【連載】トルコ航空機の日本人215人に思う。 生きて帰った命、国際貢献へ(沼田凖一)

番外編 人々の命を守る国際貢献(完)

梶山天

1985年3月、イラン・イラク戦時下でトルコ航空機によって救出された日本人ひとり、沼田凖一さんだからこその、体験をもとにつづった緊迫感あふれる皆さんの連載となりました。いかがでしたか。

Istanbul, Turkey – September 3, 2015 : Turkish Airlines planes are getting for their next flights in Istanbul Ataturk International Airport, Istanbul, Turkey.

 

215人の日本人を救出すべく、トルコ航空機の出動の奇跡を呼び起こした出来事からからさかのぼること95年。1890年9月16日、トルコ(オスマン帝国)の使節団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県串本町大島の沖合で台風のため座礁、沈没。乗員656人が海に投げ出され、岸にたどり着いた生存者69人を地元住民たちが援護したことにあった。

この二つの国際貢献の原点とも言える物語が映画化された。日本とトルコの合作で、2015年12月から上映された「海難1890」(東映)だ。ISF独立言論フォーラム副編集長の私は、この映画の縁で、東映を通じてあるトルコの母子と手紙のやり取りをしたことがある。その返書の中に、挟まれていた2枚の写真を今も大切に持っている。地球上で今戦争によって多くの命が奪われている。時折、写真をアルバムから出して見ては、「ありがとう、本当にありがとう」と心の中で繰り返す自分がいる。

この映画は、17年前に田中光敏監督が和歌山県串本町に住む大学時代の同級生から映画を作ってほしいと手紙をもらったのがきっかけだった。「地元には、トルコ軍艦の遭難者救助という素晴らしい話がある」という内容だった。手紙の主は、映画上映時に串本町長だった田嶋勝正さんだ。

しかし、ベストセラーの小説や漫画などなら映画化できるが、製作費の調達は難しかった。それでも田中監督と田嶋さんがあきらめなかったのは、エルトゥールル号遭難の救助をした折、トルコ政府から治療のお礼をしたいという申し出について、地元の医師3人は「お金は亡くなられた人々の遺族のために役に立ててください」と答えたという記録が残っていて、その崇高な志に背中を押されたからだ。そんな2人に国内の大手企業十数社が寄付を申し出てくれ、トルコ政府も制作費の半分を負担してくれた。

日本とトルコ合作映画の撮影が始まった。その最中だった。トルコ航空機の女性乗務員役の女性が急に人目をはばからずに号泣したのだ。何事が起ったのか!トラブルなのか、シナリオに問題があるのか。田中監督をはじめ、撮影スタッフもびっくりした。

乗務員らは史実にもとづき、トルコ人をオーディションで選んだ。そのオーディションで見事に合格したイェリズ・セレビさん(当時27歳)だ。田中監督が通訳を通して「どうしたの?」と聞くと、彼女はこう話し出した。

「子供のころから歴史の本で日本人の素晴らしい人命救助を学びました。そして今私が演じているのが、実は、日本人を救った乗務員だった私の母です。命を懸けて日本人を救った母の行動に感動して涙が止まらなくなりました」。

田中監督は、まさか実在の乗務員の二世が選ばれていたことを知らなかった。「そうか、そういうことだったのか」。監督ももらい泣きする寸前だったのをこらえた。この映画がいい作品になると確信した一幕だったという。

映画では、テヘランにいたトルコ人の家族たちが自分たちの国が救援機を出してくれるのを待ちわびる光景があった。空港では一刻も早く脱出するためにどの国の人たちも気が気ではなく、ごった返ししていた。

イラクのサダム・フセイン大統領による悪夢の宣告のタイムリミットが刻々と迫ってくる。「20日午前2時(日本時間)以降の空の安全を保障しない」。そんな時にトルコの人たちに、いきなり連絡が入った。救援機には日本人を乗せるよう譲ってくれとのことだった。納得がいかない人たちがいたのも当然だ。

けれども自分たちの祖先を救った日本人に救援機を譲り、自分たちは陸路から脱出するという選択をする。その画面を見ていた私の脳裏に「なぜなのー。どうしてそうなるの?」との思いがよぎった。日本は日航機すら出せなかったのにどうして他国の救出に出動するの。映像を見ながら次第に鳥肌がたち、涙があふれた。そして思いっきり叫んだ。「素晴らしい!」。

答えは、国の教育にある。映画のタイトル「1890年」にオスマントルコの軍艦が和歌山県串本町大島沖で沈没して住民たちが懸命の救出活動をし、そのことを学校の教科書に掲載して国際貢献を未来永劫学ばせているのだ。そうしたトルコ国民の偉大さに心奪われたからだ。

私は、映画の撮影中に泣き出した乗務員を演じる彼女の話を田中監督から上映前に聞いて手紙を母子に書いて東映に託した。すると、返事が来た。母親は日本人の救出前日夜に救出に向かうか、向かわないか挙手で決めた時に迷わず手を挙げたという。

実は彼女は教科書でトルコ人を助けた偉大な日本人の人命救助を学んだ一人だった。「日本の人たちは、なんて素敵な心を持った人種なんだろう」と憧れを持ち、それがいつしか、恩返しをしたいと心の中に芽生えていたのだ。いざ空港で日本人を待った際にイラクの戦闘機が来て1発爆撃があった。その時「間に合わなかったのか」と死を覚悟したという。運よく当たらなかった。機内の明かりを消して見つからないようにと祈りながら、息をひそめた。とっても怖かった。

人命救助を最後まであきらめなかったからこそ、トルコ航空機は日本人の方々を乗せて飛び立つことができたという。飛び立った時も安全圏に入るまでは緊張の連続だった。その甲斐あって、ついに恩返しができた。その彼女の娘は親譲りで、これまた素晴らしいことをした日本にあこがれている。日本のことをもっと知りたいし、勉強したいと募る思いが手紙の文面に滲んでいた。

そんな母子の2枚の写真を読者の皆様に初公開します。1枚は、イベント会場でしょうか。美しい親子がカメラに向かってポーズをとっています。

2015年12月から日本とトルコで上映された田中光敏監督の「海難1890」(東映)のオーディションに合格し、トルコ航空の乗員役を演じたイェリズ・セレビ氏と、実際にトルコ航空機の乗員として日本人215人を救った同氏の母。

 

もう1枚は、私の単純な想像なのですが、母親の手に花束を持っていることから娘からの誕生日か何かのお祝いではないでしょうか。母子の幸福ぶりが伝わってきます。

名もなき人々の真心と勇気が国を動かす。命を奪う戦争に行くどこかの国の後方支援ではなく、世界の人々の命を優先する本当の国際貢献もそうありたい。

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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