【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(60):海底ケーブルをめぐる地政学(上)

塩原俊彦

 

連載「知られざる地政学」(18)「海底ケーブルをめぐる覇権争奪」(上下)において、海底ケーブル敷設について論じたことがある。今回は、この考察から10カ月ほど経過したことから、海底ケーブルをめぐる新しい動きについて考察してみたい。

調査会社TeleGeographyによると、600本以上の海底ケーブルが世界中の海を横断しており、その総延長は140万キロメートル以上に及ぶ。これらはインターネット・トラフィックの大部分を運んでいる。インターネット・トラフィックを含む大陸間の通信の99パーセント以上は、世界の海の海底に沿って敷設された光ファイバーケーブルによって担われている。
こうした前提のもとで、今回の考察の契機となったのは、2024年10月3日付の「ワシントン・ポスト」で公表された「南シナ海をめぐる争いの激化で国際ケーブルシステムが混乱」という記事である。記事は、「南シナ海の海底には、複数の光ファイバーケーブルからなるシステムが少なくとも11本存在しており、これらのネットワークは数十年にわたって、アジアのインターネットハブであるシンガポール、香港、日本を互いに、そして世界と接続する最も効率的な手段であった」と書いている(下図を参照)。しかし、現在、これらのネットワークはかつてないほどの課題に直面しているらしい。

 

海底ケーブルの南シナ海近辺における敷設状況と中国軍基地
(出所)https://www.washingtonpost.com/world/2024/10/03/south-china-sea-underwater-cables/

今年4月、ベトナムの軍艦に護衛された民間の海底ケーブル船の乗組員が、中国本土から何百マイルも離れたベトナムの200マイル(約322km)の排他的経済水域(EEZ)内で修理を行っていたところ、中国の沿岸警備隊の船に遭遇するという出来事が起きる。中国船は修理船から1マイル(1.6km)以内まで接近し、無線で船の活動内容について問い合わせてきた。ベトナム海軍の船が数マイル離れた場所まで引き揚げた後、中国船は修理船の周囲を1日旋回し、その後離れていった。修理作業員は作業を何とか完了できたという。

問題は、人為的と思われるケーブルへの損傷が頻繁に起きている事実にある。その理由は、南シナ海は主要な航路であると同時に世界屈指の漁場でもあるため、船が常に錨や網を曳いて航行し、ケーブルに引っ掛かるからだ、と非営利団体である国際ケーブル保護委員会(ICPC)は指摘する。WPは、「ICPCが公表していないデータによると、少なくとも数週間に1回はケーブルの故障が報告されている」としたうえで、「これに対し、同程度のケーブル密度を持つ南北アメリカ間の海域では、破損は数年に1度しか発生していない」と記している。

もちろん、破損は修理が必要になる。だが、その修理が中国側の意図的な妨害によって簡単にはできない状況にある。国連の条約では、ケーブル会社は領海内の障害物を修理する場合はその国からの許可のみが必要であり、200マイルの排他的経済水域(EEZ)内の障害物については、許可は不要である。だが、南シナ海の緊張状態を考慮して、多くの企業がEEZへの進入許可を求めるようになった。複数の国が領有権を主張している地域では、企業は複数の国から許可を得ることも多い。

このとき、上図の破線で囲まれたループ内について、中国政府が領有権を主張していることが問題になる。国連裁判所は2016年に、この線には国際法上の根拠がないとの裁定を下したが、「多くのケーブル会社は中国の承認なしにこの線を越えて船舶を派遣する勇気はない」のが現状だ。

しかし、「7社のケーブル会社幹部は、中国からの許可取得が煩雑になり、南シナ海での修理の待ち時間が世界でも突出して長くなっていると指摘した」と、WPは書いている。幹部によると、かつては10日以内に取得できていた中国からの許可が、今では最大4カ月かかることもあるという。幹部によると、時には些細な技術的な問題や正当性の低い理由で申請が却下され、再申請を余儀なくされることもある。

いわば、中国政府は故意に修理を妨害し、海底ケーブルの運営を困難に陥るように仕向けているのだ。WPは、「TeleGeographyが公開された修理情報をまとめたところ、2021年以降、南シナ海の複数のケーブルシステムで障害が発生し、その修理に2か月以上を要することが日常的に発生していることがわかった」と紹介している。この結果、ベトナムは帯域幅の狭い陸上ケーブルや衛星ネットワーク経由でトラフィックを迂回させることを余儀なくされ、国内の一部地域ではインターネットの速度が大幅に低下する事態に至った。

ケーブル敷設プロジェクトへの嫌がらせ

中国政府がいかに傍若無人であるかは、海底ケーブル敷設プロジェクトへの嫌がらせでも明らかだ。その被害に日本企業も遭遇している。

WPの記事によると、全長6500マイル(約1万460.74キロ)におよぶ「東南アジア・日本2」(SJC2)システムというプロジェクトがある。シンガポールと日本間の11の着陸地点を結ぶことで、アジア内の接続性を強化することを目的として設計されたものだ(下図を参照)。米国や中国の企業を含む国際コンソーシアムが資金を提供し、日本のNECが製造したケーブルを使用している。2018年3月15日付のNECの発表資料では、「本ケーブルは2020年中に完成予定」となっていたが、稼働は2024年末までになるという。つまり、4年ほど計画が遅れてしまったことになる。なお、これほど長期にわたる遅延は珍しい。

この遅延の理由は、中国当局が日本製のケーブルに他国政府による通信傍受を可能にする機能が含まれている可能性があると、難癖をつけたからだ。この懸念を理由に、何年にもわたって許可承認を保留したのである。中国政府は2023年にこのプロジェクトの主要認可を与えたが、その時点までに他の国々では新たな規制が可決され、古い許可は失効し、ケーブルの技術の一部は時代遅れになるなど、プロジェクトは大きな影響を受けた。

光海底ケーブル「SJC2」ルート図
(出所)https://jpn.nec.com/press/201803/20180315_01.html

「SJC2」が停滞している一方で、米国が関与しない二つの中国主導のプロジェクトは順調に進んでいる。予定通り来年には稼働する見込みであるという。いずれのプロジェクトも南シナ海を通るもので、中国のHMNテック社(後述)が建設している。プロジェクトに関与している中国の通信会社の幹部は、「中国側の許可に関して、問題は何も発生していない」とのべた、とWPは報じている。

同じ穴の貉、アメリカ

ただし、2020年に米国政府が、スパイ行為と妨害工作への懸念を理由に、米国と香港を結ぶケーブルプロジェクトを阻止する決定を下したことも指摘しておかなければならない。米国政府も中国政府も、国家安全保障にとって海底ケーブルが重要であると考えているのである。

2024年9月にロイター通信が伝えたところによると、米国は、ベトナムが2030年までに10本の新たな海底ケーブルを敷設する計画において、中国のケーブル敷設企業であるHMNテックやその他の中国企業を避けるよう強く求めていると、交渉に詳しい筋が語ったという。米国政府は、HMNを中国大手テクノロジー企業ファーウェイの関連会社とみなし、両社は国家安全保障への脅威であるとの懸念から米国の制裁措置の対象となっている。ファーウェイはこれを否定し、HMN は独立企業であると主張している。

いずれにしても、海底ケーブルをめぐって、米中間で水面下において「足のけり合い」が起きているのだ。

「知られざる地政学」連載連載(60):海底ケーブルをめぐる地政学(下)に続く

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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