第22回 「亡国日本」へ導く司法の異常事態
メディア批評&事件検証「亡国」とは、国を滅ぼすことを意味する。2005年12月に栃木県日光(当時今市)市立大沢字小学校1年の吉田有希ちゃん(7歳)が下校中に行方不明となり、翌日約60㌔離れた茨城県常陸大宮市の山林で他殺体で見つかった「今市事件」。ISF独立言論フォーラム副編集長の私は、警察、検察の捜査手法と一審の裁判員裁判、控訴審、そして最高裁の在り方や判断こそ、日本の未来を脅かす「亡国」と呼びたい。いったい、どこを向いて職務に当たっているのか。そこを問いかけたい。
栃木県警による違法捜査は、DNA型鑑定結果の改ざんや解剖医を無視した捜査や、有罪を勝ち取るために、解剖もしてない法医学者を出廷させて事実を歪曲するまでに及んだ。犯人の悪事を徹底的に調べるのではなく、最初からあらゆる手を駆使して無実の人とわかっていながら無期懲役にした捜査は許されるものではない。
捜査関係者の逮捕はおろか、その組織の存在すら危ない。検察が一体となって栃木県警を裁判で後押ししていた、いや、裏で糸を引いていたのだから国民の驚きは隠せない。
それだけではない。裁判では、いとも簡単に裁判官たちが騙されたという形だが、取材してみれば、そうではない。前回も指摘したとおり、この裁判は裁判員裁判である。
最初の公判前に裁判所、検察官、弁護人が争点を明確にすること、裁判のスケジュールなどを話し合う公判前整理手続きが開かれる。ところがその公判前整理手続きで、宇都宮地方裁判所は今市事件の捜査本部から嘱託を受けて筑波大学法医学教室の本田克也元教授が執刀した被害女児の司法解剖結果を記した鑑定書を証拠から外した。
証拠採用したのは、司法解剖前に警察官による検視結果などをまとめたものと、本田教授の解剖結果の一部を採用した「遺体の状況及び死因に関する統合捜査報告書」なるものなどであり、従来の鑑定書とは違うものだった。普通こんなことはあり得ない。中立性が担保されていない異常事態だ。なぜ裁判官は、それが普通ではないと気づかないのだろうか。
一連の裁判では、目に余る多くの問題が噴出した。被告が殺人容疑を否認すれば警察官が思いっきり顔を殴って負傷させ、その果てには、取調官を外された。なのに、宇都宮地裁はその後に取調べが行われていないとして違法性を問わなかった。一度暴力を受けて怯えた人間がたとえ長期にわたり調べをされないでも、一度覚えた恐怖は消えないということすらわかっていない裁判官に審理をしてもらいたくない。人権無視も甚だしい。
さらにだ。控訴審では、一審が裁判員裁判だったにもかかわらず、東京高裁は自らイニシアティブをとって殺害場所、日時の大幅な変更を検察に促し、検察が請求するとそれを認めた。しかもそれは、裁判の終盤である。これまでの事例とは明らかに次元が違い、まるで新しい審理対象を提起したのに等しいものだった。
弁護人は、一審を含め、多くの時間を割いて本当の訴訟の対象に向き合うことができないまま防御活動を行ってきたことになるのではないか。まさに弁護権の侵害であり、到底許されるものではない。驚いたことに自判し無期懲役を下した。「亡国、日本」。警察、検察、裁判所の暴走を止めるのはもう、国民の団結しかない。声しかない。
とにかく、この事件の原点である呆れた捜査の内容を検証してみた。栃木県警には、致命的というか、捜査手法に欠陥があるとしか思えない。それは基本的な初動捜査の犯人像の描き方だ。犯人は何を目的にまだ幼い小学1年女児を殺したのだろうか。
「そりゃー性犯罪の果ての殺人に決まってるじゃないか」と決めつけたらバカというほかない。まずありえない。そのために検視を行った後、警察は法医学者に司法死解剖を依頼する。死因や傷口などから凶器なども特定するのだ。その解剖結果を担当した解剖医から説明を受けて初めて犯人像を描いて、それに当てはまる人物がいないか捜査するのが基本だ。
