第23回 過酷な取り調べの内容が詳らかに・・
メディア批評&事件検証そしたら次は『時間は??』と聞かれ、私は集団下校の3時はあり得ないと思うし、そのあとなら4、5時かと答えたら刑事が『キミ思い出す気あるのか』とおこられ、3、4時かなと答えを変更したら『もっと思い出せ、2時から3時の間じゃないのか』と言われ、私はあっ、たぶんその時間帯とおもいます、と答えました。それで誘拐した時の場所を地図に書くように言われ、私はテレビのニュースの情報しかわからずに地図を何度も書き直しされてました。
そうしたら刑事がヒントをくれ始めて、『三差路からトンネルの間じゃないのか』とか『何回もUターンじゃないのか』とか私はそのヒントのとおりの地図を何とか書けました。最後は日光街道から出ると思ってたけど、刑事からは『最後はリンゴ街道から出たよね』と言われ、その通りの地図を描きました。
それで誘拐した時の話に戻るけど、最初に刑事に『どうやって有希ちゃんを車に乗せたの??』と聞かれ、私は一番無難な話をしました。それは有希ちゃんを見つけて、そして声を掛けました。お父さんに頼まれてきたのよ。お母さんが大変だからそれで有希ちゃんが車に乗ってくれたと言いました。そしたら刑事は『前に乗ったの??後ろに乗ったの??』と聞いてきたので、私は後ろに乗ったと答えました。
そうしたら刑事は続けて『ドアをあけたのは誰??』と聞いてきたので、私は最初は有希ちゃんが自分で開けたと答えました。そしたら刑事は納得しないような様子で『本当に有希ちゃんが自分でドアを開けたの??』と聞いてきたので、私も変に思い、そしたら答えを私が降りて、後ろのドアを開けた。それで乗せたかもしれない、今はよく覚えていないと答えました」。
「のちにまた、刑事がこの話をまたしてきて、刑事が『本当に見知らない人の車にいくら小学1年生とはいえ、本当に乗ってくれるのか』と言ってきたので、私は確かに簡単に乗るわけがないと思い、それで話を変えました」。
「有希ちゃんを連れ去ってから私はどうしたのと刑事に聞かれ、私はずーとそのままでいるのは変な話だから、10分か20分したら車を人気のない所で後ろにいた有希ちゃんを紐か何かで縛ったと答えたら、刑事からは『紐とか事前に準備したものなのか??』と聞かれ、私はいいえ、紐とかたぶん積んでいないと言い、刑事からは『車にいつも積んでいるもので縛ったのか??』と聞かれ、私ははいと答えたら、刑事から『じゃあ、何で縛ったのだ』と言われて私はしばらく黙りました。
そうしたら刑事からは『車にガムテープとか積んでなかったのか』と聞かれ、私はあっはい。積んでました。車いじるのによく使うので。刑事からは『それで縛ったのか』と聞かれ、私ははいと答えました。のちに有希ちゃんを助手席に移した時もガムテープで縛ったと話ました」。
この取り調べの内容は、刑事たちと勝又受刑者の共同作成みたいなものだ。勝又受刑者がこの作業の中で事件を学んでいくという冤罪「足利事件」調べの再来だ。
この文章を読み解くと、勝又受刑者が犯人ではないと思われる人が多いと思われます。そして取調官たちがそれに気づいていないのが残念です。この事件に携わった裁判官たちは、この文章を読んだことはあるのでしょうか?
今日はここまで。次回もまだこの取り調べが続きます。こうやって犯人にされてしまうのか、と思わずにはいられない場面がまた出てきます。
連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)
https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/
(梶山天)
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。