【連載】ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 メールマガジン
ノーモア沖縄戦

メールマガジン第236号:自衛隊と靖國神社 自衛隊へのシビリアンコントロールは機能しているか -「自衛官は靖國に祀られるか」と説く元陸上幕僚長-(2)

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歴代の日本政府の公式見解
1945(昭和20)年8月14日、ポツダム宣言を受諾、降伏し、翌15日、戦争を終結させた日本は、前文に「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」と謳った日本国憲法を制定し、戦後の再出発をしました。
「日本側は過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことを痛感し、深く反省する」と述べた1972年日中共同声明、「戦争終結後、我々日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にも、また自国民にも多大な惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました」と述べた1985年の中曽根首相国連総会演説、「慰安所は、当時の軍当局の要請により、設置されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したことが明らかになった。また、慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」と述べ、従軍慰安婦に国家の関与を認めた1993年の河野官房長官(宮澤内閣)談話、「我国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大な損害と苦痛を与えました。私は未来に過ちなからしめんとするがゆえに、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持を表明いたします」と反省を述べた1995年の村山首相談話、「3・1独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的、軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられました」と述べた2012年韓国「併合」100年迎えての菅直人首相談話等々、歴代の日本政府の公式見解は、憲法前文に云う「政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こすことのないやうにすることを決意し」を踏まえたものです。
統治行為の理論で判断回避し、政治に忖度したものとして評判の悪い、1959年12月16日の砂川事件最高裁大法廷判決も冒頭部分において「そもそも憲法第九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴ない、日本国民が過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こすことのないやうにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであって」と述べています。
村山首相談話は、1998年の日韓共同宣言中でも、「小淵総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期、韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた」と再確認されており、2002年の日朝平壌宣言でも「日本側は過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」と述べられるなど、日・韓・朝間での国際的合意となっています。アジアに対して傲岸な安倍晋三ですら2015年5月の米議会での演説では「真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海……、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙とうをささげました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼をささげます。とこしえの、哀悼をささげます。」とやりました。
近・現代における日本の戦争は、すべて正しい戦争であったとする「聖戦史観」に拠って立つ靖國神社は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」た新憲法の精神に反する存在なのです。巷間問題とされるA級戦犯の合祀は靖國神社とすれば当然のことです。靖國神社は絶対にA級戦犯を分祀しません。分祀した瞬間に靖國神社は靖國神社でなくなってしまいます。靖國での慰霊は国家の責務か
前記論考で岩田氏は以下のようにも語ります。
「我々日本人は、いつまで靖國での慰霊を他国に配慮し続けるのか。
当時の日本政府は、国民に対し命を捧げることを求め、その報いとして靖國神社での霊の奉斎を約束した。これは国家と国民との約束である。それが守られないのであれば、一体どの国民が再び政府の要請に応えるというのか」、「国家と国民の約束を守り続ける独立性、そしてその行為に対する外国からの干渉を排除して初めて、我が国は主権国家と言えよう。主権国家たる日本の姿勢の明示の延長線上に、自衛官の慰霊の在り方が議論されるべきだ。これまでの呪縛を我が国自ら開放し、戦後レジームから脱却することを強く望む」。
確かに、戦前、日本国家は戦死者(戦病死者も含む)を陸・海軍省の管轄する国家機関である別格官幣社靖國神社で祀ってきました。しかし、国家による靖國での追悼の約束は、「アジアの解放」による「大東亜共栄圏」建設の「虚構」の上でのものであったのではないでしょうか。靖國神社もこの「虚構」の共犯者でした。
1945年8月15日の敗戦を経て、「大東亜共栄圏」の「虚構」は崩壊しました。戦後の新憲法下で靖國神社は、国家機関でなく、単なる一宗教法人にすぎません。
それでも、国家に対して靖國での追悼という約束を守れと、戦後生まれで新憲法下育った元陸上幕僚長が言うのでしょうか。この約束が守られなければ「主権国家と言えない」と言うのでしょうか。
先の戦争の性質いかんにかかわらず、国家は国民を戦争に駆り立てたのですから、「戦場ニ死シ、職域ニ殉ジ、非命ニ斃レタ」(終戦の詔勅)戦没者を国家が追悼するのは当然です。しかし、その追悼の場が現在もなお聖戦史観に拠って立つ靖國神社であることが適切なのでしょうか。海没した兵士、餓死した兵士、非業無念の死を強いられた死者たちは、「大東亜共栄圏」の「虚構」の共犯者であり、今なおその「虚構」を維持し続けている靖國神社に神として祀られ、そこで追悼されることを望んでいるのでしょうか。
230万人の軍人・軍属だけでなく、80万人の民間人も含むすべての戦没者を対象とした無宗教の国立追悼施設の建設が望まれます。但し、そこでは戦没者に対してはひたすら追悼あるのみであり、決して戦没者に感謝したり、称えたりしてはなりません。感謝し、称えた瞬間に戦没者の政治利用が始まり、戦没者を生み出した者の責任があいまいにされます。
「我々日本人は、いつまで靖國での慰霊を他国に配慮し続けるのか」と息巻く前に、中国、韓国等からの靖國神社参拝批判の中身を正確に理解しなければなりません。
毎年8月15日に政府主催で行われる戦没者追悼式を中国、韓国等が批判することはありません。戦没者の追悼はどこの国でもやっていることだからです。中国、韓国等が批判するのは靖國神社という場所でそれを行うことです。A級戦犯合祀に象徴されるように靖国神社が聖戦史観に拠って立つ反憲法的、反社会的な施設だからです。
(続く)

内田雅敏(弁護士)

 

 

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