登校拒否新聞5号:蛍雪時代

藤井良彦(市民記者)

2011年3月29日付で、はてなブログに「中学校不登校で定時制の高校に通っていた受験生の京大合格までの軌跡的なもの」という記事がある。執筆者はnotaniさん。

https://tnn-jp.hatenadiary.org/entry/20110329/1301409090

「こういう臭いのは書くべきか迷ったんですが、僕自身が先輩方の記録(特に長衣有希(超)勉強日記 2nd 〜大学受験編〜(嶺井祐輝さん)や東大理1に1年で受かった勉強法(LonLonさん)に大いに励まされた経緯があるので、書いておくことにします」と始まるこの記事である。嶺井祐輝さんとLonLonさんの記事はどちらもリンクが貼られてはいるもののすでにリンク先で削除されてしまっている。notaniさんは「ありがたいことに僕が大学に受かってから書いた記事を未だに読みに来てくれる人がいる」ということで、「不登校だった/底辺高校にいる諸君へ:大学受験に関するもろもろ」という記事を2013年5月12日付で公開した。ブログ自体は2014年12月31日をもって更新が途絶えている。

https://rn102.hatenablog.com/entry/2013/05/12/093205

彼は小学校の終わり頃から学校に行かなくなり、中学校の3年間をほとんど登校していない。「そのせいで受験できる高校がほぼ0だった。唯一可能性のあった県立高校(定時制)に進学」というから、やはり内申点の都合で進学先が限定されたケースである。「英語の一番最初の授業で受けたテストに「アルファベットを26文字で書け」なんて問題が出る」というのはよくわかる。「入試で使ったけど履修出来なかった科目」として、数学B、物理II、化学II、世界史Bが挙げられている。「物理IIと化学IIが開講されない代わりに物理I、化学Iを2年かけて履修するというシステムになっている」というのもよくわかる。結果、センター試験を6人が受験して、彼は京都大学に合格したという話。

この記事には横山さんという方がコメントしている。

こんにちは。「中学 不登校」と検索したら上位に出てきたのでアクセスいたしました。私は中学1年生の6月くらいから休みはじめ、そこから学習とは無縁になり、今は底辺高校にいます。質問なのですが、中学の勉強はどう消化しましたか?私は消化出来ずに四苦八苦してます。もしよろしければ教えてください。

よくわかる――と、さっきから言ってるけれども、どういう意味か?

登校拒否新聞は号外に始まりました。うぷ主が中学校には一日も通わず通信制高校を出たということは何度が書いてきた通り。だからnotaniさんや横山さんが言っていることは、よくわかる。「不登校経験」と巷に聞こえるおかしなワードがある。一般的に学校が合わなかったというような心象が語られることが多いようだが、あえて言うならば、notaniさんや横山さんが言っているようなことこそ「不登校経験」なのだ。

不登校新聞のようなフリースクール系の発信者が意図的に目をつむってきたのが「学校の勉強」という現実である。不登校の専門家を自称する者たちが口を揃えて言う「多様な学び」というジャーゴンの対句となる、この「学校の勉強」を自学自習するという現実的な課題がスクマイたちには課せられてある。この課題を乗り切ることができなければ、通信制や定時制高校に入ったところで必修単位を取得できずに中退することになる。

横山さんが言っている底辺校などというものを教育学者は認めない。しかし社会に底辺があるなら学校にも底辺がある。落ちこぼれは落ちこぼしとはよく言ったものだ。では、落ちこぼさないための受け皿が必要じゃないのか。そこを中退する者にインタビューして「学校が合わなかった」というような意見を聞き出して配信してきたのが不登校新聞である。登校拒否新聞は底辺校を卒業し切るための方法をお伝えする。

高校時代の友人は父親が指を詰めていた。夜は母親がママをやっているスナックの厨房に立っていた。彼が「これくらい読んどかなきゃ」と言って夏目漱石の『坊ちゃん』を手に取った情景を今でも忘れない。彼女は施設にいた。親の虐待が原因である。高校相当の学校に在籍していなければ施設で暮らせないという規定がある。漱石を手にした篤学の士が高卒を取る理由は親の稼業を継ぎたくないからだ。中退することの許されない立場で学校に通っている者もいる。
彼らが学校に籍を置き、また何としてでも高卒を取る意味は素直に認めるべきだ。「学び」を求めて学校に行くなどというのは一つの理想論である。自分が置かれている社会的現実を変革するために学歴社会の底辺を進む。社会の低層から浮き上がるために学校に行くのもまた一つの理想である。試験勉強を課する以前に勉強どころではない者たちがいる。彼らに対して最低限の学歴を保障するのもまた義務教育の意味である。

では、なぜ彼らは底辺校を卒業できないのか?

