【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(51):制裁をめぐる地政学(下)

塩原俊彦

 

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「ステーブルコイン」の利用

もう一つの制裁逃れとして注目されているのが「ステーブルコイン」の利用である。ステーブルコインについては、拙著『知られざる地政学』〈下, 333頁〉につぎのように説明しておいた。

「ステーブルコインとは、既存通貨価値に固定されるかたちで価値が定められながらも、国家に管理されていない暗号通貨といえるかもしれない。あるいは、ドルなど既存の法定通貨に価値が連動する「通貨」といった定義も可能だろう。

ステーブルコインには、主に商品担保型と不換紙幣担保型がある。前者は、金などの商品に裏づけされているのに対し、後者は米ドルやユーロなどに裏づけされている。わずかだが、ビットコインやイーサリアムのような暗号通貨を裏づけとするものもある。具体的なステーブルコインとしては、ドルに固定されたUSD(Tether)、Binance USD(バイナンス取引所がパクソス[Paxos]と提携して発行、BUSD)、USD coin(サークル[Circle]が発行)などが有名だ。USD とBinance は100%現預金で支えられている。いわゆる「ビッグテック」(メタ、アリババなど)が発行するプライベート・デジタル・マネーの一種もステーブルコインに含むことができる。」

記事によると、とくに、テザー(Tether)というステーブルコインが利用されている。これを利用すれば、支払いは5~15秒で行われ、入札者は数千ドルの手数料を要求しない。ただ、2021年以降、中国の規制当局は暗号通貨を使ったすべての取引を違法とみなしているから、当局の「理解」が必要になるのかもしれない。

ただし、2023年のシリコンバレー銀行の破綻は、同銀行に預金していた大手ステーブルコイン発行会社に問題を引き起こしたことを忘れてはならない。「ステーブルコインだから安全」ということはないのである。

なお、一般に、暗号通貨は制裁逃れだけでなく、いわゆる「資金洗浄」のためにも大いに利用されている。経済制裁も資金洗浄防止もアメリカ政府が主導した措置だが、皮肉なことに、それが暗号通貨の広がりをもたらしていることも忘れてはならない。ブロックチェーン分析会社のChainalysisによると、下図のように、2023年に世界で222億ドルの不正資金が暗号通貨を使って洗浄された。

図 2019~2023年の暗号通貨利用の資金洗浄規模
(出所)https://www.chainalysis.com/blog/2024-crypto-money-laundering/

バーター取引の増加

他方で、バーター取引による決済回避という方法も広がっている。たとえば、ロシアの鉄鋼会社が中国に金属を輸出するとき、中国企業が喜んで提供するあらゆる商品と金属を交換するのである。この場合、国境を越えた金銭による決済はまったく行われない。ロシアの税関や産業貿易省も、バーター取引の人気について語っているという。

企業が金銭で支払う必要がある場合は、中国東北部の農村部の小さな銀行を利用することが多い。これらの銀行はロシア国境沿いにあり、送金を喜んで受け入れ、コンプライアンス要件もそれほど厳しくない。ただし、需要が高いため、そこでも口座開設の行列ができ、数カ月に及ぶこともある。
ほかにも、世界的な決済サービスを提供する機関であるSWIFTの類似システムであるロシアの「金融メッセージング・システム」(SPFS)の利用という方法もある(これについても、『知られざる地政学』〈下, 317頁〉に詳しく解説しておいた)。このSPFSは、2024年6月24日に欧州理事会が発表した第14次対ロ制裁パッケージのなかで、制裁措置がとられた。ロシア国外で活動する欧州の銀行や企業は、中央銀行が設置したSPFSや「同等の金融専門メッセージサービス」への接続が禁止される。市場参加者はまた、ロシア国外でSPFSを利用し、EUの特別なブラックリストに載っている第三国の組織と取引を行うこともできなくなる。

中央銀行の2024年初めのデータによると、557の銀行と企業がSPFSに接続しており、そのうち159の参加者は20カ国の非居住者である。ロシアのサービス利用者のリストは公表されていない。2023年1月から9月にかけて、システムのトラフィックは合計1億6000万メッセージに達し、これは2022年同時期の実績の2.7倍である。ロシア中銀は、「2026年までの金融市場発展の主な方向」のなかで、ロシアの組織の海外パートナーとの接続を含め、SPIFSの機能開発と参加者数の増加に引き続き取り組むと述べていた。

問題は、今回のEUの対ロ制裁によって、第三国でSPIFTを利用する銀行に対する二次制裁がロシア企業間の相互決済を複雑にすることだ。こうした困難は、暗号通貨決済を促すことにもつながっている。

