【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(58):国連と地政学(上)

塩原俊彦

国連は主権国家同士の集合体であり、世界全体の統治に深くかかわっているという意味において地政学の対象である。今回は、この国連の状況について、批判的に論じてみよう。

「未来のための協定」の採択

国連総会は9月22日、「グローバル・デジタル・コンパクト」(デジタル協力とAIガバナンスのための初の包括的な世界的な枠組み)と「未来世代宣言」(将来世代を意思決定に反映させるための具体的なステップを盛り込む)を含む「未来のための協定」(各国が達成を誓った56の幅広い行動が定められている)を採択した。この協定は、2日間にわたって開催された「サミット・オブ・ザ・フューチャー」において無投票で採択された。

ただし、ロシアは、北朝鮮、シリア、ベラルーシなどが支持する「国連とそのシステムは、本質的にいずれかの国家の国内管轄権に属する問題に介入してはならない」という内容の修正案を盛り込むことをめざしたが、失敗するという一幕があったことは記憶されていい。つまり、9か月間にわたる交渉の末に成立した合意にもかかわらず、国連の内実は「同床異夢」であり、その亀裂は深まるばかりなのである。

 

2024年9月22日、米ニューヨークの国連本部総会ホールで、「未来のサミット」で演説するカタールのシェイク・ムハンマド・ビン・アブドゥルラフマン・アル=タニ首相兼外相
REUTERS/David Dee Delgado
(出所)https://www.reuters.com/world/un-adopts-pact-that-aims-save-global-cooperation-2024-09-22/

修正案をめぐる攻防
「未来のための協定」は、署名国による56の約束を通じて「現在と将来の世代のニーズと利益を守る」ことを目的としている。この文書の前文によれば、「安全保障、平和、正義、公平性、包摂、持続可能性、繁栄の世界、すなわち、全人類の幸福、安全保障、尊厳、そして地球の健康が保証された世界を実現する」ことができるという。これは法的拘束力のある決議ではなく、道徳的な指針と考えられている。

それでも、ロシア主導で、同協定の修正がめざされた。採決の前夜、ロシア代表団は、「粗雑で非合意的な文書を承認しようとするのではなく、例外なくすべての人が満足できる文書になるまで交渉をつづけることを決定する」よう会議に求めたのである。その結果、修正案が採決されるに至ったが、合計143の国連加盟国が、修正なしで協定に署名する用意があることを表明した。15カ国(アルジェリア、ボリビア、中国、キューバ、イラク、カザフスタン、キリバス、ラオス、マレーシア、モルディブ、オマーン、パキスタン、サウジアラビア、スリランカ、タイ)が投票を棄権した。アルゼンチン、アゼルバイジャン、キルギス、セルビア、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなど、25カ国はまったく投票しなかった。修正なしの文書採択に反対票を投じたのは7カ国だった。ベラルーシ、イラン、朝鮮民主主義人民共和国、ニカラグア、ロシア、シリア、スーダンである。

ロシアによる厳しい批判

ロシア外務省は9月23日になって、同協定を厳しく批判した。「国連の大敗北」であり、「不均衡」であり、「非常に危険な条項を含んでいる」というのである。ロシア側は、国連加盟国は当初、この協定を「政府間交渉の過程でコンセンサスによって合意する」ことで合意していたとした。「残念ながら、この課題は実現されなかった……協定に関する政府間交渉は基本的に行われなかった」という。セルゲイ・ヴェルシニン外務次官によれば、「代表団が一つのテーブルに集まり、草案の文章を一節一節、段落ごとに交渉するような会議は一度もなかった」し、「論争の的となるような点は、当初から最後まで解決されなかった」のだという。「交渉のテーブルに着いて議論してほしいという我々の要求は、何一つ受け入れられなかった。国連憲章に謳われている国家の主権平等の原則が、この数カ月間、慎重にその利益を守ってきたある国のグループのために、皮肉にも犠牲にされてしまったのだから」と、彼はこの協定の審議のあり方そのものを厳しく批判した。
この協定は、ドイツとその旧植民地であるナミビアによって調整されたものである。だが、その採択までを主導したのはアメリカであり、欧州諸国であった。

こうした出来事をみるだけで、国連がもはや機能不全に陥っているようにみえてくる。

安保理問題

国連の機能不全の代表例は安全保障理事会(安保理)の機能不全にある。ここでは、2024年9月21日にロシアの有力紙「コメルサント」に公表された「何ら結束しない国々:国連改革の話が何十年も進まない理由」という長文の記事を参考にしながらこの問題を論じたい。

