【連載】櫻井ジャーナル

【櫻井ジャーナル】2024.08.20 櫻井春彦 :ウクライナのクーデター体制とナチスとの関係を隠しきれなくなった米英支配

櫻井春彦

ウクライナ軍は8月6日にクルスクへ軍事侵攻した。そのとき、ロシア側に配置されていたのは国境警備隊のみで、正規軍の部隊はいなかったという。そのため、ウクライナ軍は抵抗を受けずに進軍できたのだが、現地からの情報を総合すると、ロシア軍は航空兵力で反撃を開始、地上部隊も派遣し、すでにウクライナ軍は大きなダメージを受けて押し戻されている。攻め込んだウクライナ軍は「多国籍軍」だと言われ、実際、アメリカ国旗のワッペンをつけた兵士の写真もある。

​2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権のネオコンが仕掛けたクーデターの際、CIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み​、​傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部の作戦に参加した​と伝えられていた。​2015年になるとCIAはウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練し始めた​。今回の軍事侵攻ではアメリカ、イギリス、フランス、ポーランドの特殊部隊員が戦闘に参加しているほか、イタリアの取材チームが同行。つまり西側へは事前に情報が伝えられていたということだろう。

2022年の秋頃からウクライナ軍はNATO化が進み、偵察衛星が無人機などによって収集された情報がアメリカ/NATOから提供され、兵器の種類によってはオペレーターも送り込まれている。戦場で殺される兵士の大半はウクライナ人だ。ウクライナ人にロシア人を殺させ、漁夫の利を得ようとしているのだが、西側からも戦闘員は投入されている。

アメリカ政府は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを成功させ、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した。そのクーデターでアメリカはネオ・ナチを利用したのだが、その歴史は第2次世界大戦の前から続いている。

中央ヨーロッパには反ロシア勢力が存在し、ナチズムと結びついたのだが、ウクライナではイェブヘーン・コノバーレツィらがOUN(ウクライナ民族主義者機構)を創設、1934年にはポーランドの内務大臣だったブロニスワフ・ピエラッチをワルシャワで暗殺している。

ノバーレツィは1938年に暗殺され、アンドレイ・メルニクが組織を引き継ぐが、この新指導者は穏健すぎると反発するメンバーが若者を中心に現れる。そうしたメンバーは反ポーランド、反ロシアを鮮明にしていたステパン・バンデラの周辺に集まった。このバンデラ派をイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う。

バンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコとミコラ・レベジはポーランド当局に逮捕されていたが、1939年に釈放された。バンデラ派はドイツと結びつき、「汚い仕事」を引き受けた。ウクライナでは90万人のユダヤ人が行方不明になったとされているが、それもOUNが行ったと言われている。

そのOUNの内部では対立が激化、1941年にOUN-M(メルニク派)とOUN-B(バンデラ派)に分裂。ドイツはOUN-Bへ資金を提供、バンデラ派のレベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。ドイツ軍がソ連へ攻め込んだバルバロッサ作戦が始まったのはこの年の6月だ。

ドイツ軍はウクライナのリビウへ入り、制圧。ドイツ軍はウクライナ側の協力を得て6月30日から7月2日にかけてユダヤ人の虐殺を開始。犠牲になった人の数は4000名から8000名だと推測されている。ウクライナ西部に地域を広げると7月に殺されたユダヤ人の数は3万8000名から3万9000名に達するという。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)

その頃にステツコたちはウクライナの独立を宣言、ドイツ側はそれを取り消すように求めるのだが、彼らは拒否。ナチスの親衛隊は7月からOUN-Bのメンバーを次々に逮捕していくのだが、両者の協力関係が消えたわけではない。

ドイツの敗北が決定的になっていた1943年初頭、OUN-Bの武装集団はUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。OUNやUPAの幹部の半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられている。(前掲書)

そうした中、UPAは「民族浄化」に乗り出し、ユダヤ人やポーランド人の殺戮を始める。その方法は残虐で、妊婦の腹を引き裂いて胎児や内蔵を取り出し、脅しのために灌木に引っかけるといったことをしたという。1943年から45年の間にOUN-BとUPAが殺したポーランド人は7万人から10万人と言われている。(前掲書)

バンデラを含むOUN-Bのメンバーはドイツが降伏した後、オーストリアのインスブルックへ逃げ込む。ソ連に追われていた彼らとしては、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国に占領されていたウィーンは危険な場所だった。1945年夏になると、バンデラたちはドイツの情報法機関を統轄することになるラインハルト・ゲーレンに匿われることになる。

