登校拒否新聞6号:形式卒業の今

藤井良彦(市民記者)

富山県の教育委員会が夜間中学に関する調査を行った。その結果に基づき有識者による検討協議会を開催したと富山のテレビ局チューリップテレビが報道した。TBSのサイトにも「“学び直しの場”として注目を集める「夜間中学」 まだ設置のない富山県でも動き」と記事があるから全国放送されたのだろうか。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1512464?display=1

協議会の模様は富山テレビで放送された。こちらはフジテレビで全国報道されたのか。フジテレビのサイトに記事がある。それによると――、
「夜間中学」は夜の時間帯に授業を行う公立の中学校で、さまざまな理由で小中学校を卒業できなかった人、病気や不登校などにより学び直しを希望する人、母国で義務教育を修了していない外国籍の人などが対象です。文部科学省は、各都道府県に少なくとも1校の設置を求めていて、今年4月現在、24の都道府県で53校設置されていますが、県内にはありません。
ということだ。

https://www.fnn.jp/articles/-/777956

夜間中学はある時から「学び直しの場」と言われるようになった。フリースクールなどが「学びの場」であるなら夜間中学は「学び直しの場」ということらしい。夜間中学は正式には二部(夜間部)というもので教育法規に定めがある。いわゆる一条校というものであるからフリースクールとは違う。気になるのは「さまざまな理由で小中学校を卒業できなかった人」という括りだ。この点については後述するので記憶されたい。

続報はやはり富山テレビで「こどものミカタ」と報じられた。これもフジテレビのサイトに記事がある。少し長くなるが引用する。

いま全国で開設が相次ぐ夜間中学校。文部科学省は各都道府県に少なくとも1校の設置を促していて、今年4月現在、24の都道府県に53校。再来年度には34都道府県に68校となる予定です。北陸でも来年度に石川県で。再来年度には福井県での開校が決まっていますが、富山はこれから検討を進める段階です。こうした中、夜間中学の開設にひときわ関心を寄せている人たちがいます。「起立性調節障害」、通称「OD」を患う子どもの保護者たちです。保護者「朝起きられなくてお昼ごろから動き出せる。学校に行けるときは行く」「夜の7時すぎくらいから通える夜中までのバイトをシフト制で入ったり」

「OD」は、思春期に自律神経がうまく機能しないことで起こる病気で、中高生では10人にひとり、全国でおよそ70万人にのぼるとされています。血流が不足することでめまい、倦怠感、頭痛などさまざまな症状が現れます。特に朝、症状が強く、夕方以降は回復する傾向があります。数年で改善する場合がほとんどといいますが、長期の不登校・引きこもりに至る人も少なくありません。富山市で2か月に1度、保護者同士で情報交換をしている「親の会」。OD当事者やその家族が夜間中学という「学びの場」をどう捉えているのか聞いてみました。保護者「勉強したくても具合が悪くて、夜になったら元気になる子もいる。さまざまな理由で中学校に行けない(子もいる)」「夜元気なときに気軽に勉強できる環境が必要」

OD当事者にとって夜は活動時間に適していることから夜間中学は有効としながらも、一方でこんな意見が。保護者「(夜間中学は)現役の中学生が行けなければあまり意味がないのかなと。高校生や大人になれば学ぶ環境はあるし自分で動けると思うが、親にも頼らなくちゃいけない、自分ひとりでできない学年の子たちにスポットを当ててサポートを強化してもらえたらなと」

検討されている夜間中学は、原則、現役の中学生は通うことができません。一般の公立中学校では年間1015時間の授業を受ける必要がありますが、夜間中学の場合は700時間しか確保できないためです。しかし全国では、柔軟なカリキュラムを組める「学びの多様化学校」、いわゆる「不登校特例校」の指定を受けるなどして現役中学生も通えるようになっている夜間中学が現在2校あります。こうした形の夜間中学

今後も増える見通しです。学びたいのに学べない、学校に行きたくても行けない。それぞれの事情があります。

https://www.fnn.jp/articles/-/780108

以上、同じ富山テレビの取材によるものでも初報とはかなり違う印象を受ける。初報には「病気や不登校などにより学び直しを希望する人」とあった。それが、続報では起立性調節障害に特化されている。「患う」とあるように起立性調節障害は疾患である。行政の調査において「不登校」は定義上、「病気」とは区別された長期欠席の理由別分類の一つである。つまり起立性調節障害を原因とした長期欠席であれば「不登校」ではない。そういう意味では「病気や不登校」という言い方は正確である。では、その中に「学び直しを希望する人」がいるのだろうか?