最初に、安保理の成立経緯について知らなければならない。安保理および国際連合全体の構造は、1940年代前半の一連の会議と交渉を通じて徐々に明らかになっていった。こうして、1943年10月30日の「普遍的安全保障の問題に関するソ連、米国、英国、中国の4カ国による宣言」では、「平和を愛するすべての国の主権平等の原則に基づき、国際の平和と安全を維持するための普遍的な国際組織を可能な限り短期間で設立する」という目標が掲げられた。さらに、第二次世界大戦終結後になって、四大国政府は、「共同協議の後でなければ」、平和と安全の目的のために、他国の領土で武力を行使しないことに合意したのである。

各種の会談

それまでの経緯については、ソ連、アメリカ、イギリスの指導者が参加したテヘラン会議(1943年11月28日~12月1日)において、戦後秩序の輪郭が議論された。そこでヨシフ・スターリンは当初、二つの組織(一つはヨーロッパ、もう一つは極東または世界)の創設を提案した。イギリスのウィンストン・チャーチル首相は、一度に三つの組織(ヨーロッパ、アジア、アメリカ)を提案した。すなわち、国際連合の全加盟国(すなわち反ヒトラー連合のメンバー)が参加する勧告機関、非軍事問題に関する執行委員会(ソ連、アメリカ、イギリス、中国、ヨーロッパ2カ国、ラテンアメリカ1カ国、中東1カ国、イギリス領1カ国で構成)、そしてもっとも重要な平和維持委員会(ソ連、アメリカ、イギリス、中国)である。

ダンバートン・オカ会議(1944年8月21日~10月7日)の参加者は、「普遍的な国際安全保障機構の設立に関する提案」を起草し、国連の基礎を築く。とくに、総会と安全保障理事会の基本的な権限が規定される。アンドレイ・グロムイコ(1943~1946年、ワシントン駐在ソ連大使、1946~1948年、国連ソ連事務次長、1957~1985年、ソ連外務大臣)は、「政治的闘争の錆で腐食することのないような新しい組織の構造を作る必要があった」と指摘した。

ヤルタ会談(1945年2月4~11日)で、スターリン、ルーズベルト、チャーチルの3首脳は、安保理の決定は手続き的なものを除き、常任理事国5カ国すべての賛成票を含む11カ国中7カ国の投票によって行われることに合意する。つまり、この段階で、拒否権が合意されたのである。1962年から1986年まで駐米ソ連大使を務めたアナトリー・ドブリニンは、「われわれが国連に加盟したとき、スターリンは拒否権を主張した。ソ連の政策に反対する国々に多数決で簡単に負けてしまうからだ」と語った。

懸念を表明するだけの安保理

その後、同年4月25日にサンフランシスコで国連会議が開かれ、国連憲章が最終決定される。その頃には、ハリー・トルーマンがフランクリン・デラノ・ルーズベルトの後を継いでおり、拒否権支持に関するアメリカの立場は、それほど明確なものではなくなっていた。しかし、1945年6月26日に国連憲章は調印された。 この文書には、この組織の目的と原則が表明されており、その主なものは、「国際の平和と安全の維持」と「経済的、社会的、文化的、人道的な性格を持つ国際問題の解決における国際協力の達成」であった。 すべての加盟国は総会に議席をもち、総会は安保理やその他の理事会のメンバーを選出する。
当初、拒否権は最後の手段ということになっていたが、ソ連は直ちにこの手段を可能な限り積極的に使い始める。1946年から1970年の間に、ソ連は80の決議を阻止したが、他の国が阻止したのは三つだけだった。普遍的な平和と安全のために大国が協調して取り組むという構想は、当初から実現可能なものではなかったのである。

冷戦終結後、安保理の有効性は多少改善されたが、長くはつづかなかった。その結果、国連安保理は、総会全体と同様、ほとんどが「懸念を表明する」ための格好のプラットフォームに過ぎないことが判明しただけのことだ。

現在、安保理は15カ国の理事国で構成されている。このうち中国、フランス、ロシア、英国、米国の5カ国が拒否権を持つ常任理事国である。残りの10人(1965年以前は6人)は総会で選出され、任期は2年。