別の制裁逃れ

ここで、最近話題となったまったく別の制裁逃れについても解説しておきたい。それは、2024年6月18日付でFTが報道した「ロシア、中古工作機械を中国から調達」という記事である。それによると、アメリカ政府が2023年に制裁下に置いたロシアの軍事サプライヤーに、モスクワを拠点とするAMGという企業がある。同社は、2022年のロシアのウクライナ侵攻以来、東京に本社を置く日本の高級工作機械メーカー、ツガミ製のコンピュータ数値制御(CNC)工具の輸入を増やしている。CNC工具は、高精度で高速な金属加工やフライス加工を自動化できるため、防衛産業には欠かせない。
制裁リストによれば、AMGは弾道ミサイル防衛システム、ジェット兵器、ミサイルシステムなど、ロシア向けの兵器システムを開発する企業Kometaの工作機械を入手する契約を結んでいる。ツガミの機械は様々な軍事施設で使用されていることが確認されている。セルゲイ・ショイグ国防相(当時)は2024年3月、国営テレビで、巡航ミサイルの部品を製造するアルタイ地方の工場で、ツガミの機械と思われるものの前にいるところを映された。

税関の文書によれば、AMGは2021年に日本の公式サプライヤーから約60万ドルのツガミ製機器を購入している。その後、侵攻後の2023年には5000万ドルに増加し、増加分はすべて二つの影の仲介業者から購入されている。最初のサプライヤー、アメジーノはアラブ首長国連邦を拠点とする米国公認のサプライヤーで、ウェブサイトはもともとロシアのサーバーでホスティングされていた。二つ目はELEテクノロジーで、米国の工作機械販売会社である「グレイ・マシナリー・カンパニーの一部門」と詐称している。ELEのウェブサイト(本物のグレイ・マシナリー・カンパニーのウェブサイトから盗用したと思われる)は、イリノイ州に倉庫があり、シカゴ・オヘア空港からの送迎サービスを見込み客に提供していると主張している。アメジーノはブローカーであり、ELEのような中国のサプライヤーに、中国からロシアへの商品の発送を委託している。

アメジーノは2023年初頭にELEに270万ドルの商品をロシアに出荷するよう手配している。ツガミは約20年間、中国市場に依存してきた。同社関係者の一人は、世界中に20万台あるツガミのマシンのうち、中国には10万台以上があると推定している。どうやら、中国にある中古の工作機械をロシアに輸出することで、対ロ制裁を回避する動きが広がっているのだ。

さらに、記事は、AMGのオーナーであるエフゲニー・カルポフと結婚しているユリア・カルポワがオーナーを務めるUMICも、イスラエル、日本、韓国、ドイツ、スウェーデン、スイスを含む国々で製造された290万ドルの工作機械と部品を調達している、と紹介している。すべてのケースで、設備は中国から出荷され、中国に拠点を置く取引先を通じて人民元で購入された。UMICはAMGとは異なり、アメリカから制裁を受けていない。彼女はロシアの見本市で、AMG-UMICの屋台に加わってAMGの素材を宣伝しているユリア・カルポワという。

このように、中古の工作機械を中国で調達してロシアに搬入できれば、事実上、制裁を回避できるのだ。

「ファーウェイいじめ」

ここで、アメリカが「死刑」宣告を出した中国のファーウェイ・テクノロジーズ(華為技術、ファーウェイの社名は、「China has promise」[中国には将来性がある]という言葉を縮めたもの)への米政府による「いじめ」を思い出してみよう。

アメリカ政府は「ファーウェイいじめ」をつづけてきた。拙著『サイバー空間における覇権争奪』に書いたように、2018年8月13日、ドナルド・トランプ大統領(当時)は「ジョン・マケイン2019年度国防権限法」(National Defense Authorization Act[NDAA], 2019)に署名する。同法では、米国政府およびその契約者がHuawei Technologies CompanyやZTEコーポレーション(子会社・関連会社を含む)、Hytera Communications Corporation(海能達通信)、Dahua Technology Companyの通信・ビデオ監視設備を購入することが禁止された。法律の発効後、2年以内に実際に禁止が適用される。同年11月、司法省は検察官やFBI捜査官からなる「中国脅威イニシアティブ」を創設し、機密を盗み出そうとする中国政府の試みを発見するために動き出す。2019年1月には、米携帯電話サービス事業者のT-Mobileの子会社であるTappyへのファーウェイの480万ドルの補償金支払いがシアトルの裁判所で下された。知的財産の窃盗がその理由である。同年3月、ファーウェイはテキサス州の裁判所に対し、NDAAの政府機関によるファーウェイないしその設備利用会社との契約禁止に対する訴訟を起こした(5月にはその審理の加速化を要求)。同年5月、連邦取引委員会は中国移動通信(China Mobile)のデラウェア州にある子会社が米国内で海外との間で電話交換サービスを提供する許可を停止させた。中国政府と一体化した同社の活動が米国の安全保障上の脅威となっているというのである。米国政府がとくに気にしているのは、中国の技術で整備された通信設備が中国政府の意図的な実力行使で遮断されることだった。

