第5回 原子力の未来(完)
核・原発問題・悪あがきのプルサーマル
核燃料サイクルは実現できない。実現できなければ、原子力は意味のあるエネルギー源にならないため、この日本という国は、「核燃料サイクルを実現させる」と言い続けてきた。そして、高速増殖炉を立ち上げるためにはプルトニウムが必要だと言い、自分ではできない使用済み核燃料の再処理を英国とフランスの再処理工場に委託してプルトニウムを分離してもらってきた。その量はすでに46トンに達している。それで長崎型の原発を作れば、4000個もできてしまう。
しかし、核燃料サイクルは一向にできないし、懐に入れたプルトニウムの使い道もない。日本というこの国は、77年前まで大東亜共栄圏だと言って、アジア、東南アジアの国々を侵略し、2000万人以上の人々を殺した国である。その国が、核燃料サイクルに使うという口実の下、長崎原爆4000発も作れるほどのプルトニウムを懐に入れてしまったことを「国際社会」は許さない。
そのため、日本は「使い道のないプルトニウムは持たない」と国際公約させられている。しかし、日本の高速増殖炉計画は破綻しており、プルトニウムを燃やすことはできない。どうにもならなくなった日本は、懐に入れてしまったプルトニウムを普通の原発で燃やすしかなくなってしまった。その計画が「プルサーマル」と呼ばれる。
今日使われている原発は、核分裂して生じる高速中性子を減速し「熱中性子(Thermal Neutron)」にして、核分裂反応を維持している。そのため、普通の原発を技術的に呼ぶときには「熱中性子炉(サーマルリアクター)」と呼ぶ。「プルサーマル」という言葉は、「サーマルリアクター」で「プルトニウム」を燃やすということをとらえて作られた和製英語である。
石油ストーブでは灯油を燃やす。そのように設計されている。石油ストーブでガソリンを燃やせば、火事になる。もともと灯油もガソリンも原油から生成されたもので、どちらも燃える。しかし、燃え方が異なるため、灯油を燃やすために設計されたストーブでガソリンを燃やしてはいけない。今日原発で使われている熱中性子炉と呼ばれる原子炉は、ウランを燃やすように設計された装置である。ウランもプルトニウムもどちらも原爆材料であり、核分裂反応を起こす。
しかし、その反応の起こしかたには違いがある。ウランを燃やすために設計された原子炉でプルトニウムを燃やせば危険がある。もちろん、原子力を推進する人たちもそのことを知っている。そのため、原子炉の中には最大でも3分の1までしかプルトニウム燃料を入れないと彼らは言っている。
石油ストーブの燃料の灯油にガソリンを3分の1までしか入れないから安全だというのに等しい。でも、そんなことは初めからやってはいけないことなのだ。おまけに、プルトニウムを使った燃料はウラン燃料の10倍もの値段がする。安全性もない、経済性もないプルサーマル計画をやらなければならないのは、使い道のないプルトニウムを持ってしまったからなのである。もちろん、六ケ所村再処理工場を稼働させてしまえば、新しく使い道のないプルトニウムを増やしてしまい、日本の原子力はますます苦境に落ち込む。
・エネルギー浪費社会から抜け出すことこそ!
地球は46億年前に誕生したと言われる。当初は火の玉だったその星に大気ができ、海ができ、生命が生まれたのが40億年ほど前だそうだ。以来、様々な生物が生まれては絶滅してきた。人類が生まれたのは約700万年前、現生人類・ホモサピエンスが生まれたのは20万年前と言われる。地球46億年の歴史を1年に縮めて考え、正月元旦0時0分に地球が生まれたとすれば、生命が生まれたのは2月17日、人類が生まれたのは大晦日の10時38分、ホモサピエンスの誕生は23時37分である。その人類も当初は自然に溶け込むように生きてきたのに、250年前に発生した産業革命以降、膨大なネルギーを使うようになり、地球の生命環境を破壊してきた。それは地球の歴史を1年に縮めて考える時間の尺度では23時59分58秒、年が変わる前2秒のことに過ぎない(表1参照)。
現在、地球温暖化の危機が叫ばれ、二酸化炭素を放出しないことが最も大切なことであるかのように宣伝され、多くの人は脱炭素社会に向かうことが大切だと思わされている。
しかし、地球の生命環境が直面している脅威には大気汚染、海洋汚染、森林破壊、酸性雨、砂漠化、産業廃棄物、生活廃棄物、環境ホルモン、マイクロプラスチック、放射能汚染、さらには貧困、戦争など多数ある。それらはいずれも二酸化炭素などもともと何の関係もない。それらは資本主義の下、抑制のきかない大量生産、大量消費を続けてきた結果である。
地球温暖化の原因の一部に二酸化炭素があるかもしれないが、地球温暖化が地球の生命系にたいして脅威かどうかも疑わしい。それだけのことなのに、今では、多くの人は二酸化炭素の放出を減らさなければいけないと思わされている。真に求められていることは、低炭素社会を目指すことではなく、エネルギー浪費社会そのものを廃止することである。
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1949年生まれで、京都大学原子炉実験所助教を2015年に定年退職。その後、信州松本市に移住。主著書は、『原発のウソ』(扶桑社新書)、『原発はいらない』『この国は原発事故から何を学んだのか』『原発ゼロ』(いずれも幻冬舎ルネッサンス新書)、『騙されたあなたにも責任がある』『脱原発の真実』(幻冬舎)、『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版)、『原発事故は終わっていない』(毎日新聞出版)など多数。