クロアチアにもナチスと手を組んだ勢力が存在した。ウスタシだ。この団体は1920年代の後半に創設されたクロアチア人のファシスト団体で、ザグレブの弁護士だったアンテ・パベリッチが率いていた。

17世紀にボヘミアの新教徒が神聖ローマ帝国に対して反乱、「三十年戦争」が始まる。その時に帝国の傭兵として戦ったのがクロアチア人。残虐さで名を轟かせた。

三十年戦争と並行してイギリスでは王党派と議会派が戦い、貴族やジェントリーの主流が支持する王党派が敗北。1649年には国王チャールズ1世が処刑された。

議会派側で戦闘を指揮していたオリバー・クロムウェルはプロテスタントの一派であるピューリタンに属していた人物だが、彼の率いる軍隊はアイルランドやスコットランドで住民を虐殺。彼の仲間はアメリカ大陸で先住民のアメリカ・インディアンを虐殺している。

クロムウェルの私設秘書だったジョン・サドラーは1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中で、イギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張、イギリス・イスラエル主義の始まりを告げている。ここからシオニズムが始まるとも考えられている。

クロムウェルの聖書解釈によると、世界に散ったユダヤ人はパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建することになっていた。この解釈に基づいて彼は政権を樹立し、1656年のユダヤ人のイングランド定住禁止令を解除、パレスチナにイスラエル国家を建国することを宣言したのだが、その後、ピューリタン体制は倒されてシオニズムは放棄される。

クロムウェルを支持する人びとの一部はアメリカへ亡命、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンらはその後継者だと主張したというが、19世紀の終わり近くまでユダヤ人でシオニズムを支持していたのはエリートだけで、大多数のユダヤ教徒はシオニズムを非難していたとされている。

ところで、ナチスと手を組んだウスタシは「民族浄化」を計画、クロアチア地域に住むセルビア人のうち3分の1を殺害、3分の1を追放、3分の1を東方正教からカトリックへ改宗させようとしていた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

イタリアやハンガリーで訓練を受けたウスタシは1941年4月にドイツ軍とザグレブへ入って独立を宣言、6月から8月にかけてセルビア人、イスラム教徒、ユダヤ人らを虐殺している。

ウスタシは殺害の前に拷問するのが常。中にはセルビア人の眼球や臓器をコレクションしている者もいたという。この時にウスタシが何人殺したのかは明確でないが、100万人近く、あるいは約75万人という推計がなされている。言うまでもなく、犠牲者の大半はセルビア人だ。(Jeffrey M. Bale, “The Darkest Sides Of Politics, II,” Routledge, 2018)

大戦後、OUN-Bやウスタシを含むナチズム勢力はアメリカやイギリスの政府機関に保護され、後継者も育成された。1946年にウクライナの反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)へ発展した。

同じ頃にMI6は反ソ連組織の勢力拡大を図り、1947年7月にインテルマリウムとABNを一体化させ、9月にはポーランドのプロメテウス同盟も合流させた。翌年の後半、新装ABNはステツコを中心として活動を開始する。

ABNは1966年にAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。

APACLは1954年に韓国で創設された団体だが、その際に中心的な役割を果たしたのは台湾の蒋介石や韓国の李承晩。日本からは児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部を設置する際には岸信介が推進役になっている。同じ頃、「世界基督教統一神霊協会(統一教会、後の世界平和統一家庭連合)」なる団体も韓国で設立された。当初、WACLの主導権はAPACL系の人脈が握っていたが、1970年代になるとCAL(ラテン・アメリカ反共同盟)が実権を握る。

北方神話を信じるナチズムはバルト3国やスカンジナビア諸国とも結びついている。​最近、エストニアのヨビで、第2次世界大戦時に親衛隊の隊員だったふたりの記念碑が博物館の地下室から持ち出され、再び展示されるようになった​が、これは一例。バルト3国の親衛隊は志願兵で構成され、エストニアの隊員数は7万人だったという。強制されてナチスのために戦ったと弁明しているようだが、違うようだ。

ラトビアでは8万7500名が参加、リトアニアでは隊員のほとんどが警察官として協力、ユダヤ人、コミュニスト、反体制派を襲撃していたという。大戦中、リトアニアでは約90%のユダヤ人がリトアニア人に処刑されたとされている。リトアニアの親衛隊はバルバロッサ作戦にも参加していた。フィンランドだけでなく、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランドにも多くのナチス信奉者がいるのだが、そうした人びとは自分たちを「民主主義者」だとしている。

※本稿は、櫻井ジャーナルhttps://plaza.rakuten.co.jp/condor33/の下記の記事からの転載であることをお断りします。
「ウクライナのクーデター体制とナチスとの関係を隠しきれなくなった米英支配」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408200000/

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