【連載】今週の寺島メソッド翻訳NEWS

☆寺島メソッド翻訳NEWS(2024年10月15日)9/11を実行したのは、イスラエルである。(中)

寺島隆吉

☆寺島メソッド翻訳NEWS(2024年10月15日)9/11を実行したのは、イスラエルである。(上)はこちら

 

予知と準備

「1948年3月、『パレスチナの兵力要件』に関する統合参謀本部の文書は…「シオニストの戦略は、ユダヤ人の最大の目的を確保することを意図した一連の作戦を絶えず拡大し深めることに米国を巻き込もうとするだろう」と予測した」 — スティーブン・グリーン、Taking Sides: America’s Secret Relations with a Militant Israel (1984)

イスラエルが9/11攻撃を予知していたことを示す多くの兆候がある。

・ 9月11日の攻撃の直後、5人のイスラエル人が逮捕され、71日間拘留された。ABCニュースによると、最初の飛行機がノースタワーに衝突したとき、この男たちは写真を撮影し、祝福していた。
そしてハアレツ紙(2001年9月17日)は、彼らが「歓声を上げ」、嘲笑の叫び声を上げている姿を目撃されたと報じ、その姿を不審に思った目撃者が警察に通報することにつながった、という。
男たちはその日の午後遅く、ニュージャージー州バーゲン郡の警察に逮捕され、彼らは複数の外国のパスポートやカッターナイフ、現金4700ドル、そして彼らと陰謀を結びつける疑わしい印が付けられた地図を所持していたことを明らかにした。

さらに、バンを検査するために連れてこられた爆弾探知犬は、爆発物の残留物を検出した。
バーゲン郡警察署長のジョン・シュミディグは報道機関にこう語った。
「ニュージャージー州登録と側面に書かれた白いシボレーのバンを警戒するように警告を受けました。 9-11テロ後に、リバティ州立公園で祝う3人の人物が目撃されました。3人は飛び跳ねていた、とのことでした」と。ニュージャージー州の新聞「ベルゲン・レコード」紙は、翌日の記事でこの事件について報じ、同紙のパウロ・リマ記者は、情報源からの話として、こう記した。
「彼らが乗っていた車には何カ所かに印が付けられた地図があった。彼らは9-11のテロに夢中になっているように見えた。何が起こるか分かっているような感じで、リバティ州立公園で過ごしていた」と。
後に明らかになった事実は、二人の男、シヴァンとポール・カーツバーグは、モサドの下で働いており、他の男たち、ヤロン・シュミュエル、オデッド・エルナー、オメル・マラマリも、諜報機関と繋がりを持っていたことだった。それ以来、彼らは「踊るイスラエル人」として知られるようになった。

彼らが働いていたニュージャージー州に本拠を置く会社、アーバン・ムービング・システムズ社は、モサドの代理施設であるとして知られていた。
信頼度の高いユダヤ系新聞「ザ・フォワード」紙(2002年3月15日)は、アーバン・ムービング・システムズ社がFBIによってイスラエル諜報機関の隠れ蓑として認識されていたと報じ、CIAの対テロ作戦責任者ヴィンセント・カニストラーロは、CIA内ではこの事実が常識である、と明言した。

当局に一度尋問された後、アーバン・ムービング・システム社の所有者であるドミニク・スーターは、すぐに店を閉め、事務所の掃除さえ怠るほどの慌ただしさでイスラエルに逃げ帰った。
同社を訪れたABCニュースの記者たちは、その光景を「まるで大急ぎで閉鎖されたかのようだった。携帯電話が転がっていた。事務所の電話はまだ接続されていた。そして、何十人もの顧客の財産が倉庫に残っていた」と報じた。(出典:ABCニュース、2002年6月24日)

この攻撃を撮影し、祝福したとして逮捕された5人の男たちは、71日間拘留され、その後、司法次官補でイスラエルの二重国籍者であるマイケル・チャートフの指示でイスラエルに釈放された。
ハアレツ紙の報道によると、「二人の著名なニューヨークの議員」が彼らのために激しいロビー活動をおこなったとのことであり、オンライン雑誌「カウンターパンチ」のクリストファー・ケッチャム記者(2007年3月7日)によると、他ならぬジェフリー・エプスタインの不名誉な弁護士アラン・ダーショウィッツが、米国政府との事態を円滑にするために個人的に介入した、という。
イスラエルに戻ると、5人のうち3人はヤイール・ラピドのテレビ番組に出演し、米国での生活について話した。彼らが犯罪現場のすぐ近くで何をしていたのかと尋ねられたとき、オデッド・エルナーはこう答えた。
私たちの目的は、その出来事を記録することでした」と。