1965年の安保理改革

1965年、安保理は史上初めて規模を拡大する(11カ国から15カ国へ)。これは主に、脱植民地化の結果独立した新しい国家の加盟によって国連メンバーが増加した結果であったが、常任理事国の権利はまったく影響を受けることはなかった。1978年、国連総会は 「安保理の拡大 」を議論した。しかし、具体的なことは何も決まらなかった。1992年、国連総会は同じ問題の検討を求める決議47/62を承認する。 1993年、国連は組織改革に関する議論を正式に開始したものの、これまた無駄だった。

2000年代の頓挫

新千年紀を前に、新たな議論がスタートする。2000年9月、国連安保理は史上初めて首脳レベルで会合を開いたのである。彼らは21世紀における安保理の役割と構成を決定しなければならなかった。その結果、大多数の国が、常任理事国と非常任理事国の数を同時に増やすことに賛成した。だが、非常任理事国のみの増員を提案する国(イタリア、アイルランド、スペイン、メキシコなど)もあった。この問題は作業部会に「ぶら下がり」、決定を下すにはコンセンサスが必要だった。

当時、日本とドイツは、(米国に次いで)国連予算への最も寛大な拠出国であり、平和と安全を守る主要機関の常任理事国入りの権利を最も声高に主張した。欧米諸国と非欧米諸国のG4(ブラジル、ドイツ、インド、日本)連合が形成され、2005年、改革が間近に迫っているとの予感が生まれる。G4諸国は統一案を作成し、討議に付した。改革案によれば、国連安全保障理事会の理事国は15カ国から25カ国になるはずであった。そのうち11カ国が常任理事国(米国、英、仏、中、ロ、G4諸国、アフリカ2カ国)となる。当初の提案では、新常任理事国は「旧常任理事国」と同じ「義務と権限」を持つと想定されていた。しかし最終的に、この構想の作成者たちは重大な譲歩を行った。拒否権の問題はまだ解決しなければならないが、15年までには解決しないことで合意する。

安保理の常任理事国のなかでは、英仏がこの案を支持した(ちなみに、英仏は1989年以来拒否権を行使していない)。しかし、米ロは最終的に反対した。

2005年に、アフリカ連合(55カ国)が急進的な改革を提案したことがある。それは、新たな常任理事国に拒否権を即座に認めるというものだった。さらに、常任理事国2議席と非常任理事国の持ち回り議席2議席という議席増要求もあったが、この構想も失敗に終わった。

こうして、結局、安保理そのものは何も変わらない状況がいまでもつづいている。

最近の動き

2024年3月、インドはG4を代表して、常任理事国6カ国と非常任理事国4~5カ国を加えて安保理の構成を拡大することを再び提案した。前回と同様、声明は注目されたが、それ以上のものではなかった。G4の提案は、トルコ、パキスタン、韓国、アルゼンチン、メキシコ、カナダなど、G4諸国が属する地域の他の国々から強い否定的な反応を呼び起こした。それらの国々は、「コンセンサスのための統一」(UFC)という代替連合を組織し、非常任理事国だけを増やし(10カ国から20カ国へ)、安保理理事国に即時再選が可能な長期理事国という新たなカテゴリーを設けるという独自の方式を打ち出した。拒否権については、完全に廃止するか、平和への脅威、平和の侵害、侵略行為に対する行動に関する国連憲章第7章に該当する状況でのみ使用するという二つの選択肢が提案された。

さらに、2024年9月12日、米国のリンダ・トーマス=グリーンフィールド国連常駐代表は、独自の提案をする。たとえば、「2年前にバイデン大統領は、米国がアフリカ諸国、中南米カリブ海諸国に常任理事国としての地位を与える安保理拡大を支持すると発表した」が、「私たちが常任理事国として長年支持してきたインド、日本、ドイツに加えて、私たちはアフリカと中南米カリブ海諸国を支持する」とのべた。さらに、「だからこそ米国は、アフリカ諸国の非常任理事国に加え、アフリカに2つの常任理事国の席を設けることを支持している」とした。加えて、「米国が小島嶼開発途上国(SIDS)の安全保障理事会における新たな議席創設を支持していることを、誇りを持って発表する」と語った。

ただし、米国代表は、改革後の安全保障理事会の常任理事国と非常任理事国の総数については言及しなかった。9月17日に開催された、国連総会における米国の優先事項をプレビューする国連プレスブリーフィングでは、「拒否権が機能不全であるという彼らの意見は認めるし、私たちが拒否権を放棄するつもりがないことも認める」とのべている。彼女は、「安保理の常任理事国の数を増やすことで、理事会がより包括的なものになると思う」と考えているというのだ。

「知られざる地政学」連載(58):国連と地政学(下)に続く

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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