【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(55):国家による監視と地政学(上)

塩原俊彦

 

「監視社会」というとき、その主体となりうるのは、国家であったり、テック企業であったりする。ここでは、国家による監視の現状について論じてみたい。

「ペガサス」の怖さ

2019年8月刊行の拙著『サイバー空間における覇権争奪』では、監視社会について詳しく考察したことがある。ここでは、そこでも紹介した「ペガサス」について改めて考えてみたい。いまでも、監視手段として重要な役割を果たしているからである。

ペガサスはイスラエルのNSOグループによって、2000年代に入って、販売されるようになった追跡システム、すなわちスパイウェア(監視やデータ抽出を目的として、インターネット対応の標的デバイスへの不正なリモートアクセスを容易にするソフトウェア)である。「ペガサスはiPhone、Androids、BlackBerry、Symbian systemsを含む多くのスマートフォンに狙いを定めて、テクストメッセージはもちろん、連絡リスト、履歴、e-mail、GPS情報などを盗み出す能力をもつとされる」と拙著において紹介しておいた。ほかにも、「写真をとったり、リアルタイムに情報を送信したりすることもできる」。アップル、グーグルなどのスマートフォンはデータ保護のために暗号を利用しているが、NSOグループのスパイウェアが情報を盗める背景には、ソフトウェアの知られていないバグのような欠陥を利用している可能性が高い。

NSOグループのスパイウェアの輸出には、イスラエル国防省の許可が必要である。ゆえに、イスラエル政府を通じて、米国政府もイスラエルの民間企業によるスパイウェアの利用状況について米国のNSAなどが熟知しているとみて間違いない。

NAO以外にもスパイウェア

スパイウェアの実態について垣間見えたのは2023年4月11日付のWPによってであった。「イスラエルの別のスパイアプリが10カ国に販売されたと研究者らが発表」という記事が公表されたのである。記事によると、NSOのほかにも、NSOの元従業員によって2016年に設立されたQuaDreamなる会社があり、ハッキングツール「QuaDream」を販売している。記事は、「マイクロソフトと非営利団体Citizen Labが4月11日に公開した調査によると、イスラエルの秘密主義のスパイウェア会社は少なくとも10カ国に顧客を持ち、そのハッキングツールは少数政党の政治家やジャーナリストに対して使用されていることがわかった」と伝えた。

トロント大学を拠点とするCitizen Labは、5人の被害者を発見した。サウジアラビア、メキシコ、シンガポールなどの顧客がメディアによって確認されたという。Citizen Labは、当時、「ブルガリア、チェコ共和国、ハンガリー、ガーナ、イスラエル、メキシコ、ルーマニア、シンガポール、アラブ首長国連邦(UAE)、ウズベキスタンにQuaDreamのサーバーがあることを確認した」と報じられている。どうやら、政府側が反政府勢力の動向を監視するためにスパイウェアを配備しているようだ。

つまり、QuaDreamは、スパイウェア「ペガサス」を製造しているライバル、NSOグループと同様に、政府機関にスパイウェアQuaDreamを販売している。同社はNSOとは異なり、ほとんど目に見える企業活動はしておらず、イスラエル国外に拠点を置く再販業者(とくにキプロスのInReach社)を通じて取引することで、「輸出許可の必要性を回避することができる」と書かれている。

さらに、2021年、QuaDreamとNSOは、同じiPhoneのソフトウェアの欠陥を利用して、ユーザーの操作なしに、データを取得し、通話を記録し、カメラを密かに起動させるスパイウェアをインストールしたとして告発されたという(アップルは、すぐにユーザーに警告を送り、欠陥を修正済み)。

全体像をめぐる報告書

2024年9月4日には、スパイウェアの世界的な拡散への懸念から、1992年から2023年までの49のベンダー、36の子会社、24のパートナー企業、20のサプライヤー、および32の持株会社、95の投資家、179人の個人(多くの名前があがった投資家を含む)の情報を含む、付随するデータセットの分析をした報告書「神話の獣とその居場所:世界のスパイウェア市場と国家安全保障と人権への脅威のマッピング」が公表された。

同報告書はスパイウェアの深刻な拡散を知るための現時点での必読の資料と言える。世界195か国のうち、少なくとも80か国が商業ベンダーからスパイウェアを購入していることが確認されているとか、EU加盟27か国のうち14カ国がNSOグループというたった1社のベンダーからスパイウェアを購入している――といった指摘を知ると、事態の深刻さがわかるだろう。

報告書によると、現状では、①三つの主要管轄区域(イスラエル、イタリア、インド)への事業体の集中、②複数のベンダーにわたる連続起業、③スパイウェアとハードウェア監視ベンダー間の提携、④定期的に変更されるベンダーの身元、⑤戦略的な管轄区域の変更、⑥この市場を活性化する国境を越えた資本移動――という六つの特徴がある。

