「知られざる地政学」連載(45)「もしトラ」(アジア編)(上)
国際
「もしドナルド・トランプが大統領選に勝利し、次期大統領になったら」(「もしトラ」)、アジア各国はどのような対応を迫られるのだろうか。『フォーリン・アフェアーズ』は2024年6月26日、ジョージタウン大学教授で、戦略国際問題研究所アジア上級副所長のヴィクター・チャの論文「アメリカのアジアのパートナーはトランプを十分に心配していない 彼の復帰は地域をどのように不安定化させるか」を公表した。ここでは、この考察を参考にしながら、「もしトラ」(アジア編)について論じたい。
反リベラルデモクラシーへ舵を切る「トランプ大統領」
チャは、「外交政策におけるトランプの指針は、自由や民主主義の価値、ルールに基づく国際秩序の擁護ではない」と断じている。「その代わりに、トランプは主に重商主義的本能とエゴイズムに突き動かされている」というのがチャの見立てである。
いわゆるリベラルデモクラシーを否定する「トランプ大統領」は、リベラルデモクラシーに基づく世界秩序の構築という「グローバルな責任」を負っていないと主張するだろうと、チャは予想している。さらに、こうした発想に立つトランプは、北大西洋条約機構(NATO)加盟国や日米安全保障条約を結ぶ日本のような歴史的な同盟国をパートナーとしてではなく、むしろ貿易上の「敵対者」として扱うことになるという。他方で、チャは、トランプが「北朝鮮の金正恩、ロシアのプーチン、中国の習近平のような独裁的で敵対的な指導者と親しくなろうとするだろう」とみている。
拙著『帝国主義アメリカの野望』で論じたように、アメリカ外交の基本戦略は第二次世界大戦前後からリベラルデモクラシーに基づいてきた。民主党出身の大統領であろうと、共和党出身の大統領であろうと、世界中に民主主義国家が広がれば広がるほど、アメリカの自由と平和が守られるというのが基本スタンスであった。
核武装問題
こうしたリベラルデモクラシーを否定するとなると、第二次世界大戦後の核兵器不拡散条約(NPT)の枠組みが崩れ、日本と韓国は核兵器を保有する可能性が生まれるだろう。
チャはもともと、朝鮮半島問題の専門家である。その彼は、「北朝鮮は、トランプ大統領が自慢できるような、核分裂性物質や第一世代の核装置の限定的な引き渡しなど、それほど重要ではないが具体的な非核化の形を提示することで、取引を成立させる可能性がある」と予想している。
その結果、「簡単な勝利が大好きな」トランプは、短距離弾道ミサイル、極超音速ミサイル、巡航ミサイル、戦術核兵器といった膨大な兵器を金正恩に放棄させることなく、北朝鮮の核の脅威をなくし、「勝利」したと主張するようになるとみている。
「そうなれば、トランプは韓国から米兵を撤退させるかもしれない」と、チャは書いている。アメリカは勝利したのだから、もう米軍を駐留させる意味はないとして、韓国政府に脅しをかけるようになると考えられる。元国家安全保障顧問のジョン・ボルトンは回顧録の中で、「トランプ大統領の究極の脅し、つまり適切と思われる金額を支払わない国からは米軍を撤退させるという脅しが、韓国の場合は現実になることを恐れている」と警告している。
もちろん、この既存の防衛費分担協定の再交渉は対韓国だけでなく、対日本にも突きつけられる問題だ。
韓国の核武装化か?
韓国からの米軍撤退というシナリオは、「ほぼ間違いなく朝鮮半島全体の核化をもたらすだろう」と、チャは主張する。その理由は、第一に、韓国国民の大多数がすでに核兵器開発を強く支持しているという現実にある。第二に、韓国から米軍が撤退するという事態は、韓国の安全保障戦略の根本的見直しを迫るからである。これまで、学者やシンクタンクの専門家、ビジネス界や政治界のリーダーといった韓国の戦略的エリートたちの間では、核武装化に対する嫌悪感が多くの国民的熱意を打ち消してきたが、戦略国際問題研究所がこうしたエリートを対象に2024年1月から3月にかけて実施した調査では、回答者の過半数が、「米国が韓国の安全保障に対するコミットメントから手を引けば、非核化に対する見方が変わるという意見に同意している」と、チャは記述している。
たしかに、韓国の国民の過半数は安定的に核兵器保有を支持しているようにみえる。たとえば、韓国統一研究院(KINU)が比較的長く行ってきた、核武装の必要性に関する世論調査(下図を参照)からわかるように、核武装支持率は2021年(71.3%)がもっとも高かったが、2022年にはすでに低下しはじめているとはいえ、依然として6割を超えている。2023年になって核武装の必要性がかなり低下した背景には、「国内の政治的要因や、核武装の問題が公的な場で議論され始めたことが影響した可能性がある」と分析されている。
他方で、核武装に関する韓国世論は、2022年に始まったロシア・ウクライナ戦争の影響を受けたという分析や報道がある。しかし実際には、ロシア・ウクライナ戦争が始まった後に実施された2022年のKINU統一調査では、核武装に対する支持はすでに低下しはじめていた。「したがって、ロシア・ウクライナ戦争が韓国の核武装支持世論にそれほど大きな影響を与えたとは考えられない」と、調査報告書は書いている。
2023年以前の別のさまざまな調査でも、韓国の世論が自国の核保有に賛成していることを示す報道がいくつかあった。「シカゴ国際問題評議会(71.0%)、牙山政策研究院(70.2%)、サンド研究所(74.9%)、ソウル大学平和統一研究院(55.5%)、ユニコリア財団(68.1%)、チェー高等研究院(76.6%)の調査によれば、韓国の自主核武装に賛成する世論の割合は70%を超えるか、それに近い」と、先の調査報告書は紹介している。
図 核武装支持の世論の推移
(出所)KINU Unification Survey 2023, Public Opinion on South Korea’s Nuclear Armament, Korea Institute for National Unification, 2023, p. 20.
