【連載】櫻井ジャーナル

【櫻井ジャーナル】2024.09.05 櫻井春彦 :欧米に操られてロシアと戦う道を選んだゼレンスキー政権の閣僚が相次いで辞任

櫻井春彦

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権が沈没しそうだ。​イリーナ・ヴェレシュチュク副首相兼再統合相、オルハ・ステファニシナ欧州・欧州大西洋統合担当副首相、アレクサンドル・カムイシン戦略産業相、デニス・マリウスカ法相、ルスラン・ストリレツ環境相がウクライナ議会に辞表を提出、また大統領はドミトリー・クレーバ外相を含む複数の高官の解任も検討しているという。​そのほかウクライナ国有財産基金(SPFU)のヴィタリー・コヴァル総裁も辞表を提出、デニス・シュミハリ首相の解任も噂されている。

ゼレンスキー大統領は2月8日にバレリー・ザルジニー軍最高司令官を解任し、後任にオレクサンドル・シルスキーを据えた。
ザルジニーは兵士の犠牲を少なくする作戦を採用しようとしていたが、米英政府の意向を受けたゼレンスキーは「玉砕攻撃」を繰り返させようとしてきた。
アヴデフカでの戦闘でザルジニーは全面撤退を計画していたという。

ゼレンスキーはイギリスの対外情報機関MI6のエージェントだと言われているが、昨年11月1日付けエコノミスト誌にザルジニーが「戦闘は膠着状態にある」とする論説を発表した段階で欧米支配層の内部にゼレンスキー下しの動きがあると言われていたが、その一方でロシア領内への攻撃を求める勢力も存在する。

2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権はウクライナでクーデターを仕掛けた。
その手先がネオ・ナチだが、指揮していたのは副大統領だったジョー・バイデン、国務次官補だったビクトリア・ヌランド、そして副大統領の国家安全保障担当補佐官を務めていたジェイク・サリバンだ。
2021年1月にバイデンが大統領に就任するとサリバンは国家安全保障補佐官になった。
ヌランドは同年5月から国務次官に就任するが、今年3月に辞任している。

ヌランドは父方の祖父母がウクライナからの移民で、夫はネオコンの重鎮であるロバート・ケーガン、義理の弟はフレデリック・ケーガン、フレデリックの妻はISW(戦争研究所)を設立したキンベリー・ケーガン。
マデリーン・オルブライトやヒラリー・クリントンと親しく、ビル・クリントン政権でアメリカをユーゴスラビア侵略へと導いた仲間。アントニー・ブリンケン国務長官の父方の祖父もウクライナ出身だ。

サリバンはエール大学出身で、ローズ奨学生としてイギリスのオックスフォード大学へ留学している。
奨学金はオックスフォード大学の大学院生に与えられ、学費を支払うローズ・トラストは1902年にセシル・ローズの意志で創設された。

ローズはナサニエル・ド・ロスチャイルドの資金でダイヤモンドや金が発見された南部アフリカを侵略して財を築いた人物で、優生学を信奉していた。
ローズは1877年6月にフリーメーソンへ入会、その直後に書いた『信仰告白』で彼はアングロ・サクソンは最も優秀な人種であり、その居住地が広がれば広がるほど人類にとって良いことだと主張している。
領土を拡大して大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務であり、領土の拡大はアングロ・サクソンが増えることを意味するとしている。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877)

セシル・ローズの時代からイギリスはロシア征服を目指していた。
そのためにユーラシア大陸の周辺を海軍力で支配、傭兵を組織しながら内陸を締め上げる戦略を進めている。1991年12月のソ連消滅でこの戦略はほぼ達成できたとアメリカやイギリスの支配層は考えたのだが、21世紀に入ってからロシアが再独立、そこで米英はロシア再征服を目論む。

アメリカをはじめとする西側諸国がウクライナ制圧作戦を本格化させたのは2004年から05年にかけての「オレンジ革命」からだ。
ウクライナはそれまで中立政策を掲げていたが、それを変えさせて西側の私的権力に従属する体制を築こうとしたのだ。
そこで中立政策を進めようとしたビクトル・ヤヌコビッチを潰すために「オレンジ革命」を仕掛けた。

その「革命」で大統領に就任したのは西側の傀儡だったビクトル・ユシチェンコ。
この政権は新自由主義政策を推進、不公正な政策で貧富の差を拡大させたことからウクライナ人の怒りを買い、2010年の大統領選挙では再びヤヌコビッチが勝利した。
そこでオバマ政権は2013年から14年にかけてネオ・ナチを利用したクーデターを実行、西側資本の属国にしたわけである。

このクーデターをヤヌコビッチの支持基盤だった東部と南部は拒否、クリミアはロシアの保護下に入り、ドンバスでは武装闘争を始めた。
軍や治安機関の約7割は新体制を拒否したと言われているが、クリミアの場合は9割近い兵士が離脱したと伝えられている。
そこで西側はキエフ体制の戦力を増強するために必要な時間をミンスク合意で稼いだ。

2014年に誕生してからキエフ体制は欧米の傀儡にすぎず、22年春にはドンバスへの大規模な軍事攻勢を計画していたことがわかっている。
その直前にロシア軍はウクライナ軍に対する攻撃を始めたが、すぐにゼレンスキー政権はロシア政府と停戦交渉を開始した。
それをイギリスとアメリカが止めさせたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。

米英はウクライナを使ってロシアを疲弊させ、あわよくばロシアを屈服させようとしたのだが、思惑は外れた。
西側の有力メディアの宣伝とは違い、ウクライナは劣勢になり、欧米諸国はウクライナへの軍事支援をエスカレートさせなければならなくなる。そしてウクライナだけでなくNATOの兵器庫は空になった。
こうした状況になっても戦争を継続させようとしている勢力がアメリカやイギリスには存在する。

今年8月6日、アメリカとロシアが「捕虜交換」をした直後、ウクライナ軍は1万人から3万人の部隊をスーミからロシアのクルスクへ軍事侵攻させた。
ドンバスから戦力を割いたほか、アメリカ、イギリス、フランス、ポーランドの特殊部隊、そして各国から集められた傭兵が参加、この作戦を立てたのはイギリス軍だとも言われている。

その当時、クルスクに配備されていたのは国境警備隊だけ。
装甲車両を連ねた部隊に対抗することはできなかった。
西側では喝采が贈られていたが、軍事に多少でも興味のある人なら、ロシア軍の反撃で侵攻軍が壊滅的な打撃を受けることは見通せたはずだ。

実際、ロシア軍は航空兵力に続いて予備兵力も投入、ウクライナ軍を押し返している。
ウクライナ軍がクルスクへ送り込んだ貴重な戦闘車両は破壊され、虎の子の部隊では多くの死傷者が出た。
ウクライナ側はクルスクを防衛するためにドンバスで戦っている部隊の一部を移動させると考えていたようだが、予備兵力を投入しただけ。
その結果、ドンバスでロシア軍の進撃速度が早まった。
しかもクルスクではロシア軍の反撃でウクライナ軍は壊滅状態だ。

ロシア壊滅を目論んで失敗した西側各国は責任をゼレンスキー大統領に押し付けて逃げようとしている。
ゼレンスキー政権が崩壊し始めたのはそのためだろう。

※本稿は、櫻井ジャーナルhttps://plaza.rakuten.co.jp/condor33/の下記の記事からの転載であることをお断りします。

「欧米に操られてロシアと戦う道を選んだゼレンスキー政権の閣僚が相次いで辞任」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408200000/

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