登校拒否新聞2号:モデルマイノリティ

藤井良彦(市民記者)

幻冬舎ゴールドオンラインが「不登校だった息子の”ありがとう”に思わず涙した母親 悩み抱える親子に「フリースクール」という選択肢」という記事を配信した。本号でお伝えするのはYahoo!ニュースで9月9日午後6時2分付で配信されたヴァージョンだ。というのもコメント欄の論調が二手に分かれていて興味を惹くからだ。

https://gentosha-go.com/articles/-/62981?page=1

https://news.yahoo.co.jp/articles/1b73f3006f1c5bd063be351053c073ddb149f7fd?page=1

記事の内容は「中学1年生の終わりから不登校となり、約2年間引きこもり状態に。しかしながら、中学3年生の秋からフリースクールに通い、通信制高校を卒業。今春、都内の難関私立大学に現役合格した」という一文に尽きる。特徴的なのは、この通信制高校というのがフリースクールと連携していることだ。「東京都では今年からフリースクールの利用料について月2万円を上限に助成し、フリースクールの利用を後押ししている」という中で、フリースクールの一例を記事として取り上げたということだろう。

記事の見出しには「難関私立大学に現役合格」とあるけれども学校名は明かされていない。高校のサイトには私立大学への進学実績として、亜細亜大学、江戸川大学、桜美林大学、金沢学院大学(2名)、関東学院大学、京都女子大学、京都精華大学、群馬パース大学、佐久大学、実践女子大学、上智大学、大東文化大学、高崎健康福祉大学、帝京大学、東京農業大学、文教大学、前橋共愛国際大学、松本大学、名城大学と、あいうえお順に並んでいる。校舎のある長野県上田市は大正時代から自由教育の実践で有名な所だ。広域通信制とはいえ、本校に通学するコースも用意されている。

記事は1件の実例を報じているに過ぎない。高校名は出ているが大学名は出ていない。本人はもとより匿名である。高校の紹介記事かと思っていたところ、Yahoo!ニュースのコメント欄を見ていて二つのことに気がついた。一つは上に述べたように論調が二手に分かれているということだ。「ヤフコメ民」というジャーゴンがある。あまり民度は高くないと聞く。しかし流し目で読んでいても興味深い意見がいくつかある。たいていの場合、サイト側が用意している「エキスパート」の意見よりも1桁、あるいは2桁も多い反応を得ている意見が複数ある。「みんなの意見はけっこう正しい」というWeb 2.0の理念が生きているのだ。その中に再現性を問題にした意見のあることに気がついた。私なりに整理してみると、みんなの意見はこの問題をめぐって二極化していることになる。

記事には100件を超えるコメントが付いてるがコメ削も多いから数は目安である。これから引くコメントも消える可能性があるから、その点は留意して欲しい。私自身、この文章を書きながら昨日まであったはずのコメントがなくなっていることに気がついて焦っている。
いちばん反響を得ているのは「中学2年間不登校、通信制高校出身のものです」という方のコメントだ。匿名なので、誰というわけではないけれども私と同じような例である。通信制高校では大学受験相当の勉強が教えてもらえず自分なりに勉強して大学に進学したという話。私個人の話としては、やはり通信制では進学の具体的なイメージも湧かない中(だいたい半数近くが中退する)、安易に指定校推薦の枠を使って大学を選んでしまったことを悔やんでいる。「多様」「学び」というジャーゴンがはびこる中、蛍の光を集めて勉強しているような苦学の体験談がいちばん「いいね!」を獲得した。

匿名だが次のような例は興味深い。

「20年くらい前の話だけど、中学時代不登校になった。当時もフリースクールはあったのか、田舎だったしわからないけど、私は親の働きかけもあって中2の2学期から卒業まで保健室登校をしていて、自分含め3~4人が机並べて自習して給食食べて帰ってた。そこが居場所になって救われたのを思い出す。今は不登校が増えててフリースクールの話題がよく出るしそういう選択肢があって良いとは思うけど、保健室登校はやらなくなったのかな、とふと疑問に思う。学校の方針や教員の負担もあるのかなとは思うけど、保健室にだけでも行けることで「学校に行けた」という自信がついたというのもあったので。」

