メールマガジン第221号:知っていますか、嘉手納基地の戦争 矛先は常に戦場と敵対国に
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コザ市生まれの私は小学生の頃、嘉手納基地のフェンス向こうにある芝生と住宅地をうらやましそうに眺めながら、その上空を戦闘機が爆音を響かせ通り過ぎるのを見ていた。あの爆音はどこに向かったのだろうか。戦場だろうか、それとも訓練だろうか。しかし、その疑問はすぐに友達とのおしゃべりや遊びで忘れた。そして日が沈むと、センター(BC)通りではカーニバルのようにネオンが輝き、戦場へ旅立つのが怖いのか酔った米兵が奇声を上げていた。米兵同士の喧嘩は日常茶判事で、数名の米兵が女性を囲み口説いていた。振り返ると、あの女性は大丈夫だったのだろうか。その時間帯は普段、私は家でテレビを見て笑っていた。家は貧しかったが、私は平和で伸び伸びと暮らしていた。
その頃(1967年)、嘉手納基地隣の屋良区の住宅で井戸水が燃えるというニュースが放映された。ジェット燃料が地下水へ流れ込んだという。翌年、B52爆撃機が滑走路端に墜落、またもや屋良区では爆撃機の破片が飛び散り、住民にも重軽傷者が出ていた。小学生の私は「大変だ」とは思いつつも、友達と遊びふけっていた。他方、その嘉手納基地の標的となったベトナムでは、B52爆撃機が爆弾や枯葉剤をばら撒いていた。ベトナムでは、沖縄を「悪魔の島」と呼んでいたことをあとから知った。沖縄で、普通に暮らしていた同じ時間に、嘉手納基地はベトナムで猛威を振るっていたのである。
嘉手納基地は、生まれたときから目の前にある景色であり、基地から住民に降りかかる事件・事故以外は、どのような存在なのか知らなかった。しかし、大人になり子どもが生まれると、事件・事故だけでなく日常が危険と隣り合わせで平時と有事の間で暮らしていることに気づいた。嘉手納基地の矛先は常に戦場と敵対国を向いている。
だが嘉手納基地が戦場で、世界で起きている戦争でどのように活用されているのか、政府も米軍も誰も教えない。ミサイル配備等、自衛隊増強と嘉手納基地との関係、もである。
第4次嘉手納爆音訴訟具志川支部では、2月9日(金)午後7時~9時、うるま市民芸術劇場燈ホールにて、関東学院大学教授林博史氏をお招きし、講演「嘉手納基地の戦争 -沖縄戦・朝鮮戦争・ベトナム戦争、いまの自衛隊配備まで-」を開催する。入場無料。身近にある嘉手納基地が、沖縄戦時、朝鮮及びベトナム戦争でどのように活用されたのか、問題となっている自衛隊配備増強との関係性等、米国公文書館の米軍(機密)資料等から具体的に明らかにする。嘉手納基地周辺だけでなく、多くの人々に知って欲しい。ぜひご来場ください。問合せ098-923-4153(佐々木まで)。
川満 彰(沖縄国際大学非常勤講師)
※本稿は琉球新報の論壇(2024年2月5日)に掲載されたものを、川満さんの了解を得て転載配信しました。
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