【連載】真田信秋の多時争論

連載:日本国独立宣言論 私は独立を宣言する!(11)

真田信秋

前回からの続き


 

第二章 国家は何のためにあるか 人権概念を考える

・人は本当に生まれながらに平等か

今回、本書を執筆するにあたり、私は、いろいろな人権にまつわる文章を確認した。イギリスのマグナカルタ、権利の請願、権利の章典、フランス人権宣言、アメリカ独立宣言、奴隷解放宣言、大日本帝国憲法、日本国憲法、ニュルンベルク綱領、世界人権宣言、国際人権規約。ワイマール憲法などである。それぞれ似通った文言が使われており、目新しいものはなかった。そして、それらの言葉が、実際に、コロナ茶番を止める力を持ちえなかったことから、少し空虚なようにも感じられた。

また、私が強い違和感をおぼえた点があったので紹介したい。
これらの文章には、神という言葉が明記されているものと、明記されていないものに分かれるが、いずれにしても、人々の権利が、神から与えられるアプリオリなものという考えが前提にあるように思われる点である。

人間の権利にまつわる文章の前提として、人はアプリオリに生まれながらにして平等であるとか、生まれながらに基本的人権を持っているというような理想的で、自然法的な考えが含まれている。前章のインパワーム―ブメントの紹介でも出てきた言葉である自然法とは、人為的に作らなくても、生まれながらに、自然にある法として認められるものということだと考えてよい。

誠に美しい理想であり、自然と受け入れたい言葉であるが、今回のコロナ茶番を受けて、むしろ私は、この言葉を簡単に受け入れてはいけないと感じるようになった。人は生まれた時から、大きさも違えば健康状態も違えば、生まれた家庭の裕福さにも違いがある。同じ人間に生まれながら、人種が違うことで差別を受けたり、貧しいがゆえに苦難にあったりするのは事実である。逆に、金銭的に裕福であっても幸福が得られるとは限らない。金銭的に恵まれていても、親の愛情が受けられない環境で育つ事もあるだろう。人は生まれながらに、個体としても、生まれ落ちた環境から考えても、それぞれ差異があり、生まれながらに平等ではない。

人の境遇に違いがあるのは、むしろ自然で当たり前なことなのである。そのことを認めないことは、現在の思想的全体主義が、多様性を謳い、多様性を押し付けながら、実際は、まったく多様な考えをしていないのと同じではないか。

人は、生まれながらに違いがあるのに、前提として生まれながらに平等であると書くことが誤っていると私は考える。生まれながらに、平等でも公平でもなく、生まれながらに、肉体的にも精神的な成長の素地にも、いろいろな違いがある。神は、生まれながらに人に平等や、基本的人権など与えていない。

人間は生まれながらに平等ではなく、公平ではない。
だからこそ、そのような社会において、法の下の平等や、公平性を担保することや、誰もが平和に暮らせる秩序を作り守ることにこそ、国家の存在意義が存在すると言える。

逆に言えば、現在の日本のように、国家が国民の平等や公平を担保する役割を果たさず、そのような機能を果たしていないのであれば、実質的に国民を守る国家は存在していないということになる。そのような状態であればこそ、独立宣言を行い、国を作り替えなければならない。そして、人は、それぞれ生まれながらにして平等ではないために、できるだけの公平性や、平等を甘受できるように保証するために存在する仕組みが、国であるという認識から始めなければならない。

フランス人権宣言16条は次のように語っている。
「諸権利の保障が確保されず、権力の分立も定められていない社会には、憲法は存在しない。」

このフランス人権宣言の規定に基づいて考えれば、日本は、自国の主権が存在せず、アメリカ軍に国土も精神も占領されたままであり、三権は分立していない。三権合一の日本には、ただいま憲法は存在しないことになる。日本には実質的な主権がないことは、繰り返し述べたが、主権がないのであれば、憲法が機能しないのは自明の理である。

1946年制定のフランス第四共和国憲法第94条は、「領土の全部もしくは一部が外国軍によって占領されている場合は、いかなる〔憲法〕改正手続きも着手したり、継続することはできない」(矢部宏治先生著、「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」より引用)としている。