これらの傾向は、Ⓐスパイウェア販売市場全体の透明性を高める、Ⓑスパイウェア供給者側の行動制限を回避しようとするベンダーの管轄区域裁定取引を制限する、Ⓒサプライヤーと投資家の関係をより効果的に精査するための政策提言――の必要性を高めている。

すでに、2023年3月、アメリカは初めて、米政府機関による「商業用スパイウェア」の使用を禁止することを提案した。大統領令14093号に基づき、バイデン政権は国家安全保障に重大な脅威をもたらす商業スパイウェアの運用使用を禁止した。同月には、アメリカとその他の数カ国が「商業スパイウェアの拡散と悪用に対抗するための取り組みに関する共同声明」に署名し、 商業用スパイウェアの拡散と悪用に対抗するために共同で取り組む」ことを誓約した。

2024年3月、米国財務省外国資産管理局は、BIS エンティティリストにも記載されている複数の企業に対して制裁を科した。同年4月、米国務省は「商用スパイウェアの悪用に対する説明責任を促進する」ためのビザ制限政策を発表した。これは2021年の法律の文言を拡大したもので、新たな制限は、商業用スパイウェアの開発や販売に関与した個人とその直系家族に適用される。「執筆時点で、身元が公開されていない13人の個人がこの措置の対象となっている」と報告書は書いている。

2024年8月29日には、「ロシアのハッカー容疑者が一連のウェブサイトを侵害し、NSO GroupやIntellexa Consortium(スパイウェアPredatorで有名)が作成したものと不気味なほどよく似た高度なスパイウェアを悪用している」という記事が公表された。Googleの脅威分析グループは、ロシアの悪名高いAPT29 Cozy Bearギャングが行ったと思われる最近の一連のハッキングキャンペーンに関する調査結果を発表したのである。そこには、「モンゴル政府のウェブサイトに対する攻撃において、ロシアの支援を受けたAPT29がIntellexa(2018年に創設者タル・ディリアンを中心に結成されたグループ)やNSOと同じ不正プログラムを使用している疑いがあることが判明した」と書かれている。

最近のペガサス被害
最近明らかになったペガサス被害をみてみよう。独立系メディアである「メドゥーザ」は、「2023年9月、メドゥーザの発行人であるガリーナ・ティムチェンコの携帯電話に、何者かがペガサス・スパイウェアをインストールしたことが明らかになった」と報道した。その後、ヨーロッパに住むロシア、ベラルーシ、ラトビア、イスラエルの市民である数十人のロシア語を話すジャーナリストや活動家のデバイスをテストし、少なくとも7人がペガサスの攻撃を受けたことがわかったという。

2024年2月、WPは、「デジタル著作権団体、ヨルダンのペガサス・ハッキング被害者35人を特定」という記事を公表した。2023年10月31日付のWPは、「アップルは、野党の政治家やジャーナリストを含む少なくとも20人の著名なインド人に対し、彼らが国家によるサイバー攻撃の標的であると警告した」と報じだ。2021年、ペガサスのユーザーによる監視対象の可能性があるリストが流出し、数百のインドの電話番号が見つかり、リストには、野党指導者ラーフル・ガンディー、ジャーナリスト、高級官僚、最高裁判事の電話番号が含まれていたというのだ。
こうした報道からわかるように、権威主義的国家は、その反対勢力に対して露骨な監視を行っているケースが数多くみられる。

アメリカ政府による監視

だが、自由・民主主義を標榜するアメリカという国家もまた監視を縦横無尽に行っていることを忘れてはならない。
悪名高いのは、リチャード・ニクソンとJ・エドガー・フーバー元FBI長官が、「コインテルプロ」(COINTELPRO)と呼ばれるプログラムを通じて、キング牧師を含む大統領の政敵や活動家を監視したことだろう。FBIのサイトによると、FBI は1956年、アメリカ共産党の活動を妨害するためにコインテルプロ(防諜プログラムの略)を開始した。1960年代には、クー・クラックス・クラン、社会主義労働者党、ブラックパンサー党など、他の多くの国内グループにも拡大された。1971年、すべてのコインテルプロ活動は終了した。

コインテルプロは盗聴だけでなく、内部文書を入手するために行われる強盗までを含んでいた。「少なくとも1万軒のアメリカ人家庭が、司法令状なしにFBIによる不法侵入を受けている」との情報もある。