保健室登校や校長室登校を「不登校」のグレーゾーンとして問題化した教育社会学者がいた。教育社会学の一つの定説と言ってもいいかもしれない。しかし、どちらも出席点がつく立派な「登校」なのだ。「中学時代に不登校→別室登校をしていました」(匿名)というように保健室登校や校長室登校をひっくるめて別室登校と括る言い方もある。それらをグレーゾーンとしていたずらに「不登校」の側に引きつけるのは研究者の恣意である。似たような見方として「30日未満の「隠れ不登校」「不登校傾向」の児童生徒はどれくらいいるのか?」(匿名)という意見も出ている。「30日」というものは教育行政における長期欠席の定義を言っている。この点はややこしい問題が伏在してるので、また別の号で扱うことにしよう。

MOCHIMOCHIさんの意見は親の立場から。

「フリースクールはいくつか体験しましたが、まず値段が5万から7万で高い。電車で2駅の場所に1か月お試し体験したのですが、学校ではないので通学定期券が使えず、一般料金の定期代がかかりました。また、娘はよくしゃべり、オシャレ大好き女子のため、コミュニケーションが苦手な子が多くて全く合いませんでした。また、フリースクールが出席日数にはなったとしても、学校に行ってない時点で内申はオール1でした。(学校によって違うかもですが)結局フリースクールがわりに塾に週4で通っています。塾のご厚意で授業がない日も4時間通って自習するようにしてくれています。結局は、その子の居場所になるなら、フリースクールでも保健室でもサークルでも塾でも何でもいいのかなと思います。ただ、フリースクールは高いので行きたくても行けないご家庭はたくさんあると思うのでそのあたりは国にも考えてほしい。」

フリースクールにも合う子と合わない子がいるようだ。出席点がついてもオール1という落とし穴もある。そこで塾に収まった。フリースクールに補助金を出すという教育行政には問題がありそうだ。

hanahanaさんの意見はちょっと厳しい。

「そのあとどうなるのか?どうなったのか?を知りたい。たいていその次の進路までしか話題にならない。大学卒業できたのか?ちゃんとしたとこに就職できたのか?社会人として人間関係つくれてるのか?など。」

不登校生徒の高校進学率は増えている。しかし通信制高校の中退率は高い。大学相当へと進学したとしても卒業しているとは限らない。この手の記事はそこまでフォローしてないから不十分だ。もっとも卒業後のことまで問題にすると切りがないし「かんぺきな人間などいない」というような一般論に終わるのがオチだろう。ただ、「たいていその次の進路までしか話題にならない」という指摘はその通りである。「不登校で色々なところで相談した。子供も通信制頑張ったが挫折。高卒認定をうけるそうですが、、、なんせ将来が不安。たぶん大学や専門学校も無理そう。親子で食べていける仕事を探すことにしました」とAさんは言う。「引きこもり、不登校の中のエリート。学習意欲がある。ほとんどの人はこうはいかない。後ろ向きな人生を送っている」という匿名さんの意見もある。

ここに「不登校の中のエリート」とあるのがおもしろい。やはり匿名ではあるが「難関私立に入れて救われるってストーリーも勿論良い事なんだど、結局「マーチ以上?の大学」っていう椅子を確保するかどうかってなっちゃう。結局は救われる人が限られちゃうんじゃないかな?」「地頭が良いのは希望があるけど、そうでない場合は深刻だよなぁ」という意見もある。「難関私立大学に現役合格」というストーリーでは衆生を救うことができない。

ここにあるのが再現性という問題である。つまり真似できる例かどうか、という問題だ。それを上手く言い現わしているのがモデルマイノリティという概念である。中には「寺子屋に行け!」というような意見もあるが、そんなのどうしたって真似できない。だからと言って「ほとんどの人はこうはいかない」と後ろを向いているわけにもいかないだろう。

前号で、私はスクールマイノリティという言葉を使った。この言葉は自分が勝手につくったもので、本のタイトルにしたりと何度か使っている。もともと「不登校」という言葉を外すために使い始めた言葉であるが外延としては「不登校」よりも広い。何らかの理由で登校できずにいる就学年齢期の子どもをすべて包含している。国民皆就学という国民教育の理念は事実上、達成されている。しかしながら何らかの理由で欠席せざるを得ない子どもたちの存在がある。それは端的に言ってマイノリティである。その中からモデルマイノリティとも言うべきモデルケースが出てくる。