そこで、初報にあった「さまざまな理由で小中学校を卒業できなかった人」である。続報には「原則、現役の中学生は通うことができません」とある。同じようなことを言っているように思われるかもしれないが意味が違う。

夜間中学については『女性セブン』の2020年8月13日号に記事がある。これは文部科学省の元事務次官の前川喜平さんにインタビューしたものだ。少し長くなるが歌人の鳥居さんのインタビューもあるので以下に引用する。

「むしろ旧文部省・現文科省は夜間中学に冷淡でした」そう指摘するのは元文部科学事務次官の前川喜平さんだ。「夜間中学の関係者が『もっと全国に広げてほしい』と陳情しても、文科省の担当者は『あるものをなくせとは言わないが、奨励もしない』という態度でした。文科省に入省したばかりの私も、そうした場面を何度も目にしましたが、役人には、学ぶ機会を奪われた人たちを支援するという意識がまるで欠けていました」

最たる例が、不登校などで実質的には教育を受けていないものの、中学の卒業証書を授与された「形式卒業者」に関する問題だ。

歌集『キリンの子』で注目され、「セーラー服の歌人」と呼ばれる鳥居さんも、形式卒業の壁に苦しんだひとり。幼い頃に両親が離婚し、引き取った母も死去して養護施設で育った鳥居さんは、いじめや虐待を受けて小学校の途中から不登校になった。「夜間中学で学び直したいと思っても、形式卒業者の私も許可されませんでした。一時期は住む場所もなく、公園に寝泊まりしてホームレスのような生活をしながら拾った新聞で文字を読む勉強をひとり、していたにもかかわらずです。定時制の高校に通っていたこともあったけれど、中学で勉強すべき内容が頭に入っていないから全然わからない。テストでいい点を取っても、それは教科書を丸暗記しているからであって、書いてあることを理解している訳ではない。アラビア語を訳もわからず書き写しているのと一緒です。しかも、そもそもこの社会は義務教育を終えたことを前提に成り立っているから、日常生活でもわからないことがたくさんある。例えばスーパーで“3割引”と書いてあっても、それがどのくらい安いのか、とっさにはわからない。だから、基礎的な教養さえ学べなかったことに強い憤りを感じ、すべての人に教育の権利が認められるよう、セーラー服姿で社会活動を始めました」

鳥居さんや支援者の活動が実り、2015年に文科省は形式卒業者に夜間中学の入学を認める通達を出した。入省当時、文科省の冷淡さを目のあたりにしていた前川さんも、同省内で実現に奔走したひとりだ。現在では、公立の夜間中学の生徒のおよそ12%が形式卒業者だ。

https://www.news-postseven.com/archives/20200802_1582160.html?DETAIL

途中、山田洋次監督の映画『学校』(1993年)のモデルとなった見城慶和さんのインタビューが入っているが割愛した。この方は髙野雅夫が在籍していた荒川区立第九中学校二部の教諭であった人で、卒業文集『ぼくら夜間中学生』の編集後記を書いている。

鳥居さんは『キリンの子――鳥居歌集』(2016年)で有名になった。のか、岩岡千景『セーラー服の歌人 鳥居――拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』(2016年)で有名になったのか。というのも、2冊の本はどちらもKADOKAWA/アスキー・メディアワークスから2月9日に出ている。出版社による鳥居さんの紹介文は2冊とも同じで、

三重県出身。年齢非公表。2歳の時に両親が離婚、小学5年の時には目の前で母に自殺され、その後は養護施設での虐待、ホームレス生活などを体験した女性歌人。義務教育もまともに受けられず、拾った新聞などで文字を覚え、短歌についてもほぼ独学で学んだ。「生きづらいなら、短歌をよもう」と提唱し、その鮮烈な印象を残す短歌は人々の心を揺さぶり、支持を広げ始めている。義務教育を受けられないまま大人になった人たちがいることを表現するために、成人した今もセーラー服を着て活動をしている。

となっている。

この「義務教育を受けられないまま大人になった人たち」というのが、いわゆる形式卒業者である。このコトバは夜間中学界隈で以前から使われていた。卒業証書はもらったが内申点「オール0」ということで学校の勉強はしていない。そのため基本的な読み書きに難があるために学校教育を受ける権利が保障されたとは言えない。しかし卒業証書があると夜間中学は門戸を閉ざした。なぜなら、夜間中学は「さまざまな理由で小中学校を卒業できなかった人」――義務教育未修了者のためにあるから。これが髙野雅夫が夜間中学の設立運動に奔走していた時代の状況だ。それが、今となって「学び直しの場」として復権しようとしている。

