ビッグデータ市場が電脳社会主義を導く
国際資本主義経済は様々の商品を市場・取引所で取引するメカニズムからなっている。それらの商品は穀物や原油をはじめとして、各種各様の商品からなる。これらの商品のなかには、商品情報も一部含まれるが、いわゆるビッグデータは含まれていない。
2015年4月中国初のビッグデータ取引所たる<貴陽ビッグデータ取引所>が生まれ、武漢、ハルビン、江蘇、西安、広州、青島、上海、浙江、瀋陽、安徽、成都などに相次いで取引所が生まれた。20年11月現在、取引所は20を超えて各地方政府や国家信息中心と協調して、<亜信数拠>、<九次方大数拠>、<数海科技>、<中潤普達>などのビッグデータサービス企業にデータを供給している。ちなみに21年11月、上海で開設された<上海数拠交易所(データ取引所)>には、第一陣として次の表のごとく20商品が上場された。
上場データを提供する企業は、新中国移動通信 (China Mobile)、新中国聯合通信(China Unicom)、新中国電信(China Telecom)の移動通信3社のほか、東方航空、遠洋海運、高徳ソフト(ハイウェイおよび地図情報)、通販デリバリー各社の情報部門など現代社会から生まれ、それを導くさまざまなビッグデータを集める関連企業群である。これら企業の一部は、物流企業あるいは通信販売企業として本体業務の業績評価を問う市場にすでに上場さ れている企業もある。
しかしながら、今回、ビッグデータ自体を本体業務部門から切り離 して上場することには、新たな意味があるとみてよい。 ビッグデータ自体は単なる数字の羅列に過ぎないが、データサイエンスの手法により加工することによって、複雑な人々の経済・社会行動を把握するための有力な指針を様々なレベルで与えることになる。
たとえば売れ筋商品の情報が販売促進や新製品開発のために役立つことは言を俟たないし、人々の交通や物流の情報が快適な都市生活や安全性を支えることも容易に理解できよう。とりわけ今話題のEVカーやコネクテドカーの自動運転を強力に支えることによって、その有用性が実証されよう。これらの情報が市場を通じて適正な価格付けが行われ、より有用 な情報がより安価な価格で売買されることによって、人々がそれらの情報の選択肢をえられることは、何を意味するであろうか。
ジョージ・オーウェルが『1984 年』で戯画化した監視社会がわれわれの先入観となって久しいが、その暗黒未来社会とビッグデータを活用して成立する電脳社会は、似て非なることが明らかになりつつある。最大の違いは、オーウェルの想定と異なり、ビッグデータを扱うのが<ビッグブラザー(スターリンの暗喩)>とは限らないことだ。
さまざまな分野のビッグデータは、巧みなデータ処理により、有用なデータとすべく解析される。それらのデータ解析を担当するのは、やはりそれぞれの分野の専門家の分業と協業に依存せざるを得ない。これらの専門家が誰のためにどのような分析を行うのか。<最大多数の最大幸福のために>といった目標あるいは理想がデータ解析の導きとならざるを得ない。
ここからデータサイエンティストたちの試行錯誤が始まる。<ビッグブラザーによる大衆管理のためのデータ解析か>、それとも<最大多数の最大幸福を目指すデータ解析か>、その選択はたえず問われることになり、その度に誰のために、何を解析するか、それが争点となろう。その場合に、ビッグデータ取引所が軍配を下すことになろう。すなわち、ビッグデータの扱いを決めるのは取引所であって、単一のビッグブラザーではありえない。
この文脈でビッグデータを市場の取引に委ねるメカニズムは、<超資本主義的経済システム>である。このシステムは米国資本主義をはじめすべての先進資本主義諸国で未だ欠けている。
中国がこのシステムの導入に踏み切ったことは、習近平指導部が<情報を含めてあらゆる商品の取引を市場メカニズムに委ねる>決意を固めたことを意味しており、そのような経済行動を踏まえた国家・社会を目指してスタートしたことを意味している。これはもはや、旧来の管理社会ではないし、いわんや監視社会ではない。電脳を駆使したガバナンス(社会統治)社会であり、まさに電脳社会の誕生を意味している。電脳社会主義の可能性は大きい。