理由はさまざまであろう。しかし、横山さんが言っているように「中学の勉強はどう消化しましたか?私は消化出来ずに四苦八苦してます」というのがネックとなっていることは間違いない。notaniさんの記事に「英語の一番最初の授業で受けたテストに「アルファベットを26文字で書け」なんて問題が出る」「入試で使ったけど履修出来なかった科目」「物理IIと化学IIが開講されない代わりに物理I、化学Iを2年かけて履修するというシステムになっている」などとあるのも、そういう背景があるからだ。つまり、中学相当の勉強を未消化のまま高校に進学してきている者が多いからアルファベットの勉強から始めなければならない。高校の勉強をする前に中学校の勉強をしなければならない。「物理I、化学Iを2年かけて履修する」というのは、そのためである。

通信制高校や定時制高校の大半は事実上、無試験である。それに輪をかけての少子化だ。中学全欠席でも入学することはできる。しかし中学校での勉強を未履修のまま進学しても高校相当の勉強には入っていけない。そこで、まず復習からする必要がある。教員がタンバリンを叩きながら、I、my、meと変化を教える授業が高校でなされていると言えば笑うかも知れないが実話だ。「アルファベットを26文字で書け」というのは極端であるにしても未履修であれば当然だ。そして、形式上、そういった授業は高校の授業として行われる。つまり英語Ⅰとして行う。であるから、最初の1年を最低でも復習に費やしてようやく高校英語に入るために英語Ⅱに進まないのである。Ⅱは必修ではないからそれで問題ない。ただ、受験勉強をするというのならⅡをやらなければならない――ということである。

ということである、と言うのは、私は安易に指定校推薦を使って大学に入ってしまった人間である。だから数学も英語もⅡは履修していない。物理Iと化学Iは選択必修である。化学Iを選んだのは友人の父親が東京理科大学を出ていて彼のレポートを見せてもらえることが確約されたからだ。そう言えば、数学Aも見せてもらった。かわりに英語のレポートを見せて取引完了。こういうのも卒業するコツである。

さて、notaniさんは横山さんの「中学の勉強はどう消化しましたか?私は消化出来ずに四苦八苦してます」という質問に対して次のように答えている。

僕の場合、中学の勉強を消化しようとするのは高1で諦めました。というのも、中学の勉強は、高校ではあまり使わないか、もう一度やり直すっぽいぞ、と思ったからです。数学を例に取ってみます。数学Iの始めに勉強する式の計算(展開・因数分解)や2次方程式は中学の勉強とそっくりですよね。大部分被ってます。数学Aで勉強する確率もそっくり。中学の理科は、高校の物理・化学・生物・地学をまとめて簡単にした作りになってます。高校ではそれぞれの科目をやっぱり初めからスタートします。しかも、全部を履修するわけではありません。だから、特別に「中学」の勉強を一生懸命やり直す必要はない、というのが僕の意見です。

なるほど。とすると、英語以外は未履修でもなんとかなりそうである。そういうのをまとめた参考書があれば便利だ。それが現実的に必要な情報なのに「不登校」を研究しているという教育学者や「臨床」と名のつく学問――教育臨床学、臨床教育学、学校臨床学、学校臨床心理学、学校臨床社会学、教育臨床社会学、エトセトラの先生方は何もそういうことを言わない。

紹介した横山さんのコメント以外にも、notaniさんの記事にはたくさんのコメントがついている。notaniさんはそれらすべてに返信している。このスレッドを追ってるだけで、いわゆる不登校研究という学問的営為がいかに現実と乖離しているかがわかる。彼らの多くは中学時に「不登校」であるが誰も「多様な学び」を求めてはいない。

星羅さんのコメントは印象的だ。

初めまして。私も中学の頃不登校で全日制は行けないと言われ現在定時制高校に通う高1です。4月から高2になります。もう少し早くこの記事と出会いたかったです。私は広島大学の看護科に行きたいのですが、定時制ということで先生達からは無理だと言われています。どうしても進学したいなら高認をとって予備校に通うくらいまでしないと無理だそうです。私の家は決して裕福とはいえないので予備校などに通う余裕はないので独学で勉強したいのですができるでしょうか?先生、友達からも笑われていますがここで諦めたら一生後悔すると思います。もし定時制高校で予備校にも通わず独学でなんとかなるなら最大限努力します。ただどのように勉強をすればいいのか分からないのです。

このコメントに対するnotaniさんのレスは記事を見て欲しい。ここに何もかも引用するわけにはいかない。ただ、ブログという性質からして記事がいつまでも残っているとは限らない。印象に残ったものだけはいくつか引いておきたい。
そよみさんはこう言っている。途中、省略して引用する。

はじめまして。中3で中1の冬頃から不登校です。いまは不登校の集まるような市のやっている施設で勉強したり、そこの子しゃべったりと言う感じです。不登校になってからもずっと、地道に学校の勉強を続けています。不登校だったのですが、大学に行きたくて検索して、ここにたどり着きました。・・・行ける公立の高校は少なく、定時制や通信制なのですが、おすすめはどちらでしょうか。