前号では通信制・定時制高校について書いた。鳥居さんも定時制に籍を置いたと言っている。しかし基礎学力がないために授業について行けずに中退。そのような例が多くあることは前号に記した通りだ。通信制や定時制の高校は実質、無試験であることが多い。私の入った通信制高校には曲がりなりにも筆記試験があった。ほとんど解けたように記憶している。入学後に親しくしていた担当の教員に出来具合を聞いたところ「飛車ぐらい」と教えてくれた。私が将棋をしたので駒に喩えたわけ。形式的な試験だから易しい。中学校の勉強を完全に自学自習した者でも簡単と思える程度の試験である。しかし、その程度の試験すら課せられていない学校も多い。であるから入学はできる。けれども卒業できない。私が卒業できたのは前号に書いた通り、東京理科大学卒の父親を持つヒッキー歴4年(だから4年年長)の学友を持てたからだ。

鳥居さんは年齢非公表である。出版社が売りに出したということもあろう。それでも、彼女が言っていることは時代にそぐわない。

見城先生の編集した文集には「わたしの制服」という詩がある。

ほしいわ ほしいわ

制服を来て学校に通いたい

制服を着たら生徒らしく見えるかしら

なかばあきらめていたのに

先生に頭金を借りて

やっと買った わたしの制服

質屋に持って行かれた

作者は第7期生(1963年度卒業)の塚田美紀子さんである。この詩だけ読んでもよく事情が掴めないかもしれない。同期生の本谷一枝さんの作文「1年生をふり返ってみて」には「友だちも、全校でたった一人制服を持たない私からはなれていってしまった」とある。そこで彼女は二部編入。当時は制服を買えない生徒が少なからずいたわけだ。

この文集には「学校長欠」という言葉が出てくる。もちろん「不登校」という言葉はまだない。「長欠」とは長期欠席の略だ。今でも行政は年間30日以上の欠席を長期欠席と定義した上で調査している。当時は年間50日以上と定義されていたが、その理由別分類は「病気」「経済的事情」「その他」の三つ。二部の生徒たちは「病気」か「経済的事情」により長欠であった学齢超過者たちが大半を占めていた。

その後、行政の調査は「病気」「経済的事情」「その他」に「学校ぎらい」を加えた。これが「不登校」と名を変えて今日に至る。「病気」「経済的事情」「その他」でもない「不登校」を理由とした長期欠席とはいかにもおかしい。しかし、それをおかしいと思わない人たちが「不登校」が増えたと騒いでいる。実際に増えているのは長期欠席者の総数である。先に出てきたODが原因であれば「病気」であって「不登校」ではない。そもそも「病気」「経済的事情」「その他」「不登校」にはそれぞれ定義があり、それも何度か変わっている。最後に、どれを理由とした欠席か決めるのは担任の教員である。理由別分類は恣意性を残している。

私は中学不就学の形式卒業と自認している。「全長欠」「オール0」の形式卒業である。夜間中学の歴史を学ぶことで「不登校」ではなく不就学だという認識を持つに至った。「不登校」が増えていると言う人たちは一様に「多様な学び」を求めている。しかし形式卒業者が増えているのではあればどうか?

登校拒否新聞は号外に始まった。その中で、「不登校から東大現役合格も」という記事と「不登校の子、高校受験に調査書の壁 特別枠設ける自治体も」という記事を紹介した。前者は、国立大付属の中学校1年生の夏頃から学校に行かなくなり3年生の頃から学習支援センターという所に通い私立高校に進学して東京大学に入ったという例。後者は、中学1年生の春に起立性調節障害の診断を受け学校に行けなくなった。3年生の12月から放課後の教室で勉強を始め公立高校の後期入試に合格して信州大学教育学部に進学。今は東京学芸大学の大学院に籍を置いているという例。どちらもかなり高学歴の例である。

かつての形式卒業者は義務教育未修了者であった。夜間中学で「夕陽」と漢字で書けるようになってから見た夕陽はいつになく映えて見えたという美談がある。夜間中学には在日朝鮮人も多かった。夜間中学は彼らが日本語の読み書きを学ぶ場でもあった。それも歴史である。形式卒業だから基礎学力がないという時代は過ぎた。それが高学歴社会の現実だ。「学び直し」などと言っていたら時代の流れに遅れる。高校だって無償化が進んでいる。高卒認定もポピュラーになりつつある。その一方で中学相当の「学び直しの場」が増設されようとしている。

それにしても制服を着たいと思っている不登校生っているんだろうか?

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藤井良彦(市民記者) 藤井良彦(市民記者)

1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。

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