(動画は原文サイトをご参照ください。訳者)

5人の「踊るイスラエル人」のうち3人は、ヤイル・ラピドのテレビ番組に出演し、彼らが9/11に「事象を記録する」ためにニューヨークにいたことを認めた。

* 9/11攻撃に対する警察の対応を監督したNYPD(ニューヨーク市警察)の署長は、バーナード・ケリックだった。ケリックは、9/11にニューヨークで逮捕されたイスラエルの工作員の報告と矛盾するような情報が自身の警察署から出てくるのを阻止していた。
9/11の二週間も前の2001年8月26日、ケリックは億万長者のエイタン・ヴェルトハイマーとイスラエルで会い、彼から「25万ドルの無利子融資」を手に入れていた。2007年11月8日、ケリックはニューヨーク州ホワイトプレインズ市の連邦大陪審に、税金詐欺と、ヴェルトハイマーから受け取った25万ドルについて連邦政府に虚偽の陳述をした罪で起訴された。検察官はまた、ケリックが2001年から2003年の間にユダヤ人の不動産王スティーブン・C・ウィトコフから約23万6000ドルを受け取った、として告発した。

* イスラエル所有のインスタント・メッセージング会社、オディゴ(Odigo)社が、攻撃の数時間前に、受信者にWTCに近づかないように指示する警告を送信するために使われていた。(オディゴ社の米国本部は、WTCからわずか2ブロックのところにあった)。
同社の副社長であるアレックス・ディアマンディスはこう述べた。
「メッセージには、一定の時間内に何か大きなことが起こると書かれていました。そして実際にそうなりました。警告どおりに。攻撃があるという警告が他のオディゴ利用者に発信された可能性はありますが、同社は他の受信者がメッセージを受け取った、との報告は受け取っていません」と。

オディゴ社の最高責任者であるミカ・マコーヴァーは、ハアレツ紙(2001年9月26日)にこう語っていた。
「なぜこのようなメッセージが送られたのか全くわかりません…誰かが冗談のつもりで送った内容が、偶然に現実のものになってしまったのかもしれません」と。
この話は、2001年9月27日にイスラエルのマスコミとインドのニューズバイト紙のブライアン・マクウィリアムズによって報道された。エルサレム・ポスト紙のオンライン報道(2001年9月12日)によると、後に同紙のブレット・スティーブンス編集長が立証した(記事名「レターズ」、エコノミスト誌、2003年1月9日)内容によれば、イスラエル外務省は、攻撃時にWTC地域にいたと考えられている4000人のイスラエル人の名前をまとめていたが、死亡したのは1人だけだ、という。オディゴの機能には「People Finder(人見つけ)」と呼ばれるものがあり、この機能を使えば、国籍などの共通の特性に基づいて大規模な集団にむけてメッセージを送信することができた。

* ZIMシッピング社は、かつてシャウル・アイゼンバーグが所有していたイスラエルの大企業で、ワールド・トレード・センター・ノース・タワーに一万平方フィートの事務所を持っていた。
9/11の1週間前、ZIM社は自社の事務室を空にしたことで、賃貸契約を破り、5万ドルの保証金を失った。最高経営責任者のショール・コーエン・ミンツは、2001年11月17日にUSAトゥデイ紙に、「まるで神の行為のように、私たちは動きました」と語った。
神の行為なのか、それとも事前に知っていたからなのか?この攻撃に関与したと考えられるイスラエルのスパイを調査していたFBI捜査官マイケル・ディックは、ZIM社の調査を始めた。
しかし彼はすぐにマイケル・チャートフ司法次官補によって職務を解かれた。

* 9/11の数週間前に米陸軍高等軍事学学校(SAMS)が発行した報告書は、イスラエルの諜報機関モサドについて以下のように警告していた。
「冷酷で狡猾で、米軍を標的にし、それをパレスチナ-アラブの行為のように見せかける能力を持っている」と。この報告書は、2001年9月10日にワシントンタイムズ紙によって一面記事として掲載されていた。

