【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(25) 深海をめぐる地政学(下)

塩原俊彦

 

「知られざる地政学」連載(25) 深海をめぐる地政学(上)からの続き

 

CCZをめぐる問題

2021 年 6 月、太平洋のオーストラリアの北東に位置する小さな島国ナウル共和国は、ナウル・オーシャン・ リソーシズ(カナダ企業メタルズ・カンパニーの子会社, NORI)のスポンサーシップと、CCZの採掘の意向を ISA に通知した。CCZには、銅、コバルト、ニッケル、マンガンが、既知の陸上鉱床をすべて合わせたよりも多く含まれていると推定されている。ナウルは、海底からの採掘への取り組みが、クリーンエネルギー技術への世界的な移行を支援し、二酸化炭素排出量の削減につながると主張している。NORIはISAから試験的採掘の認可を2022年9月に得て、CCZにおける海底鉱物の試験的採掘を2022年9月下旬に開始し、同年10~12月四半期にこの試験的採掘を完了するまでに合計で約3600tの多金属ノジュールを採掘することになった。

ナウルの申請は、環境リスクを最小限に抑えながら深海資源を採掘するための基準とガイドラインを確立することをISAに義務づけるUNCLOS内の法的規定を呼び覚ました。一般に「2年ルール」と呼ばれるこの規定によれば、ISAは2年以内(つまり2023年夏まで)に海底採掘規制を最終決定しなければならないとされた。

2023年7月23日付のNYTによると、コスタリカ、チリ、フランスなどの国々が主導する採掘開始を延期しよう求めるグループが海底機構運営評議会のメンバー(総数36人)である他の国々に対し、規制が確定するまでは国際水域での採掘を許可すべきではないことに同意するよう求め、海底採掘の規則をまとめられないまま、海底採掘の開始が延期されることになった。どの程度の延期になるかは不明だ(今のところ、「2年ルール」のさらなる議論は2024年にもち越されている)。採掘を完全に中止させたい海底採掘反対派と、2025年頃までに採掘を開始する方法を見つけたい中国などの賛成派の両方が、策略を練っているという。

 

中国のISAへの触手

不気味なのは、2021年現在、中国がISAの運営予算に対する最大の拠出国になったことである。中国はISAのさまざまな基金に定期的に寄付しており、2020年には中国の港湾都市・青島にISAとの共同トレーニングセンターを設立すると発表した(長文のWPの記事を参照)。ISAを管理する事務局のスタッフ52人のうち、中国人が占める役職は二つである(法務委員会と財務委員会にはそれぞれ一人ずつ)。事務局長のマイケル・ロッジによれば、これらの組織には中国が指名した専門家が必ず入っているという。

こうして中国はISAにおける地歩を着実に固めつつある。今後1年以内に、海底採掘の規則がまとまる可能性があるとすれば、ISAにおける中国の動向に注意を向ける必要がある。

 

深海掘削は是か非か

深海には、ニッケル、コバルト、マンガン、レアアースなど、グリーン経済を推進するバッテリーやその他の技術に必要な膨大な量の金属にあるといわれている。深海掘削の推進派は、深海採掘が森林破壊や人権侵害、採掘廃棄物による水や土壌の汚染につながっている陸上よりも、より少ない破壊でそれらを利用できると主張する。

これに対して、深海掘削の禁止を求めたり、慎重な開発を主張したりする人々は、環境面への悪影響を懸念している。さらに、人類共有遺産の原則に内在する価値を反映した採掘規約を作成するには、透明性の高い統治が必要であり、そのためには拙速な議論は認められないとする。

海洋汚染に対処する主な国際協定は、ロンドン条約として知られる「廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する1972年条約」と、ロンドン議定書として知られる「ロンドン条約の1996年議定書」である。実は、米国はロンドン条約の締約国であり、ロンドン議定書の締約国ではない。それでも、ロンドン条約第12条では、締約国は海洋環境を汚染から保護するための措置を講じることが誓約されている。汚染源のリストに含まれるのは、「海底鉱物資源の探査、開発および関連する沖合処理から直接発生する、または関連する廃棄物またはその他の物質」である。

ゆえに、米国政府も海洋汚染問題に無関心ではいられない。

 

中国の積極姿勢

これに対して、中国は2015年7月1日に公布・施行された国家安全保障法において、国家は、宇宙空間、国際海底領域および極域の平和的探査・利用を堅持し、安全な出入国、科学的調査、開発および利用の能力を強化し、国際協力を強化し、深海の安全を確保すると規定している。さらに、2016年5月1日、「中華人民共和国深海底地域における資源の探査および開発に関する法律」(深海法)が正式に公布・施行された。同法は、中国国民、法人またはその他の組織が海洋探査に従事する権利と利益を規制する最初の法律であり、深海底海域における資源探査・開発活動に対する許可制度、環境保護制度、科学技術研究・資源調査制度を確立し、対応する管理・監督・検査メカニズムを確立し、関連する法的責任を明確にしている。さらに、深海法の採択後、国務院傘下の海事主管部門は、「深海底地域における資源の探査・開発許可管理弁法」、「深海底地域における資源の探査・開発用試料の管理に関する暫定弁法」、「深海底地域における資源の探査・開発用データの管理に関する暫定弁法」、「深海底地域における資源の探査・開発許可の承認・付与に関する業務指針」などの一連の行政措置を制定したという(「中国の深海・海洋問題における飛躍の30年」を参照)。

注目されるのは、中国が海洋における軍事的優位を確立するために、深海調査を積極的に推進していることだ。音響や潮流の温度を測定し、地形をマッピングし、低視認性で高圧下で作動する機器を開発するなど、深海採掘の準備を進めながら、それは「水中戦」への準備でもあるとみられている。このため、2023年10月に公表された「ワシントン・ポスト」の「中国は深海とその豊富なレアメタルを支配しようとしている」という記事では、「中国の軍を監督する中央軍事委員会は、深海を新たな戦場と位置づけている」と指摘している。

 

日本にとって重要な深海

まさに、深海をめぐる覇権争奪が実際に展開されているのである。日本は世界で62番目に大きな国でありながら、海洋面積は6番目に大きい。もちろん、日本周辺には数々の深海部がある。そうであるなら、日本国民も深海についてもう少し関心を向けてほしい。とくに、マスメディアの不勉強を心から憂いている。バカばかりなのだ。

 

 

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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