、この記述を参考にしながら、海洋や深海をめぐる国際取り決めなどについて説明したい。
「海洋の憲法」と呼ばれる国連海洋法条約(UNCLOS)は1982年に320の条文と九つの付属書からなる歴史上もっとも包括的な国際法として採択され、1994年11月に発効した。現在、締約国は169カ国にのぼる(国連サイトを2023年10月23日に閲覧)。しかし、当初、レーガン政権は深海底採掘に関する意見の相違を理由に同条約への加盟を拒否した。1994年に条約が改正されたにもかかわらず、上院はこの問題に関する公聴会の開催を拒否した。2004年にようやくインディアナ州のリチャード・ルーガー上院議員が公聴会を開き、上院外交委員会は全会一致で条約の採択を勧告したが、上院はそれ以上の措置を取らなかった。
国際
批准反対派は、米国の主権を手放したくないことを主な懸念事項として挙げている。UNCLOSに加盟すれば、同法の規定するさまざまなルールに従わざるをえず、いわば身勝手な米国の主張ができなくなることを恐れているのだ。「米国がUNCLOSに加盟しないことは、中国が南シナ海で国際法を無視することを正当化することになる」という面を忘れてはならない。中国は1982年12月10日に署名し、1996年6月7日に批准しているが、いわゆる「九段線」の歴史的先例に基づき、南シナ海の広大な領土を主張しUNCLOSを無視している。本来であれば、米国がUNCLOSに率先して加盟し、中国に対してUNCLOSの遵守を求めることで、中国の覇権主義を封じ込めることにつながるはずだが、身勝手な覇権国アメリカは自らUNCLOSの外に位置することで、自らの主権保持に固執している。
さらに、北極圏をめぐるロシアとの関係においても、米国がUNCLOSに加盟していないことが問題解決の妨げとなっている。はっきりいえば、覇権国アメリカの身勝手な姿勢が国際秩序の維持に大きな障害となっているのだ。
深海をめぐる国際秩序
1994年、国際海底機構(ISA)はUNCLOSに基づいて、国家管轄権のおよばない海域(ABNJ)で行われる海底鉱業活動を規制・管理する国連機関として設立された。ISAは、3種類(ポリメタリック・ノジュール[多金属団塊]、重金属硫化物ないし海底巨大硫化物、[コバルトを多く含む]フェロマンガン・クラスト)の深海底鉱床について探査・開発(すなわち商業的回収)契約を発出することができる。
いわば、ISAは深海採掘の監督を任されていることになる。米国からみると、米国がこの条約に加盟すれば、ISAに権限を委譲することになり、公海における米国の主権が損なわれることになる。だからこそ、UNCLOSにもISAにも加わろうとしていない。ただ、1980年、米国議会はUNCLOSが整うまでの暫定措置として、「深海底硬質鉱物資源法」(DSHMRA)を制定した。DSHMRA は米国海洋大気庁(NOAA)に対し、米国市民による ABNJ での海底採掘活動を規制する権限を与えた。米国はUNCLOSの締約国ではないため、ISAを通じて海底鉱物資源の探査または開発のためのISA契約を求めることに関心のある企業のスポンサーになることはできない。米国は国内法に基づき、米国を拠点とする企業(ロッキード・マーチン社など)に探査ライセンスを認可している。今後、ABNJにおける商業的回収許可を認可する可能性がある。
ISAの任務の一部は、「深海底に関連する活動から生じうる有害な影響から海洋環境を効果的に保護することを確保する」ことである。ABNJにおける深海底採掘(水深200メートル以深で行われる採掘活動)は、商業的回収の可能性を求めて海底を探査する契約を結んでいる事業体はあるものの、まだ行われていない。
ISAはUNCLOS締約国に対して、海底鉱物資源の探査・開発の契約を出すことができ、公営および民営の採掘企業との間に31件の探査契約を結んでいる。これらのISA探鉱契約のうち、中国は現在、クラリオン・クリッパートン断層帯(CCZ, 下図を参照)を対象とする多金属ノジュールの探鉱契約を3件、多金属硫化物の探鉱契約を1件、コバルトリッチなフェロマンガン地殻の探鉱契約を1件保有している。
クラリオン・クリッパートン断層帯(赤色部分)
(出所)Seabed Mining in Areas Beyond National Jurisdiction: Issues for Congress, Congressional Research Service, 2022, p.8.
「知られざる地政学」連載(25) 深海をめぐる地政学(下)に続く
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。