* 9/11の直前に、ユナイテッド航空(UA)とアメリカン航空(AA)で、法外な量のプット・オプション*が買われていた。プット・オプションは、将来価値がすぐに下落すると考えられる株式に付けられるものだ。
UA社のプット・オプションの95%程度が2001年9月6日に購入され、AA社の11万5000株が9月10日に購入された。
これらの購入は通常の25倍の規模だった。2001年10月15日、証券監督者国際機構(IOC)は、プット・オプションからの利益は、世界貿易センターのビルに収容されている複数の企業に対しても購入され、その額は数億ドルに上り、「これまでにおこなわれた最大のインサイダー取引」になる可能性がある、としていた。

明らかに、「事情通」の誰かが「直感」を持っていて、これらの会社の株価がすぐに急落するだろうと感じ、現金化を求めていた、ということだ。すべてのプット・オプションを扱った会社は、ドイツ銀行の子会社であるABブラウン投資銀行だった。9/11の時点で、CIAの事務局長は、ABブラウン投資銀行の元最高経営責任者で会長のアルビン・「バジー」・クロンガードだった。英国のインディペンデント紙(2001年10月14日)は以下のように報じていた。
「調査員が困惑したことに、同行は「プット・オプション」の多くを購入していたことも明らかになった。プット・オプションは、株式売買仲介者が事実上、株価が下落する株に対して賭けるものである。1998年までABブラウン投資銀行は、CIAの現事務局長である「バジー」クロンガードが率いていた」と。

ABブラウン銀行とアルヴィン・クロンガードは、ヤイル・シャミールの会社、シテックスとのつながりを通じて、イスラエル国家と強いつながりを持っていた。
クロンガードの妻、シェリル・ゴードンは、ロスチャイルド資産運用会社の長年の従業員だった。
*プット・オプション・・・将来のある期日(満期日)までに、あらかじめ決められた価格(権利行使価格)で株式の買い取り・弁償を請求できる権利

2001年6月、アメリカ麻薬取締局(DEA)は、米国本土で活動している大規模なイスラエルのスパイ組織の存在を詳述した60ページの内部報告書をまとめた。
この報告書は2001年12月にマスコミに流され、9/11に先立つ数ヶ月間に、200人の若いイスラエル人(多くは軍情報機関とつながりがある)がスパイとして逮捕されていたことが明らかになった。

イスラエルのスパイは、「美大生」という隠れ蓑を使って、麻薬取締局や他の連邦政府の建物に潜入しようと試みていた。この報告書によると、その「美大生」のほとんどが「軍事情報や電子信号傍受、または爆発物を専門とする」イスラエル軍の部隊に勤務していたことを認めた、という。
逮捕された男の一人はイスラエル軍司令官の警護係で、もう一人のアラン・オフェックは悪名高いイスラエルの将軍の息子だった。逮捕された人々の一人であるペール・セガロヴィッツは、ゴラン高原の第605大隊に所属し、「建物や橋、車、その他必要なものは何でも爆破できることを認めた」とDEAの報告書は述べている。

フォックス・ニュースのカール・キャメロン記者は、2001年12月にこのスパイ組織に関する4部構成の暴露記事を制作し、その中で彼は、9/11の結果として、さらに60人のイスラエル人が反テロ法の下で逮捕され、拘留され、その中には「一握りの現役イスラエル軍人」が含まれていた、と述べた。
これらの男たちの多くは、9/11飛行機乗っ取り犯とされた人物がいた場所のすぐ近く、フロリダ州ハリウッドに住んでいた。

実際、イスラエル軍情報将校から「美大生」に転身したハナン・セルファティは、モハメド・アッタがシェリダン通り3389番地に住んでいる間、シェリダン通り4220番地にアパートを借りていたのだ!
9/11以前に容疑者の近くに住んでいたという、同様の「偶然の一致」は、さらに6つの都市中心部で確認された。
イスラエルが、9/11の直前に、米国の利益に反する何かを企んでいたことは疑いようがない。オンライサイトの「サロン」の2002年5月7日の記事で、クリストファー・ケッチャム記者は次のように書いている。
ほぼ2年間、美大生であると偽って主張していた何百人もの若いイスラエル人が、連邦政府機関、特に麻薬取締局に出没していた。誰もその理由を知らないし、誰もその理由を知りたがっていないようだ」と。