矢部宏治さん著、日本はなぜ、基地と原発を止められないのか② 日本の支配層が望んだ米軍基地と日米属国契約 仮初の歴史フィクションに封じられた日本の民主主義 昭和天皇の政治関与
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43301201

そして、理解すべきは、日本国憲法の上に、日米安保条約、日米地位協定、日米安保密約体系が存在しているということである。日本国憲法が定めている日本の国会や内閣の上に、日米合同委員会が存在し、日本政府に間接統治の指示を出している。適切に選挙が行われているという前提も怪しい点があるが、国民が選んだ国会議員が重要事項を審議すらせずに、ほとんどのことが決められていることに問題がある。WCH議連の初回会合では、国家の重大事を決めるパンデミック条約、国際保健規則の改定ともに、国会の承認が必要とされるかも分からないと厚生労働省の役人は回答した。国会が審議する事柄は、国会議員が議院運営委員会などで協議して決めるできであり、役人が回答するというのもオカシナ話であるが、ことほど左様に、国会は機能していないということである。

超党派WCH議員連盟総会で明らかになった決定的な問題。議会に重要事項を審議する権限がない。国民の命は売り渡すことが既定路線。国民のための国は存在しない。パンデミック条約と国際保健規則を許すな
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43034102

「国会が形骸化しているため、国会では寝ても大丈夫」であると言う輩が、主要大臣のポストを歴任している国は、もはや国とは呼べない。このような状態で、日米属国条約の元で、傀儡政権として成立している売国政権が行いたいという憲法改正は、信頼できないものであることは疑いがない。「押し付けられた憲法だからという適当な理由をもとに、改悪するようにアメリカに指示されている」のである。

皮肉なことに、戦後、日本を封じ込めるために、アメリカが作った憲法が、今は日本を無関係な戦争に巻き込まないためのお守りになっており、今度は、それが邪魔だからと言って、アメリカは日本に憲法を改悪しろというのである。

2004年オレンジ革命、2014年マイダン革命を経て傀儡アシュケナージユダヤ人政権であるウクライナが、代理戦争をさせられて崩壊していることを見れば、明日は我が身である。押し付けられた改憲の行く付く先は、作られた有事で日本は代理戦争をさせられて、国民を無益に殺すためだけに徴兵される明日を創ることであろう。私は自分の子供達や、地域の子供達、日本中の子供や若者が、無益に戦場に送られることを絶対に看過できない。

公衆衛生に限らず、経済政策、財政政策、農業政策、移民政策、ありとあらゆる分野で主権がないがゆえに、国民の政治ができるわけがないのである。

さて、ここで孫崎享先生の書籍、「戦後史の正体」から、外交官で歴史家であるEHカーの言葉を引用させて頂きく。

「「歴史は現在と過去との対話である」翻訳者の清水幾太郎はこの言葉を「歴史は過去のゆえに問題なのではなく、私たちが生きる現在にとっての意味ゆえに問題になる」と解説されている。」

孫崎先生が言うには、「歴史は過去を知るために学ぶのではなく、現在起こっている問題を理解するために学ぶ」という事である。つまり、私たちは、戦後の日本がいかに属国状態であるかを理解するために歴史に目をむけるだけではなく、現在の日本がいかに根深く属国状態になっているかを理解するために、戦後史に目を向ける必要があるのである。

本書の第一章で行った属国状態の理解を深めるために、孫崎先生の戦後史の正体から引用させて頂きたい。

「多くの政治家が「対米追随」と「自主」のあいだで苦悩し、ときに「自主」 路線を選択しました。歴史を見れば、「自主」を選択した多くの政治家や官僚は排斥されています。ざっとみても、重光葵、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、田中角栄、細川護熙、鳩山由紀夫などがいます。意外かもしれませんが、 竹下登や福田康夫も、おそらく排斥されたグループに入るでしょう。外務省、 大蔵省、通産省などで自主路線を追求し、米国から圧力をかけられた官僚は私の周辺にも数多くいます。先ほど、イランのアザデガン油田の開発権についてふれました。このときは、なんとチェイニー副 大統領(当時)自身 が 先頭に立ち、開発権の獲得に動いた日本人関係者をポストから排除しています。」