ミャンマーも核兵器開発か?
拙稿「「知られざる地政学」連載【16】 「米国内への投資」を「ウクライナ支援」と呼ぶバイデン政権」〈下〉のなかで、「いま韓国では、北朝鮮との対立が深まるなかで、米国の「核の傘」に対する韓国の保証を強化するためのオプションが問題になっている」と指摘したことがある。2023年にRAND Corporationが公表した「韓国の核保証強化の選択肢」は日本の知識人必読の報告書についても紹介した。同報告書は、「韓国における米国の戦術核兵器貯蔵施設を近代化または新設する」といった提言を含んでおり、「もしトラ」ではなく、「もしバイ」であっても、韓国の核武装化への傾斜が必然であるような認識が示されている。
チャは、「もし韓国が核兵器開発に乗り出せば、中国と北朝鮮に先手を打ってその能力を無効にする危険な動機を与えることになる」と書いている。これは、韓国の核兵器開発を武力で阻止する動きが出現する可能性を意味している。
ほかにも、「国の核武装は、より広範な模倣を引き起こす可能性がある」とチャは指摘している。まさに、核拡散がドミノ倒しのように、アジアに広がる可能性すらある。とくに、ミャンマーによる核兵器開発が懸念されている。2024年2月、米司法省は日本人の海老沢剛を、海老沢とその共謀者が2022年2月、麻薬取締局(DEA)の覆面捜査官にミャンマーの反政府組織との取引をもちかけたとしてニューヨーク連邦地裁に起訴した。
ミャンマー政府もまた核兵器開発に関心をもっている。北朝鮮との関係をみると、1983年、ミャンマーの首都ラングーンで韓国の閣僚16人が死亡したラングーン爆撃事件後、ミャンマーは北朝鮮との関係を断ち切った。しかし、長期化する軍政と88年革命の暴力的な鎮圧の反動で、ミャンマー自体が変化し、テイン・タイ中将の提案で、タン・シュエ政権は2000年代初頭に北朝鮮と接触した(記事「ミャンマーは次の北朝鮮になるのか?」を参照)。その後、ミャンマーは2003年、原子炉技術を研究するため、技術者30人を北朝鮮に派遣した。2003年から2006年にかけては、北朝鮮の技術者がミャンマーに滞在し、ネーピードーの地下にトンネルを建設する手伝いをしていたとされている。さらに、2007年、北朝鮮はミャンマーに大使館を再設置したことで、正式な関係となった。
ミャンマーにおける核兵器開発計画に関する散発的な疑惑は、2010年代を通じて反体制派グループやNGOによって提起された。疑惑が続くなか、2012年にバラク・オバマ米大統領(当時)がミャンマーを訪問した後、ミャンマーは北朝鮮との軍事協力を否定し、核研究計画を破棄したと公式に発表する。その後、ミャンマーは2013年に国際原子力機関(IAEA)の追加議定書に署名し、2015年以降、ロシアの援助を受けて核発電所建設の努力をつづけるようになる。
2016年、ミャンマーの政権は部分的な民主化を許可し、その結果、アウン・サン・スー・チーと彼女の国民民主連盟が政権を樹立した。国民民主連盟の下で、ミャンマーの核開発計画、そしてそのような野心に対する国際的な懸念は薄れていった。2017年以降、ミャンマーは北朝鮮に対する国連の制裁措置に一部参加している。
だが、2021年のクーデター後、北朝鮮とミャンマーは対外的に関係を再開する。その結果、いまのミャンマー軍事政権は北朝鮮およびロシアを通じて、核兵器開発に向けた動きを強めているように思われる。とりあえず、ロシアの核発電所建設を通じて、プルトニウムを調達したいと考えているのではないか。
拙著『知られざる地政学』〈下〉では、ロシア国営の「ロスアトム」がかかわる海外における核発電所建設として、ミャンマーについてつぎのように書いておいた。
「2022 年9 月、ロスアトムとミャンマーは、2022 年から2023 年の協力のためのロードマップに署名し、11 月には、小容量核発電所プロジェクトの共同プレフィジビリティスタディに合意。ロシアとミャンマーは2023 年2 月、小容量の核発電所の建設を想定した核エネルギー産業における協力に関する政府間協定に署名した」
「知られざる地政学」連載(44)「もしトラ」(アジア編)(下)に続く
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。