日航123便墜落事故:日航広報担当者が実名で発信した情報について
社会・経済私の第二弾目の記事「日航123便墜落事故と日航」では、1985年8月13日付の英紙『The Times』の記事を紹介した。当該記事には、日航が発信した情報が掲載されている。
当該記事と翻訳文を、再度以下に掲載する。
●1985年8月13日付『The Times』1面
≪According to JAL, Mr Takahama, who had logged 12,400 flying hours, more than 4,500 on the Boeing 747, said he was attempting an emergeney landing at the US base at Yokota and swung the jet inland off the normal route to Osaka.≫
以下、筆者による翻訳
≪日航によると、高濱さんは米軍横田基地への緊急着陸を試みていると述べ、大阪への通常のルートから外れて内陸へ機体の向きを変えたという。≫
日航が発信し『The Times』に掲載された上記の情報は重要である。
実は、日航広報担当者が実名で発信した情報を掲載した新聞もある。1985年8月13日付の米紙『Los Angeles Times』には以下の通り記載されている。
●1985年8月13日付『Los Angeles Times』
https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1985-08-13-mn-1307-story.html
≪Part of the vertical tail fin of a downed Japan Air Lines jetliner was found in waters outside Tokyo today, 90 miles from the crash site along a route that Flight 123 followed before veering off course. (中略)
Airline spokesman Masaru Watanabe said the tail assembly, part of the vertical stabilizer, was fished out of Sagami Bay about 60 miles southwest of Tokyo by a construction company tanker. (中略)
Also, the part was found on the flight path of the plane, from Tokyo’s Haneda airport to the western city of Osaka, at a point near where it veered northward in an attempt to make an emergency landing, Watanabe said.≫
以下、筆者による翻訳
≪墜落した日航123便が進路からはずれる前の航路沿いの海で、今日、当該機の垂直尾翼の一部が見つかった。発見場所は、墜落場所から90マイル離れている。(中略)
日航広報担当者のワタナベ・マサルさんによると、見つかった垂直尾翼の一部は、相模湾で建設会社のタンカーによって引き上げられたという。(中略)
また、引き上げられた垂直尾翼の一部は、東京の羽田空港から大阪西部の都市までの飛行経路上の、緊急着陸を試みて北に進路を変えた位置の付近で発見されたとワタナベさんは述べた。≫
ワタナベ・マサル氏は「緊急着陸を試みて北に進路を変えた」と述べている。日航には事故の当事者として、ワタナベ氏の発言について詳しく説明する責任があるだろう。
ところで、海外では、羽田空港管制室職員が実名で発信した情報も報じられている。1985年8月12日付のカナダ紙『Ottawa Citizen』には、以下の通り記載されている。
●1985年8月12日付『Ottawa Citizen』
https://news.google.com/newspapers?nid=QBJtjoHflPwC&dat=19850812&printsec=frontpage&hl=en
A10面
≪Japanese news reports said the pilots of a U.S. Air Force C-130 cargo plane and a Japanese Air Self Defence Force plane reported seeing a plane afire in flight before the crash.
(中略)
Kyodo news service quoted unnamed witnesses as saying they saw a plane make a long turn and then saw “red and black flames.”
Toshimune Okitsu, an official of the air traffic control office at Tokyo’s Haneda airport, confirmed that Flight 123 had disappeared from radar and said authorities were trying to determine whether its disappearance was related to the reports of a plane on fire.≫
以下、筆者による翻訳
≪日本の報道によると、米空軍C-130輸送機と航空自衛隊の飛行機のパイロットは、墜落前、飛行中に飛行機が炎上しているのを目撃したと報告した。
(中略)
共同通信によると、複数の匿名の目撃者が、飛行機が長い旋回をするのを目撃したあと、赤色と黒色の炎を見たという。
羽田空港管制室職員のオキツ・トシムネさんは、123便がレーダーから消失したのを確認し、その消失と、飛行機が炎上しているという報告に関連性はあるのか当局が確認中であると述べた。≫
海外の新聞では、オキツ・トシムネという人物の発言が報じられていたのである。ところが、私が調べた限りでは、事故翌日の日本国内の新聞にオキツ・トシムネという人物は出てこない。
なお、運輸振興協会発行の雑誌『トランスポート』1987年9月号には、沖津俊宗氏による以下の発言が掲載されている。