であるから「学校外の学びの場」における「多様な学び」という主張は実情に即しているとは言えない。そよみさんは「学校の勉強」を続けている。しかし行ける高校が少ないという現実がある。そこで定時制か通信制か、という選択が迫られる。最近では一概に通信制高校といっても種類がある。人気のある学校も出てきている。そよみさんの質問に対してnotaniさんは自分は定時制高校に進んだから通信制のことはわからないと正直に答えているが同感である。私も定時制のことはわからない。
私の通った通信制高校は必須単位についてはレポート提出ではなく通学して授業を受けて取得するという制度があった。つまり必須単位に限って全日制という感じである。あるいは部分的に定時制といったところか。その違いということで一つ気になったのは図書室である。

というのも匿名で名無しさんが次のように言っている。

周りのレベルに辟易しませんでしたか?休み時間がうるさかったり、受験生なのに全然勉強してない人ばかりで嫌になります。主さんの学校は治安が良さそうで羨ましい限りです…orz

これに対するnotaniさんの返信は――、

1人だけ国公立を狙っている同級生がいてかなり助けられた感があります。(それ以外の同級生は察してください :p)基本的に図書室で勉強していたので、周りはあまり気にならなかったです。

つまり定時制高校には図書室がある。この空間が通信制高校にはない。もっとも本校の校舎が別にあり、そこを利用している付属通信制ということであれば図書室の利用もできるかもしれない。私の場合は本校が道を挟んで真向かいにあったが女子高であるから立ち入ることはできなかった。

名無しさんが言っているように「周りのレベル」は低い。おそらく勉強しようと思っているだけでもハイレベルなのだ。教室に入るなり寝ているのは夜働いているからか。英語の答案が0点なのはなぜか。カンニングさせてくれと言うから試験中、隣に座らせて見せてやったのに、奴が単位を落としたのはなぜか。肩を落とすな、青年よ。持つべきものは同級生だ。先に化学のレポートを見せてもらった話をした。見た、というよりも丸写ししたのである。試験は赤点20点だから何とかクリアできた。だいたい半数以上がやめるのだから比較対象がない。2年生にもなれば半数以上が知らない顔になる。皮肉なことに編入生の大半はいわゆる進学校の出身である。彼らは勉強しているのだから、仲良くなれれば彼らのレベルに合わせるのがコツかもしれない。

カビキラーさんには悩み事がある。

私は中2の夏休み明けから別室登校になり、現在中3なのです元から勉学が得意な方ではなく内申もなく通信制高校に行くことになりそうなのですが(と、いっても週5登校で制服もあるコースです)場違いかもしれませんが通信制高校というのは京大のような良い大学にいっても履歴書でバレて不利になってしまうのでしょうか……

私は指定校推薦で進学したからこの問題は素通りしている。ただ、大学院に進学するに際して、履歴書から「附属通信制」の5文字を消したことは認める。そうすると本校が女子高であるため女子高を卒業したことになりマズいんだがバレたことはない。最終学歴が大卒であっても「附属通信制」とは書きにくい。そんなことで少しでもマイナスになったら損だからだ。この点は教育制度の多様化を考える上で重要だ。しかし、全日制の本校があれば使える手口(?)であることは伝授しておこう。

シリウスさんは努力家である。

僕も中学校3年間引きこもりでろくに勉強してない状況から定時制に入りそこで勉強頑張ってみました。第一志望は大阪市立大学の工学部にしましたが結局関大止まりでした。

いわゆる高学歴の例はあるのだ。そういう例が表に出てこないのは不登校研究という学問のあり方と、不登校新聞のような特定のフリースクールを母体とした組織の配信する主張を一方的に配信してきたメディアのあり方に原因がある。親の会というのもこういう成功例は出さない。というよりも出せないのだろう。しかし、いろいろ、では答えにならない。どういう例であれば満足できるか、というモデルケースを選ぶ必要がある。

冒頭に述べたように、notaniさんの記事にはたくさんのコメントがついている。ここに引いたのは一部に過ぎないけれど、その中に「多様な学び」を求める意見は一つもない。定時制という環境では受験勉強ができない。だから自学自習するしかないが、そのための勉強方法が知りたい。あるいは学校に行っていない時期が長かったために勉強方法がわからない。勉強する習慣がなくて困っている、というように「学校の勉強」をしたいという切実な訴えばかりだ。向学心があるにもかかわらず、進学先が通信制か定時制かというような限定を受けるために思うように勉強できずに困っている。

乱塾時代が流行語となった頃に問題となった登校拒否。進学重視の学校教育が登校拒否の原因というような主張が幅を利かせたのは当然だ。しかし、そこで落ちこぼれる者たちの中にはやはり「学校の勉強」を求めている者も少なくない。人並みに進学したい。あるいは「不登校」を挽回するためにより上を目指したい。出戻り組とでも言うべき彼らにとって「多様な学び」は答えにならない。未だ蛍雪時代。

以上、横山さん、星羅さん、そよみさん、名無しさん、カビキラーさん、シリウスさんのコメントを紹介した。皆さんに御礼申し上げると共にnotaniさんには我田引水をお詫び申し上げます。頓首。

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藤井良彦(市民記者) 藤井良彦(市民記者)

1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。

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