* 1998年12月、フィリップ・ゼリコウやアシュトン・カーター、ジョン・ドイッチ(全員ユダヤ人)は、フォーリン・アフェアーズ誌に「壊滅的なテロリズム:新たな危険への挑戦」と題する記事を執筆した。
この記事の最初の章「変革する出来事を想像する」には、壊滅的なテロリズムが、おそらく早ければ「来月」にも米国アメリカに到来する、との警告が記載されており、その際に米国がどのように対応すべきか、そしてその結果として米国がどのように変わることができるかを詳述している。

フィリップ・ゼリコウは、世界貿易センターの破壊のような米国に対する壊滅的なテロ攻撃は、「米国を一変させる出来事」であり、「米国の歴史の分水嶺となる出来事」であり、「真珠湾のように…過去と未来を前後に分け」、「その後の社会」は、「厳しい措置や市民的自由の縮小、市民に対するより広範な監視、容疑者の拘留、殺傷力のある武力行使」を特徴とする、としていた。
この状況が実現するまでに2年以上かかったが、書かれていたことの多くは、9/11の後、PNAC(アメリカ新世紀プロジェクト)に群がる勢力が待望の「新しい真珠湾攻撃」という口実を手に入れたときに実現した。

「公共神話の創造と維持」に関する博士論文を書いたゼリコウは、ジョージ・W・ブッシュによって9/11委員会の事務局長に任命された。アシュトン・カーター(オバマ政権下で国防総省長官)とジョン・ドイッチ(1995-96年CIA長官)は、「壊滅的なテロリズム」が書かれたとき、ロスチャイルド・ノース・アメリカの独占的関連会社であるグローバル・テクノロジー・パートナーズ社の上級幹部だった。ドイッチは2001年に政府機密の取り扱いを誤った罪を認めたが、ビル・クリントン大統領が、任期最後の日に彼に恩赦を与えた。

空港の「安全管理体制」

「おそらくいつの日にかは実現するだろうが、もし真実が語られることが決められたのなら、国家(イスラエル)がコロンビアで起こっていることよりも千倍も汚い行為に関与してきたことがわかるだろう」 — ラファエル・エイタン中将、「コロンビア・コネクション」、エルサレム・ポスト紙(1989年9月1日)

乗っ取られた便が出発した空港での安全管理と乗客の監視を担当していたのは、インターナショナル・コンサルト・オン・ターゲッティド・セキュリティ社(ICTS)の完全子会社であるハントリーUSA社というイスラエルの会社だった。

ICTS社は1982年にイスラエル人のメナヘム・アツモンとエズラ・ハレルによって設立され、2001年9月11日にはリオル・ズーカーの支配下にあった。
同社は、イスラエルの国内治安機関シン・ベットの多くの代理人を雇用しており、シン・ベットは、国際的なコカイン密輸で有名なイスラエルのエル・アル航空の警備も担当している。

メナヘム・アツモンは、1996年にエフード・オルメルトと共にベンヤミン・ネタニヤフの選挙運動の共同財務官として務めていた間に犯した金融犯罪で懲役刑を宣告された。
オルメルト(2006年から2009年までイスラエルの首相)は、後に2016年に汚職の罪で投獄されることになる。
興味深いことに、オルメルトはたまたま9/11の前日にニューヨーク市にいたが、この事実は、オルメルトが2001年9月10日にベイタル・フットボール・クラブをニューヨークの二人のイスラエル系米国民実業家に売却したことを報じるエルサレム・ポストの記事が出るまでは表に出なかった。
オルメルトは、9/11の時点でエルサレムの市長だった。
なぜ彼の訪問が秘密にされていたのか、不思議だ・・・。それはさておき。

ICTS社はオランダに拠点を置き、設立以来、イスラエルの諜報工作員によって運営されてきた。同社の所有者はCukierman & Co.社であり、この会社の創設者のロジャー・クキアマンは、エドモンド・デ・ロスチャイルド・グループ社の元最高経営責任者で、イスラエル総合銀行の会長でもある。
重要なことに、ロジャー・クキアマンは、1995年にイツハク・シャミル首相の息子、ヤイル・シャミールを指導的地位に任命したボアズ・ハレルのカタリスト基金の会長でもあった。