ビッグデータ市場のイメージを描くには、取引所開設の意味を解説した田杰棠研究員(国務院発展研究中心創新発展部副部長)の論文が参考になる。これはテンセント研究院とテンセント・クラウドが共編した《デジタル経済の道・ガソリン・車》シリーズに寄せた<データ取引、データ権、データ要素市場の育成>の要旨である1。
田研究員曰く、ビッグデータは、新たな生産要素であり、デジタル経済を駆動する<石油>だ。15年4月全国初のビッグデータ取引所たる<貴陽ビッグデータ取引所>が生まれ、武漢、ハルビン、江蘇、西安、広州、青島、上海、浙江、瀋陽、安徽、成都などに相次いで取引所が生まれた。20年11月現在、取引所は20を超えて各地方政府や国家信息中心と協調して、<亜信数拠>、<九次方大数拠>、<数海科技>、<中潤普達>などのビッグデータサービス企業にデータを供給している。貴陽大数拠交易所の場合、一連の取引規則2 を設けた。2種の数拠取引モデルが行われている。
一つ目は伝統的な商品市場に似て、 “データ集市”と呼ばれる。ここでは<加工の粗いデータ>が取引されている。二つ目は<付加価値つきデータ> だ。「生データを加工して」需要者に提供する。大部分の取引所で後者<付加価値つきデータ>が取引されている。データ取引には二つの问题がある。一つは、個人情報の保護だ。もう一つは、ビッグデータ自体が均質でなく、価値密度が低いことだ。このため、需要・供給間の共通認識が得られず価格形成が難しい。付加価値つきデータは、❶ユーザーに代わってデータ加工を行っているので、ユーザーは時間とコストを節約できる。❷付加価値つきデータはデータの合法性を高めているので、ユーザーの法的リスクが減少する。
田研究員曰く、データ権の難点とトラブル=ビッグデータ権の境界画定は難しい。❶データ権の主体には自然人・政府・企業が含まれる。個人数拠にはプライバシー権(隐私権) がある。個人の人格権・财产権を保護しなければならない。政府数拠は、公共资源であり、公衆には知る権利・訪問権・使用権がある。商業データには企業の知財権・企業秘密・市場競争における合法的権益がある。個人データには明確な法概念があり、明確な規範体系がある。政府データも重要な権利の客体だ。
これらに対して、<商業データ>は未だ厳密な法概念が成立していない。❷データが生成するチェーンには、多くの参与者があり、各参与者間の境界画定は難しい。❸データと伝統的なモノとは、性質が異なる。データ権とはデータの全生命周期中における異なる支配主体のもつ権利だ、権利主体はより多くの義務と责任を持つ。
データ知財のトラブルは、経済学の原則に照らして境界を画定せよ。データ知財はプライバシー保護を前提に、これを商品化する企業が負うべきだ。もう一つの意見はプライバシー権を含めない<原始データ>に知財権を認める考え方だ。
経済学的角度からみると、コースの定理 3 に従い、データのコストが高くなりすぎないことが肝要だ。ただし法学的角度からみると、個人の財産権保護は、<社会公平の道理>に基づくべきだ。データ権の争いの核心は<コスト主義か財産権擁護か>にある。
取引規則を明確にして、データの要素市場を発展させよう。❶取引されるデータの範囲を明確にして、データ資源の供給を増やす。中国は欧美の経験に学び、 “合法的非個人データ”を供給源とする。“非個人データ”には<組織・モノ・事件のデータ>および個人を特定できぬ<復元不能なデータ>を含む。❷取引規則の明確化には、市場主体に対して“規則 に依拠した取引”を許すのがよい。❸取引監督機関がデータ市場の“秩序ある取引”を監督する。❹データサービス型の新業種を育成し、データ市場を发展させる。
1938年生まれ。東大経済学部卒業。在学中、駒場寮総代会議長を務め、ブントには中国革命の評価をめぐる対立から参加しなかったものの、西部邁らは親友。安保闘争で亡くなった樺美智子とその盟友林紘義とは終生不即不離の関係を保つ。東洋経済新報記者、アジア経済研究所研究員、横浜市大教授などを歴任。著書に『文化大革命』、『毛沢東と周恩来』(以上、講談社現代新書)、『鄧小平』(講談社学術文庫)など。著作選『チャイナウオッチ(全5巻)』を年内に刊行予定。