【モハンティ三智江のフィクションワールド=2024年10月15日】

14年前の楽しかったスペインでの日々が走馬灯のように蘇る。ラ・マンチャ地方の小さな村、バルデペーニャスでの甘い蜜のような日々、男は絵を描くのがこんなに楽しいとは思わなかったと喜び、素朴な村人たちの農作業を手伝ったり、祭りに参加したりと、公私共に充実した日々を送っていた。

30歳になったばかりの私は助手のように13歳年長の画家に寄り添い、村人との交流、老人や酔漢、廃兵がテーマの絵をフィルムに焼き付けた。そして、夜には極上の地ワインを嗜みつつ甘い睦み合い、文字通り酒と薔薇の日々だったのだ。

あれから14年、欧州生活に終止符を打って、8年前に神戸に戻って以来、男の鬱屈はひどくなるばかりだった。画壇で地位を固め、それなりの成功をものにしながら、作品のテーマに行き詰まり、思うように描けない苦悩を、アルコールと睡眠薬で紛らわす日々に堕していた。

私たちはもう、何年も肌を合わせていない。あの黄金の日々はどこへ行ったのだ、なぜ彼はこれほどにも死にたがるのだろう、死に取り憑かれた衝動止みがたく、狂ったように自殺未遂を繰り返す。狂言自殺魔、助かることを前提に演じられる狂躁の大芝居、周囲を翻弄して幕を閉じる三日三晩の大騒ぎには、誰もがうんざりしている。

狂気の天才画家と寝起きを共にした歳月、ひたすら男のみを撮り続けて、我が青春は磨り減った。女友達の、あの男はやばいから近づかないほうがいいとの忠告を無視したばっかりに。

バルデペーニャスの薔薇色の日々が今一度戻ってほしい。そこからトレドに移ってまもなく、男は最初の自殺未遂騒動を起こしたのだ。

彼はトレドを好まず、創作も行き詰まっていた。私たちはあの居心地のいい村を去るべきでなかったのだ。にもかかわらず、男は1カ所にとどまることをよしとしなかった。芸術家にとって、安住は、創作を鈍らせる敵なのだと言い張って。あぁ、あの9カ月に満たない珠玉の日々、かけがえのない宝物のようなひととき、それがなんでこんなことに・・・。

(「フィクションワールド」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げている続きで、「インドからの帰国記」とは別に、短編など小説に限定して掲載します。本人の希望で画像は使いません)

「モハンティ_デーモンの肖像(中編小説2)| 銀座新聞ニュース」の転載になります。