アメリカのトップレベルからの外圧は、日本の現場レベルにまで及び、その排斥作業に日本人側でも積極的に協力する勢力があり、その最たるものが吉田茂だったと暴露されている。何も、売国政策は、小泉、竹中、安部、菅、岸田に始まったことではなく、終戦直後から日本の保守本流は売国本流だったことが、孫崎先生の書籍では生々しく描かれている。また、日本人に対する言論統制は、GHQにより多くの書籍が焼かれたことからも明らかであり、戦後の言論統制にも日本側の多くの知識人が協力させられ、協力していたことも事実である。私が動画で紹介したことのある、ユダヤの対日謀略や、石油争奪世界戦もGHQにより焚書にされた書籍である。

このような言論統制も、今回のコロナ茶番時と同じである。ありもしない病原体をあるとして、自粛警察を東京都自らが組織して、自粛を呼びかけていた。「密になるな。家に帰れ」と言いながら、密に群れた東京都の職員と思われる怪しい一団が、自粛を呼び掛けて街中を練り歩いていた。なぜ、ソーシャルディスタンスを言う国会議員や、地方自治体の首長や議員、職員らはリモートワークをしなかったのだろうか。それは、恐ろしい病原体がなかったからである。なぜ、恐ろしい病原体があるから「自粛しろ」と言いながら、情報漏洩システムであるマイナンバーカードの申請のために、役所に列をなして並べとプロパガンダしていたのだろうか。

暴君小池都知事のグローバルダイニング社への時短命令については、2022年5月16日に、東京地裁が違法と判断したが、政府や東京都の違法な強権発動によって官製の不況が意図的に創出されたのである。

本来であれば、「恐るべき病原体の証拠を出せ、恐るべき病原体がないのに基本的人権を侵害するな」と叫ぶべき野党は、「自粛には補償」をと言い、自由の制限である自粛要請自体については、肯定する態度を取っていた。この腐った野党の根性と、知的衰退こそが、吉田茂から続く売国与党と共に、プロレス政治劇場を続けてきた日本の国会の本質そのものである。

生物兵器ワクチン、被害認定率は86%、死亡認定率は88%の高確率。立憲民主のコロナ後遺症対策推進法案とコロナワクチン健康被害救済法案の矛盾 未だに新型コロナウイルスの存在を前提にする政治家たち
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43177841

孫崎享先生の戦後史の正体では、1951年のサンフランシスコ講和条約は、48か国が参加して豪華なオペラ・ハウスで行われたのに対して、同日に署名された日米安保条約はアメリカ側4名と日本側は吉田茂一人で、米軍基地の下士官クラブで署名されたことを記している。いかに、講和条約は、見せかけの独立でしかなかったかが分かる内容である。

孫崎享先生の書籍や、矢部宏治先生の書籍を読めば、敗戦直後の占領時代と、サンフランシスコ講和条約+旧日米安保条約+日米行政協定時代は、まったく同じである。そして、新日米安保条約と日米地位協定時代も、岸信介の努力も空しく、占領期と全く同じであることが分かる。それぞれの文言が多少変わっていても、全て日米で交わされた密約で実態が変わらないように補完されているのであり、そのことが米国側の公文書で分かるのである。

 

次回に続く

<連載:日本国独立宣言論 私は独立を宣言する!(真田信秋)は、毎週土曜日に公開します。>

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真田信秋 真田信秋

真田信秋 ニコニコ動画、ニコニコチャンネルを中心に、多事総論チャンネルを展開中。 1977年生まれ、和歌山県田辺市出身。2004年より東京在住。 地方行政機関、民間企業10社以上の幅広い参画歴を持つ。 アマゾンキンドルにて電子書籍も公開している。 コロナ茶番前より医学不要論に習い、2017年10月より薬を一切飲んでいない。 ますます悪化する属国状態を憂え、国民、一人一人が独立宣言を行うことの結果として、国民総意の独立宣言を行う「日本国独立宣言」を唱えている。 独立言論フォーラム一般会員、日防隊サポーターズ、チーム日本一般サポーター。 オールジャパン平和と共生、日本列島100万人プロジェクトの趣旨に賛同するものである。

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