近年では、「サイバー空間」におけるデジタル情報をめぐる監視が問題となっている。たとえば、拙著『サイバー空間における覇権争奪』では、つぎのように書いておいた。

「米国でサイバー空間上での情報の傍受(盗聴)の必要性が強く意識されるようになったのは2000年以降のことである(盗聴自体を認める法律は1968年に制定済み)。デジタル通信による電話盗聴の困難から、法執行のためのコミュニケーション支援法(CALEA)が1994年10月に制定され、1995年から施行されていたのだが、2003年になってFBIが音声を符号化・圧縮・パケット化してインターネットプロトコル(IP)ネットワークで伝送する技術やインターネット上での音声会話に対しても盗聴可能とする支援を通信事業や通信設備メーカーに求めたのである(1994年の法律制定もFBIの圧力で実現された)。それとは別に、2005年12月16日付ニューヨーク・タイムズによって、2002年のジョージ・W・ブッシュの大統領令に基づいて、過去3年間にわたって米国内の人々の海外へのe-mailなどがNSAによって令状なしに監視されてきたことが明らかにされた。海外のテロリストと米国内の人々との情報交換を盗聴してきたのである。2004年のアテネ五輪のころ、ヴォーダフォン・ギリシャはエリクソン社から電話交換機を購入したが、これによって政府高官の携帯電話への盗聴が1年近く行われたことがわかっている。

2007年8月5日、ブッシュは米国に害をなそうとするテロリスト情報を取得するためのもっとも重要な手段を諜報機関に提供するために外国諜報監視法を「現代化」したアメリカ保護法に署名した。6カ月だけだが、一方の通信末端が「米国外にあると合理的に信じられる」場合に令状なしの盗聴が認められた(2018年2月17日にこの法律は失効した)。このように2001年9月11日の同時多発テロ以降、米国は情報傍受の新たな段階に入った。」

監視国家アメリカ

最近のアメリカ政府の監視活動の話をしよう。2024年6月24日付のWPの記事「法執行機関が何千ものアメリカ人の郵便物をスパイしていることが、記録から明らかになった」は驚くべき内容である。議会の調査に応じてWPに独占的に提供された10年分の記録によると、郵政公社職員は2015年以降、連邦捜査官や警察官から6万件以上の開示要請を受けており、断ることはほとんどないというのだ。つまり、米国郵政公社は過去10年間、毎年何千通ものアメリカ人の手紙や小包の情報を法執行機関と共有し、裁判所命令を必要とせずに箱や封筒の外側から名前、住所、その他の詳細を伝えてきたのである。

WPは、データによれば、各要請は、個人や住所宛に送られた、あるいはその住所から送られた郵便物の数日から数週間分をカバーすることができ、「97%の要請が承認された」と書いている。記録によれば、郵便検査官は2015年から2023年の間に31万2000通以上の手紙や小包を記録している。郵政公社の法執行部門である米国郵政検査局は、過去4年間、郵便局検査官や法執行当局からの15万8000件以上の要請を承認していたことを明らかにした。国税庁、FBI、国土安全保障省が上位の要請者であったという。
これが帝国主義アメリカの「現実」なのだ。私が『帝国主義アメリカの野望』(下の写真)を書いた理由も理解してもらえるに違いない。

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トランプが目論む監視

「もしドナルド・トランプが大統領選に勝利すれば」(「もしトラ」)、米政府による監視は強化されるだろう。「ドナルド・トランプは2期目でどのように米国の監視を武器化しうるだろうか」という記事に書かれた内容を紹介しよう。

記事では、「両党(民主党と共和党)の政権は、「国家安全保障」という言葉を持ち出し、国家安全保障の抜け穴を利用して、監視やプロファイリングを正当化してきた。国家安全保障を口実に、イスラム教徒や有色人種、移民をターゲットにした法執行があまりにも頻繁に行なわれてきた」という、アメリカ自由人権協会の国家安全保障プロジェクトの副ディレクターであるパトリック・トゥーミーの発言が紹介されている。

つまり、「国家安全保障」を名目にすれば、監視強化は簡単にできる。しかも、「政府は、令状なしにアメリカ人を監視する正当な理由を考え出す必要さえないかもしれない」と、記事は書いている。「連邦政府は過去にも民間ブローカーからデータを購入したことがあり、その際には令状は必要ない」からである。こうしたアメリカの現実があるからこそ、「政敵、活動家、移民、妊娠中の人々を監視するにしても、第二次トランプ政権が監視権限を利用して国民をより統制する方法はたくさんある」とまで指摘しているのだ。

わかってほしいのは、監視国家として有名な中国だけでなく、アメリカもまた国家レベルでの監視体制をもち、それを実践的に運用しているという事実だ。
2013年夏、エドワード・スノーデンが「プリズム」と呼ばれる、検索履歴、e-mailの送受信履歴、その内容、ファイル転送先、ライブ・チャットを含む情報をアメリカの国家安全保障局(NSA)職員が収集するシステムの存在を明らかにした結果、EU加盟国の個人情報も秘密裏に米国政府によって収集されていることがわかったことを思い出してほしい。その本質はいまでも基本的まったく変わっていないのだ。

「知られざる地政学」連載(55):国家による監視と地政学(下)に続く

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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