≪忘れられないのは、やはり一昨年八月のJAL一二三便の事故で、あのとき私はちょうど夜勤で、夕方五時に勤務に入ったんです。 とにかくレーダーから消えたということで、その数分後にはあらゆる電話がジャン、ジャンと鳴り出して、取っても取っても追いつかない。≫
上記の発言から、『Ottawa Citizen』の記事に出てくるオキツ・トシムネ氏は、沖津俊宗氏のことであるとわかる。沖津氏には、事故当日の記憶を改めて発信していただきたい。
当時の関係者たちが一刻も早く真相を述べてくれることを願っている。
付記:ARRS(航空宇宙救難回収隊)のC130輸送機について
実は、『迷走:ドキュメント日本航空』という書籍に、米軍のARRS(航空宇宙救難回収隊)というレスキューチームのC130輸送機に関する情報が書かれている。具体的には以下の通り記載されている。
≪横田基地では、いまだにその存在さえ極秘にされている“第36ARRS”(航空宇宙救難回収隊)が、待機した可能性があるという。
ARRSとは聞き慣れない名前だが、軍事評論家のガブリエル・中森氏によれば、
「地上でのピンポイントを確認できるSARサット(捜査救難衛星)と中継・連動して救難活動を行う最新鋭のレスキュー・チーム」
というのである。
最新のエレクトロニクス・システムを塔載したARRSのC130輸送機は、大量のレスキュー部隊を運ぶだけでなく、SARサットからの情報を受信。それによって、救難ヘリや地上に降下したレスキュー・チームに指令を出す重要な司令機の役割りを担っている。
このC130輸送機は、緊急救難が予想される場合、まず最初に飛び上がるという。今回の日航機事故の場合も、スコーク77発信と同時に、横田基地を発進し、事故機を上空で捕捉。墜落現場も確認済みだったのではないかとの見方さえされている。≫
「事故機を上空で捕捉」という情報は、本文で紹介した『Ottawa Citizen』の記事の内容とも辻褄が合う。当該情報が事実かどうか検証する価値は、十分あるのではないだろうか。スローニュースや産経新聞などの報道機関には、真相解明に向けて、この情報を深掘りしていただきたい。
なお、『迷走:ドキュメント日本航空』には、自衛隊調査学校に関する情報も掲載されている。その情報については、私が青山透子氏に情報提供したところ、青山氏は自身の新著『日航123便墜落事件 隠された遺体』の補遺で、当該情報を取り上げてくださった。詳しくは『日航123便墜落事件 隠された遺体』または『迷走:ドキュメント日本航空』をお読みいただきたい。
付記その2:フジテレビの第一報について
私の第七弾目の記事「他社に先がけて第一報を流したのはフジテレビだった」および第八弾目の記事「123便が18時40分ごろレーダーから一時的に消えた可能性について」では、フジテレビが18時台に事故の第一報を流した可能性について述べた。
今回、この可能性の裏付けとなり得る資料を発見したので紹介する。『現代』1985年10月号に、事故の犠牲となった山登道雄さんの妻・文恵さんが事故を知った経緯について、以下の通り記載されている。
≪妻の文恵さん(37歳)は、フジテレビのニュース速報を見た姉から七時前後に電話が入り、日航123便の遭難を知り、ビックリする。すぐNHKに回すと、乗客名簿の中に同姓同名の人がいた。≫
やはり、フジテレビが第一報を流したのは18時台だったのではないだろうか。当時フジテレビアナウンサーだった露木茂氏には、事故当日の記憶を改めて発信していただきたい。
【参考文献】
• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故と日航(市民記者記事・小幡瞭介)”. ISF独立言論フォーラム. 2024年1月31日公開. https://isfweb.org/post-32774/ (参照 2024-09-06)
• “All 524 on board feared dead in Japanese air crash”, The Times. August 13, 1985. p.1.
• “Part of Tail Section Found Along Doomed Jet’s Route : 4 Survivors Were Seated in Row 54”. Los Angeles Times. 1985-08-13, Los Angeles Times. https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1985-08-13-mn-1307-story.html (参照:2024-09-06)
• CP. “524 feared dead in jet crash”. Ottawa Citizen. August 12, 1985. p.1. p.A10. https://news.google.com/newspapers?nid=QBJtjoHflPwC&dat=19850812&printsec=frontpage&hl=en (参照 2024-09-06)
• 運輸振興協会. 座談会 やり遂げたときの充実感 ──航空保安業務に携わって──. トランスポート. 1987. 9月号. p.14-22.
• 石飛仁、竹田遼. 迷走:ドキュメント日本航空. 経林書房. 1985. p.57. p.62-63.
• 青山透子. 日航123便墜落事件 隠された遺体. 河出書房新社. 2024. p.270-272.
• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故:他社に先がけて第一報を流したのはフジテレビだった”. ISF独立言論フォーラム. 2024年8月1日公開. https://isfweb.org/post-40914/ (参照 2024-09-06)
• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故:123便が18時40分ごろレーダーから一時的に消えた可能性について”. ISF独立言論フォーラム. 2024年8月7日公開. https://isfweb.org/post-41293/ (参照 2024-09-06)
• 長尾三郎. 松下、電通、住銀ほか ビジネス戦士“運命への軌跡”. 現代. 1985. 10月号. p.78-91.
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