ICTS社の子会社であるハントリーUSA社は、イスラエル国防軍(IDF)とシン・ベットの元構成員によって運営されている。
9月11日、同社はボストンのローガン空港とニュージャージーのニューアーク空港で警備と乗客の監視を管理したが、実際に旅客機を乗っ取った人物が誰であれ、カッターナイフよりも立派な武器を持っていたとしても搭乗が許されていたに違いない。ICTS社には、安全管理を妨害してきた疑いが持たれる長い歴史があり、以下のテロがおこなわれた現場の安全管理を担当していた。

* 2001年に「靴爆弾犯」リチャード・リードが飛行機に搭乗した、パリのシャルル・ド・ゴール空港

・ 2011年の爆破事件で37人が死亡し、173人が負傷した、モスクワのドモジェドヴォ国際空港。

・ ISISの仕業とされる2016年の爆撃で32人が死亡し、300人以上が負傷した、ブリュッセル空港

* 2007年7月7日、3つの地下鉄と1つのバスで同時に爆弾が爆発し、52人が死亡し、700人以上が負傷した。ロンドンの地下鉄。この事件は7/7攻撃という名で知られるようになる。
爆発のほぼ直後、モサドのエフレイム・ハレヴィ長官は、エルサレム・ポスト紙に「今日、ロンドンの交通機関で起きた複数の同時爆発」について書いたが、ロンドン警察を含む誰も、爆発が同時だったことを後になるまで知らなかった。
不思議なことに、ICTS 社の英国事務所は、バス爆弾が爆発したまさにタヴィストック・スクエアにあり、ベンヤミン・ネタニヤフは当時ロンドンにいた。
イスラエルの会社Comverse/Verint社は、7月7日の攻撃の1年前に、ロンドンの地下鉄に「動画による監視網」を設置する契約を与えられていた。
あの日、その監視網が故障する、と誰が予想できただろうか?

・ナイジェリアの実業家・銀行指導者の息子で元経済開発大臣のウマル・ファルーク・アブドゥルムタラブが、下着に爆発物を詰め込んだ状態で飛行機に搭乗することを許された、アムステルダムのスキポール空港。
この事件は、米国のラピスカン社が攻撃的な監視道具となる人体読み取り装置を空港に配置する道を開くことになった。マイケル・チャートフがその名が実態を表す「チャートフ(ユダヤ語で「悪魔」の意)・グループ」と名付けた会社は、安全/危険管理に焦点を当て、「より安全な世界を実現する」と自画自賛していた会社だったが、この会社は偶然にもラピスキャン社の代理会社であり、この製品の配置により大金を稼いだ。チャートフ・グループ社は、「下着爆弾犯」がパンツの中に爆発物を入れてICTS社による警備をよろめきながら通り抜ける前から、スキャナーでいっぱいの倉庫を準備していた、と言われている。

隠蔽工作

9/11のような規模の犯罪を隠蔽するためには、制御しなければならない3つの重要な側面がある。

• 発生直後に出されるその事件の解釈とその解釈をその後永続的に続けること、その事件が一般に説明される方法の制御。

・ 調査と証拠の入手経路の制御。

・ 法的証拠開示を防ぐために、訴訟を制御し、法的証拠開示を防ぐ。

犯罪の解釈

公式説明の発信源はエフード・バラク

9/11の朝、イスラエルの元首相で、支配者層のサヤレット・マトカル傘下の先鋭部員で、イスラエル国防軍(IDF)の司令官であるエフード・バラクが、都合よくロンドンのBBCスタジオに座り、その日の攻撃の責任者が誰なのかを全世界に伝える準備ができていた。
誰も何が起こっているのか全く分からない大混乱状況の中であり、さらに世界で最も洗練された諜報/監視機関として知られていた米国の保安体制が、一日で4回も無能状態にされた状況であったにもかかわらず、なぜかイスラエルの元首相が、誰がやったのかを知っている、と示唆していた。
すなわち、「ウサマ・ビン・ラディン」だ。さらに、彼がどこに隠れているのかも把握していた。
それは「アフガニスタン」だった。
バラクはそれから、イスラエルの戦略家たちが何十年も計画してきたとおりに、米国が中東で「テロに対する作戦的で具体的な戦争」を開始する時が来た、と発言した。
バラクよる9/11攻撃の説明は、攻撃の直後、証拠の収集が始まるずっと前にBBCスタジオから発信され、政治家や報道機関に疑う余地なく受け入れられる公式説明となった。それは今も決して変わっていない。