ZTEやファーウェイなどの中国の通信関連会社などを狙い撃ちした制裁の背後には、同社が中国の「第五世代移動通信システム」(5G)のネットワーク化やAIに深くかかわっていることが関係している。その証拠に、オーストラリア政府は2018年8月の段階で、ファーウェイやZTEの5Gへの設備供給を禁止する方針を示し、2019年1月、ファーウェイ装置を奪われたオーストラリアのオペレーター、1社は5G計画を断念した(オーストラリアの諜報機関は2017年末の段階で、ソロモン諸島とシドニーを結ぶ光ファイバー海底ケーブルのファーウェイによる敷設を許可しなかった過去がある)。ニュージーランド政府の通信安全保障部も5G向けにファーウェイ設備を配備するとの通信事業大手、スパークの申請を2018年11月、却下した。加えて、孟晩舟ファーウェイ副会長兼最高財務責任者が同年12月、カナダで逮捕された。米国政府は彼女がイラン制裁に違反する取引でイランとファーウェイとの関係を偽った容疑などで逮捕状を出しており、米国への身柄引き渡し請求が2019年1月に行われる事態となった。

2019年5月15日には、トランプは米国のコミュニケーション・ネットワークを守るために、ファーウェイを含む特定の外国の供給者とのビジネスを米国の会社が行うことを禁止する権限を連邦政府に与える内容の執行命令に署名した。命令では、商務長官に米国を安全保障上、受け入れがたいリスクにさらすことになる、敵国がコントロールする会社が構築したコミュニケーション技術にかかわる取引を遮断する権限が付与されている。禁止対象の詳細については150日以内に商務省がルールを決める(商務省はすでに使用されているファーウェイ・フォンのソフトウェアのアップデートについては90日間、ファーウェイに供与を継続できることにした)。商務省は米国の部品や技術を政府の承認なしに購入するのを防ぐ、国家安全保障上のブラックリストにファーウェイを収載する。その後、グーグル、クアルコム、インテルなどはファーウェイとの協力を拒否することが明らかになる。 グーグルはスマートフォン用の基本OSであるアンドロイドのサービス更新を行わない(中国国内のアプリの多くはアンドロイドで動いており、その打撃は甚大)。

裏目に出た「ファーウェイいじめ」

6月13日付のThe Economistは、「アメリカのファーウェイ暗殺計画は裏目に出ている」という記事を公表した。それによると、米規制当局は2024年5月、アメリカのインテルとクアルコムというグループに、ファーウェイのノートパソコン用チップを販売することを許可する特別許可を取り消した。
だが、「ファーウェイは生き延びただけでなく、再び繁栄している」と、The Economistは指摘している。2024年第1四半期の純利益は前年同期比564%増の197億元(27億ドル)に急増した。同社は携帯電話事業に再参入しており、通信機器の売上高は再び増加している。その大部分は、製品に含まれる外国の技術を自国の部品やプログラムに置き換えることによって達成されたのである。「ファーウェイを潰すことに失敗したアンクル・サムの攻撃は、ファーウェイをより強くしただけだ」というのがThe Economistの結論だ。

2020年までに、ファーウェイは世界最大のスマートフォンメーカーとなっただけでなく、モバイルネットワーク機器のトッププロバイダーとなり、市場シェアは30%に達したからである。ファーウェイの2023年の売上高は約1000億ドルで、アメリカのハイテク企業オラクルの2倍である。韓国の電話メーカー、サムスンの半分の規模だが、研究開発費ではサムスンを圧倒している(下図を参照)。実際、2023年の研究開発予算230億ドルを上回るのは、アメリカ最大のハイテク企業だけである(アルファベート[グーグルの親会社]、アマゾン、アップル、マイクロソフト)。2023年の利益は約123億ドルで、米通信グループであるシスコシステムズと肩を並べ、モバイルネットワーク事業における主なライバルであるエリクソンやノキアの利益を大きく上回っている。

2023年度の研究開発費ランキング
(出所)https://www.economist.com/briefing/2024/06/13/americas-assassination-attempt-on-huawei-is-backfiring

制裁には熟慮が必要

こうした現実を知ると、「何も知らない政治家」が感情に任せて制裁をしても、その効果には疑問符がつくのである。たとえば、この考察の最初で紹介した報告書『制裁の迷路のなかの世界:岐路に立つ産業政策』では、「ロシアの技術ポテンシャルを急速に高めるという課題は、ロシアの研究開発を強化するだけでなく、ロシア国内だけでなく、外国の管轄区域でも共同生産を展開することで達成できる」と記されている。本気になれば、制裁がかえって「輸入代替」を促進するケースもたしかにある。

つまり、制裁には熟慮が必要なのだ。「能天気な政治家」は制裁を独断で決めてはならない。本当は、拙著『復讐としてのウクライナ戦争』のなかで論じたように、復讐、報復、制裁については、もっと深く哲学的な考察が不可避だと思う。あるいは、実務に詳しいビジネス関係者の専門知識も不可欠だ。

私はごく最近になって、熊谷達也著『むけいびと 芦東山』(潮出版社)を読んだ。芦東山著『無刑論』の存在をはじめて知った。東洋からみた刑罰論は、キリスト教神学に基づく刑罰論とはまったく違う。制裁に対する議論は、キリスト教神学から脱却しなければならないと考えている。誠実に生きたい人はよく勉強してほしい。

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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