一審の裁判員裁判で検察側が起訴内容を明らかにしたのはこうだった。被告はわいせつ行為をしたくて車で物色。一人で下校中の女児を誘拐して栃木県鹿沼市の自宅であるアパートに連れ込み、わいせつ行為をした。顔を見られたので、未明に車で茨城県常陸大宮市内の山林に連れて行き、女児を裸にして刃物で胸を複数回刺して失血死させた。そのまま山林に捨てたとなっていた。被告は現在、無期懲役が確定した勝又拓哉受刑者。男だ。
ところがだ。被害女児を解剖した筑波大学法医学教室の本田克也元教授の解剖結果では、わいせつ行為の傷などは全くなかった。まず、わいせつ目的ではなかったことが証明された。それに刃物で10回と必要以上に刺すなど猟奇的で、女児に対する愛情の裏返しみたいなものを感じると、これまでに1万体の遺体を鑑定した本田元教授は説明する。
さらに被害女児が抵抗した跡がないことから顔見知りの犯行と推測した。重大なことは、解剖時に何の凶器でできたのか分からなかった顔や首筋の傷が、後に死亡直前につけられたた爪の傷ということが分かった。犯人は女性ということがほぼ判明した。
この記事を読む多くの読者の皆様は、もう気づいたと思うが、捜査側と、女児の司法解剖を行った本田元教授の解剖による結果は違ったということだ。みんな「えっ、どうしてそうなるの?」と驚くかもしれない。でも事実は、皆さんが「あり得ない」と直感した通りだ。
2005年12月2日に遺体は見つかって翌日に解剖しているのに、警察、検察が本田元教授に解剖結果の説明を受けたのは、なんと14年6月3日に殺人容疑で勝又受刑者を逮捕した後だった。正確な解剖結果も知らないでどうやって犯人像をつかんだのか。その行動には首をかしげるしかない。これが栃木県警の殺人事件の犯人割り出しの捜査だ。
そのあと警察、検察が素直に本田元教授の鑑定結果を尊重して起訴を取り消せば、人の人生を狂わすこともなかったし、捜査側が犯罪者になることもなかった。しかし、警察、検察がとった行動は違った。異常だった。当時の警察、検察の担当者らの心に「悪魔」が棲んでいたとしか思えない。
本田元教授の解剖記録を捜査側に都合のいいように変えてもらおうとしたが、元教授から拒まれた。そこからは宇都宮地検が元教授を裁判に出廷させないように画策したのだ。そして一番肝心な被害女児の鼻あたりから頭までぐるぐる巻きにしていた布製粘着テープのDNA型鑑定結果を改ざんした。悪事を一つ始めると、様々なところで辻褄が合わなくなってくる。
宇都宮地検は解剖結果の変更が失敗に終わったので、解剖鑑定書の一部だけを取り入れた「統合捜査報告書」を裁判所に提出し、本田元教授の出廷を拒もうと検察側証人の推薦をしなかった。しかし弁護側が逆に本田元教授を推薦したため、これも失敗。そうなると、検察の打つ手は、本田元教授の解剖内容を潰すしか選択肢はない。
そこで検察は、公判前に裁判所、検察官、弁護人で争点などを話し合う公判前整理手続きで、本田元教授の被害女児の司法解剖の鑑定書を証拠から外させたのだ。そして、被害女児の解剖をしていない別の法医学者に統合捜査報告書に矛盾はないと証言してもらう法医学者2人を検察側証人として出廷させたのだ。
読者の皆様、この宇都宮地検の行動をどう思いますか。事実を自分たちの都合のいいように画策して無実の人を陥れようとしている。これが証拠に基づく犯人追及の捜査でしょうか。これこそがでっち上げ。正義と聞いてあきれ果てる。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。