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イスラエルの元首相エフード・バラクは、9/11の翌朝、BBCニュースで、米国に「テロに対する作戦的で具体的な戦争」を開始するよう呼びかけた。

エフード・バラクは、9/11に関与したシオニスト犯罪網とあらゆる段階でつながっている。
1980年代、イスラエル軍事情報部(AMAN)の長官として、バラクは、CIA工作員ウサマ・ビン・ラディンを含む、アフガニスタンのグルブッディーン・ヘクマティール傘下の猛烈な反欧米イスラム教過激組織に武器を与え、訓練し、この先に訪れるであろう「対テロ戦争」のための完璧な悪の象徴を作り出していた。

彼はこの作戦で、米国下院議員チャーリー・ウィルソンと彼の最高補佐官/操り主であるイスラエルのズヴィ・ラフィアによって支援された。
バラクからビン・ラディンとヘクマティールの訓練を任された男は、ヘブライ語を話す二重スパイのCIAの工作員アリ・モハンマドで、彼は1998年にアフリカの二つの米国大使館の爆破を組織した役割により終身刑に服しながら、どういうわけか米国の刑務所から跡形もなく姿を消していた。
バラクの国際犯罪の裏社会とのつながりをすべて明らかにするには、かなりの量の作業が必要になるだろう。中でも注目すべき事実は、バラクがジェフリー・エプスタインの親しい仲間であり、仕事仲間であり、マイケル・チャートフが取締役を務めていたカービンという会社に関与していたことだ。
ギディ・ワイツがイスラエルの新聞ハアレツ紙(2019年7月11日)に以下のような見出しの記事を書いた。

「暴露記事:ジェフリー・エプスタインは、2015年、エフード・バラクと数百万ドル相当の共同提携を締結していた」

「米国の億万長者の金融家ジェフリー・エプスタインは、未成年の少女が関与した新たな性的人身売買の容疑で性犯罪者として今週逮捕されたが、エプスタインは元首相のエフード・バラクと提携関係を結んでおり、この元首相の政治活動始動に投資していた。

2015年、バラクは自身が唯一の株主である合資会社を設立した。その会社は、2014年に設立されたリポーティ・ホームランド・セキュリティ社に投資し、主要株主になった。
昨年、リポーティ社はカービン社に社名を変更した。
同社は、緊急対応事業のための通話処理および識別機能を開発している。

バラクはカービン社の会長であり、ビジネス系報道機関の報道によると、彼の会社への個人的な投資は合計で数百万ドルにのぼる、という。ハアレツ紙は、エプスタインが投資のかなりの部分に資金を提供し、この取り組みの協力者になったことを突き止めた。」

興味深いことに、バラクのいとこであるデイヴィッド・ブロッグは、ペンシルベニア州上院議員アーレン・スペクターの長年の首席補佐官であった。
スペクターはウォーレン委員会の若きユダヤ人弁護士として、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の公式説明の露骨な異常性を説明するために、ばかげた「魔法の弾丸*」理論をでっち上げた。
イスラエルの指紋は、JFKと彼の弟ボビーの暗殺のいたるところに見える。マイケル・コリンズ・パイパーの『最後の審判』とローラン・ギエノの『語られざるケネディの真実』は必読書だ。
*魔法の弾丸・・・一発の銃弾が、ケネディ及び同乗していたコナリー知事の両者を撃ったという公式説明の信じられなさを揶揄することば。

ハウアーの時代

エフード・バラクが、米国は中東で「対テロ作戦戦争」を開始する必要があると英語圏全体に告げてから間もなく、別の専任シオニスト工作員が米国のテレビ局を巡回し始めた。
9/11のとき、ジェローム・ハウアーは、世界貿易センターの警備を担当する会社、クロール・アソシエイツ社の業務執行取締役だった。
彼は以前、1996年から2000年までジュリアーニ市長の緊急事態管理室(OEM)の局長を務め、WTC第7ビルの23階に、ニューヨークの全ての緊急通信周波数を監視できる1300万ドルの司令部センター室の建設を主導した。9/11騒ぎの他の多くの関係者と同様に、ハウアーはシオニストと深いつながりを持っている。
彼の母親はかつて、「シオンの娘」という団体のニューヨークのハダサ支部の名誉会長を務めていた。

