【特集】ウクライナ危機の本質と背景

第95回 世界を裏から見てみよう:『自由の民』とプーチン専制の闘い

マッド・アマノ

・ウクライナの歴史と国歌

ウクライナを知るために、その国歌に注目してみよう。これはロシア革命の1917年に独立宣言した際に採用され、ソビエト連邦に併合されるまで使用されたものを、ソ連崩壊後の1992年に復活させたものだ。歌詞は次の通り。

「ウクライナは滅びず、その栄光も、その自由さえも! ウクライナの兄弟よ、運命はいまだ我等に微笑みかけることであろう! 我等の敵は日差しの下に浮かぶ霧のように消え失せるだろう。兄弟よ、我等自身の国を統治しようではないか。我等は自由のためなら身も魂も捧げる。兄弟よ、我らがコサックの氏族であることを示そう」。

元ウクライナ大使・黒川祐次氏の著書『物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国』(中公新書)を読むと、ウクライナという国がヨーロッパの歴史の中でいかに重要な位置を占めているかがわかる。

第二次世界大戦で、ドイツが降伏する3カ月前の1945年2月、ドイツ降伏後のヨーロッパの再編成のため、ルーズベルト・チャーチル・スターリンの米英ソ三首脳会談が開かれたのが、当時のソ連領クリミア半島の保養地「ヤルタ」だった。

本書によれば、「なぜヤルタが選ばれたのか。スターリンが自ら対独戦争について多くの決断をなさねばならず、ソ連領を離れられないと英米首脳に申し入れたからである。季節は冬であったため、病身のルーズベルトのことも考慮して暖かいクリミア半島、しかもソ連第一の保養地であるヤルタが選ばれた」という。

第4章「コサックの栄光と挫折」にはコサックの生い立ちが詳しく書かれている。以下、同書から要約する。

15世紀頃からウクライナやロシアの南部のステップ地帯に住みついた者たちが、出自を問わない自治的な武装集団を作った。「コサック」とはその集団や構成員のことである。

ウクライナと呼ばれるようになるこのフロンティアは、危険ではあるが、それ以上に豊かで、魅力のある土地でもあった。危険を顧みず、自由と豊かさのために居残った者たちは、タタール(内陸アジアの遊牧民)の奴隷狩りに備えて自衛する必要が生じた。こうして16世紀はじめまでに彼らは武装し、組織を作っていった。

彼らは武力を身につけると、今度はタタールを襲うようにもなった。コサックという言葉は、トルコ語で「分捕り品で暮らす人」あるいは「自由の民」を意味する。

「自由の民」と、プーチン専制のロシアの争い。一刻も早い停戦が望まれるが、背後にいるディープステートの存在がやはり気がかりだ。

(月刊「紙の爆弾」2022年5月号より)

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日本では数少ないパロディスト(風刺アーティスト)の一人。小泉政権の自民党(2005年参議院選)ポスターを茶化したことに対して安倍晋三幹事長(当時)から内容証明付きの「通告書」が送付され、恫喝を受けた。以後、安倍政権の言論弾圧は目に余るものがあることは周知の通り。風刺による権力批判の手を緩めずパロディの毒饅頭を作り続ける意志は固い。

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