これは避けられない事態だ。一昔前であれば「不登校エリート」というのが流行っていた。けっこう前のことだが、恐竜の模型をつくって生計を立てているという男に面と向かって「不登校エリート」と名乗られて閉口したことがある。さすが化石の世界に生きているだけあって古い。エリートという自尊心は認めるとして、真似できる例かと言えばそうでもない。かといって「難関私立大学に現役合格」も真似するには限りがありそうだ。

モデルマイノリティというのは成功談である。こういう例もあるなら、と元気づけられる例があると嬉しい。けれども、あまり真似できないような例を出されても困る。モデルマイノリティにはそういう極端な一回こっきりの例が多いのだ。そこで考えるべきことが再現性である。若林実(小児科医)の著書『エジソンも不登校児だった』『アインシュタインも学校嫌いだった』はタイトルからしてモデルマイノリティを前面に打ち出したものだ。では、再現性はあるのか?

エジソンは学校に行っていない。父親が運送業の職を失ったからである。住んでいたのは五大湖の傍でシカゴに鉄道が通った。それにより運河を利用しての運送量が減ったのだ。学費が払えなくなり退学。一人息子に科学の読み物を与えたのは母親だ。当時はまだ公教育が確立されていなかったわけで、エジソンの例は比較の対象とはならない。しかし若林先生が言うのだからしょうがない。エジソンの分厚い伝記を読んでみた。シカゴ公立図書館の本をぜんぶ読んだと豪語するたいへんな勉強家である。鉄道の売り子であるから今で言うと新幹線の車内でお弁当を売るような仕事をしていた。ある時、線路に立ち入った子どもを助けた。その子が駅長の息子であった。恩返しをしたいという駅長の申し入れにより、エジソンは電信技術を学ぶ学校に入る。南北戦争の時代、電信機を背負ったフリーの若者が雇われ仕事をしていたらしい。彼もその一人となって生計を立てた。伝記にはリンゴ団子というのが出てきた。彼はリンゴ団子一つを食べて遠くまで歩き通したらしい。私も歩くのが好きだ。この本を読んでいた頃、ちょうど駅の物産店にリンゴまんじゅうが売っていたので食べてみた。それが甘くって。

若林先生はチャーチルやアインシュタインの例も出しているが海外の例は公教育制度が違うので比較にならない。南方熊楠、萩原朔太郎、吉川英治は明治時代の人だ。今とは学校制度が違うので比べても意味はないけれどもムリに言えば、南方、萩原は大学中退。吉川は小学校中退といったところだろう。おや?と思われるかもしれないが吉川は「不登校児」ではない。小学校中退で船具工になったというキャリアは当時としてはふつうである。在学中から働く、あるいは小学校を出て職工になるというのは昭和初期に至るまでのスタンダードなキャリアコースだ。

美空ひばりは戦後の例だ。しかし彼女がテレビ番組「素人のど自慢」に出たのは教育基本法が施行される前、つまりは国民学校期のことだ。地方巡業を始めたのも国民学校期。今の義務制とは違う。あなたの娘が学校に行かずにカラオケ通いをしていたとして、歌姫になる可能性は低いと言えよう。学校教育法により今のような男女共学の中学校が設立されたわけであるが、なにせ戦後の混乱期。小学校に間借りするとか校舎の用意すらままならなかった頃の話である。就学率も低かった。時代が違うと言わざるを得ない。なお、若林先生は美空ひばりと同年齢だそう。

最後に喜屋武マリーの例が出てくる。これこそ戦後義務制の例である。彼女は定時制高校の中途退学。ようやく現代的な例が出てきたと思いきや、高校中退であって義務教育学校に通っていなかったという話ではない。若林先生は彼女の伝記『喜屋武マリーの青春』(利根川裕)を読んだらしい。なるほど。ここにはちょっとおもしろいエピソードが記されてある。次号を俟て。

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藤井良彦(市民記者) 藤井良彦(市民記者)

1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。

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