タワーが崩壊したわずか数分後、ジェローム・ハウアーはダン・ラザーとともにCBSニュースに出演し、このTV局網の視聴者に政府からの公式説明を伝えた。ハウアーは、タワーが倒れたのは単に飛行機にぶつかり、その結果生じた火災が原因で、建物の構造的完全性が弱まり、建物が崩壊したためだ、と主張した。彼はまた、「瓦礫のせいで7号棟に入ることができなくなっており、関係者らは構造の安定性を心配しています」と警告した。
鉄骨の高層ビルが火事で倒壊したことはこれまで一度もなかったので、彼がWTC第7ビルに関して「関係者はその構造安定性を心配している」と言うのはばかげた発言だった。
ハウアーが実際にやっていたことは、人々に前もって彼が知っていたことについての心構えを持たせることだった。

つまり、その後、午後5時20分に、WTC第7ビルが物理法則に従わない形で自由落下速度により崩落することになっていたことだ。そのビルは飛行機にぶつかりもせず、比較的小さな火災を被っただけにもかかわらず、だ。それにもかかわらず、ハウアーの滑稽なおとぎ話は公式説明とされ、ツインタワーの破壊に関する彼のたわごとは、三年後、仲間の共謀者フィリップ・ゼリコウによって全文が書かれた、深刻な欠陥のある9/11委員会報告書が採用することになった。
おそらく偶然ではないだろうが、ハウアーの推薦により、元FBIテロ対策部長のジョン・オニールが米国の調査会社であるクロール・アソシエイツ社の安全管理部責任者としての仕事に就くことになった。
オニールは、アルカイダとオサマ・ビン・ラディンに対する彼の捜査が、FBI内部の人々によって妨害されていると苦々しく不満を漏らしていた。オニールはその新しい仕事に就いた初日、9/11攻撃で亡くなった。

ブッシュ&フライシャー

この全てが進行しているとき、1000マイル離れた小学校の教室で劣等生よろしく座っていたジョージ・W・ブッシュ大統領は、イスラエルの報道官アリ・フライシャーによって進行中の出来事についての最新情報を得ていた。
この道化師の少年のようなブッシュが、9/11の計画について、どの程度の洞察力を持っていたかを知るのは不可能だ。
その朝、デビッド・ルービンスタイン所有のカーライル・グループ社の幹部らと面会していた彼の父親のほうが、おそらくもっと多くのことを知っていただろう。子ブッシュは、彼の精神的無能さゆえに、おそらく作戦の責任者として形だけの役割を果たすことだけ任されていたのだろう。
だからこそ、子ブッシュは陰謀から遠く離れたところにおかれていて、イスラエルと米国の二重国籍者であるアリ・フライシャーが行動を起こしたのだろう。

教室の後ろからブッシュのために手書きの看板を掲げたのはフライシャーだった、そこには「まだ何も言うな」と書かれていた。
その後、彼は、まだエマ・E・ブルッカー小学校にいる間に、ブッシュからの国民への演説を一字一句個人的に準備した。信じられない! 調査記者のクリストファー・ボリンは、以下のような疑問を呈していた。
「犯罪の背後に誰がいるのか、事実上何も知られていないのに、フライシャーはどうやって大統領が何を言うべきか分かったのだろうか。フライシャーは熱心なシオニストであっただけでなく、彼の兄はイスラエル空軍の退役軍人によって所有され、支配されているイスラエル所有の会社の社長であり、そのうちの一人はエフード・バラクの会社の提携業者だった」。
アリ・フライシャーは、9/11作戦の主要容疑者であり、当然のことながら、壊滅的なイラク戦争を熱烈に支持していた。
彼はまた、非ユダヤ人を憎む激しい人種差別主義者のメナハム・メンデル・シュナーソンが何十年も率いていた過激な正統派の宗教団体、ハバド・ルバヴィッチの一員でもあった。

 

※なお、本稿は、寺島メソッド翻訳NEWS(2024年10月15日)「9/11を実行したのは、イスラエルである。」http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-2752.html
空の転載であることをお断りします。
また英文原稿はこちらです⇒How Do We Get Off the Road to Armageddon?
筆者:ポール・クレイグ・ロバーツ(Paul Craig Roberts)
出典:本人ブログ  2024年10月15日
https://www.paulcraigroberts.org/2024/10/16/how-do-we-get-off-the-road-to-armageddon/

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寺島隆吉 寺島隆吉

国際教育総合文化研究所所長、元岐阜大学教授

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