【連載】櫻井ジャーナル

【櫻井ジャーナル】2024.08.23 櫻井春彦 :核兵器を恫喝に使ってきたイスラエル(後)

櫻井春彦

アンワール・サダトはムスリム同胞団と密接な関係にあった。ムスリム同胞団はガマル・アブデル・ナセルの暗殺を試みて失敗、少なからぬメンバーはサウジアラビアなど国外へ逃亡した。
そうした同胞団のメンバーをサダトはカイロへ呼び戻し、サウジアラビアとの同盟を打ち出すとともにアメリカやイスラエルとの関係を修復、その一方で1972年にはソ連の軍事顧問団をエジプトから追い出した。

そのサダトがイスラエルを奇襲攻撃したのだが、彼の背後にはヘンリー・キッシンジャーがいた。
キッシンジャーによると、戦争の初日にサダトは秘密の情報チャンネルを使い、ワシントンに連絡している。(Henry Kissinger, “Crisis,” Simon & Schuster, 2004)

キッシンジャーは戦争でエジプトを勝たせ、サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げ、それと同時にイスラエルへ「和平交渉」に応じるようプレッシャーをかけようと目論んでいた。
この和平とは部分的なもので、国連の242号決議とは根本的に違う。
キッシンジャーもシオニストであることに変わりはなかった。
デイビッド・ロックフェラーもキッシンジャーと同じことを考えていた。
その際、サダトとキッシンジャーをつなぐパイプ役を務めたのがサウジアラビアの情報機関を統括していたカマル・アドハムだ。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

こうしたキッシンジャーの動きにリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツといった後にネオコンと呼ばれる人びとは激怒、統合参謀本部ではイスラエルを助ける方法を探りはじめた。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

一方、ソ連の情報機関は早い段階でイスラエルが核弾頭を使う準備をしている疑いを抱いていた。
その情報はエジプトのモハメッド・アブデル・ガーニー・エル・ガマシ参謀長に伝えられている。
10月9日の朝にはアメリカ政府へもイスラエルが核兵器を使う準備をしていると警告していた。( William Colby, “Honorable Men”, Simon & Schuster, 1978)

この後、アメリカはイスラエルへ物資を輸送して反撃を支援しはじめる。
キッシンジャーがサダトに行った説明によると、核戦争へとエスカレートすることを防ぐためだった。

実際、イスラエルのゴルダ・メイア首相の執務室では核兵器の使用について議論があり、その際、モシェ・ダヤン国防相は核兵器を選択肢として見せる準備をするべきだと発言したという。
アメリカのウィルソン・センターの調査によると、核兵器使用の準備をするという提案はメイア首相が拒否して実行されなかったというのだが、閣議で核兵器の使用が決まったという情報もある。

10月16日にイスラエルの機動部隊が運河を越えてエジプト軍の背後に回り込みはじめ、エジプト陸軍の第3軍が窮地に陥る。第3軍が壊滅したならキッシンジャーの計画は水泡に帰す。

ソ連のアレクセイ・コスイギン首相は16日にエジプトへ飛び、停戦するように説得、キッシンジャーは20日にモスクワへ飛ぶ。
22日にキッシンジャーはイスラエルから停戦の内諾を得るのだが、イスラエルはエジプトへの攻撃をやめない。

10月24日にソ連のアナトリー・ドブルイニン駐米大使はキッシンジャーに対し、米英両国が平和維持軍を派遣してはどうかと提案。
レオニード・ブレジネフ書記長はリチャード・ニクソン大統領宛の手紙の中で、アメリカがソ連と手を組めないのならばソ連は単独で行動すると警告されていた。
(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)戦争当時にCIA長官だったウィリアム・コルビーもそう証言している。(William Colby, “Honorable Men”, Simon & Schuster, 1978)

この直後、キッシンジャーはニクソン大統領に知らせないままWSAG(ワシントン特別行動グループ)を招集して討議。
その会議で、まずニクソンの名前でブレジネフへソフトな内容の返信を送り、その一方でアメリカが核戦争の警戒レベルをDEFCON(防空準備態勢)を通常の5から3へ引き上げるということを決めた。
翌朝、ニクソンはこの決定を追認している。
25日には全世界のアメリカ軍に対して「赤色防空警報」が出されたともいう。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

そうした中、ダヤン国防相は核攻撃の準備を始め、2基のミサイルに核弾頭をセット、目標をダマスカスとカイロに定めている。
当時、イスラエルとの間に一線を引き、武器の供与に消極的だったニクソン大統領に対する恫喝だと推測する人もいる。キッシンジャーはイスラエルに停戦を強く求め、停戦は実現したのだが、イスラエルに「懲罰」を与えることはできなかった。

ニクソン大統領は1974年4月にCIA副長官だったバーノン・ウォルターズを中東へ秘密裏に派遣、PLOのヤセル・アラファトと会談させている。
ウォルターズはアラファトに好印象も持ったようで、そのように報告。
その年の8月にニクソン大統領はキッシンジャーに対し、もしイスラルが国連決議に従わないなら、軍事面も経済面もイスラエルに対する援助を打ち切るつもりだと伝えた。ニクソンが辞任したのはその3日後だ。
ニクソン辞任を受け、副大統領から昇格したジェラルド・フォードはデタント派を粛清、ネオコンを台頭させた。(了)

※本稿は、櫻井ジャーナルhttps://plaza.rakuten.co.jp/condor33/の下記の記事からの転載であることをお断りします。
「ウクライナのクーデター体制とナチスとの関係を隠しきれなくなった米英支配」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408200000/

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