【連載】今週の寺島メソッド翻訳NEWS

☆寺島メソッド翻訳NEWS(2024年11月26日):ネタニヤフ首相がハマスを支援してきた、それほど秘密でもない歴史

寺島隆吉

※元岐阜大学教授寺島隆吉先生による記号づけ英語教育法に則って開発された翻訳技術。大手メディアに載らない海外記事を翻訳し、紹介します。


エルサレムでの記者会見で発言中のベンヤミン・ネタニヤフ首相。2024年9月2日。(チャイム・ゴールドバーグ/Flash90)

イスラエルの歴史家で人権活動家のアダム・ラズ氏が「10月7日への道:ベンヤミン・ネタニヤフ、終わりなき紛争の産出、そしてイスラエルの道徳的退廃」の執筆に着手したとき、彼はイスラエルの公共の議論の盲点に取り組んでいることを自覚していた。イスラエル人の大多数は、現在の戦争の前に、ハマス支援と終わりなき紛争状態の永続化にネタニヤフ氏がどの程度関与していたかを完全に理解していない、とラズ氏は考えている。

今年5月に出版されたラズ氏の著書は、ネタニヤフ政権が長年にわたり、ハマスを支援するためにカタールの資金をガザに移送することを日常的に承認し、奨励してきたという物議を醸す政策に光を当てている。ラズ氏は、10月7日の事件後、イスラエルの報道機関がこの政策にさらに注目するようになったと指摘しつつ、これは「全体像のほんの一部に過ぎない」と当+972誌に語っていた。その根底にあるのは、この紛争を公正に解決しようとすることに対してネタニヤフ氏が全面的に反対しているという事実がある。「人々はネタニヤフ氏の戦略の全容を理解する必要がある」と同氏は語っていた。

イスラエル・パレスチナ紛争研究のためのアケヴォット研究所の研究員でもあるラズ氏によると、ネタニヤフ首相の優先事項はイスラエルの安全を維持することではなく、むしろ領土分割や占領の終結、あるいは二国家解決による紛争解決の現実的な可能性を阻止することだという。ハマスへの資金の流れを維持することは、パレスチナ民族運動がガザ地区のハマスとヨルダン川西岸地区のファタハ支配のパレスチナ自治政府(PA)に分裂したままになることを確実にすることでこの目的を果たし、イスラエルが全土で支配権を維持できるようにした。10月7日の壊滅的な事件の後も、ラズ氏はネタニヤフ首相の戦略は変わっていないと警告している。

この本はこの紛争に関する歴史を学ぶためのものではなく、むしろイスラエルの道徳的構造を劣化させ続けている政治的同盟の告発である、とラズは強調する。 「私はこの本を書いたのではなく、ページ上で叫んだのだ」と彼は語っている。

ネタニヤフ首相とハマス、そして最近殺害されたその指導者ヤヒヤ・シンワル師との共生関係の長い歴史、現在の戦争がパレスチナ人全体に対する首相の戦略の継続であり、断絶ではない理由、そして1年以上の戦争とシンワル師の死を経ても、ネタニヤフ首相にとってほとんど変化がない理由について、ラズと話した。インタビューは長さと明瞭さのために編集されている。

あなたの本を読むと、私はあなたが少しネタニヤフ首相に執着しすぎているように思えてなりませんでした。イスラエルには政治や安全保障についての指導的な専門家やイスラエルの国家安全保障上の利益、世論、報道機関は存在せず、まるでビビの国だけのように書いておられるように感じました。パレスチナ人として、これは他の意思決定者やイスラエル社会全体から責任を取り除き、代わりにネタニヤフだけに責任を負わせる方法のように感じられたのですが。

これはネタニヤフについての本です。ネタニヤフ政権下の占領やハマスの歴史、2つの民族運動の衝突についての話を書こうとは思いませんでした。この本はネタニヤフとシンワルの関係についての話なのです。この政治劇で最も重要な役者であり、社会の首根っこを掴んでいるこの2人の動機を理解しようとするための本なのです。

イスラエルはビビの国です。パレスチナ人やイラン核合意、その他の外交問題など、イスラエルで何が問題になっていようと、それはすべてネタニヤフの手の中にあるのです。私の本では、これがどのようにして実現したのか、ビビがイスラエルの政治をどのように変えたのかを読むことができます。安全保障体制がネタニヤフの対ハマス政策に反対していたのは事実ですが、彼らと真っ向から対立した重要な岐路では、すべてネタニヤフが勝利してきました。


ヨルダン川西岸の占領地ジェニン近郊の陸軍基地を訪問するイスラエルのネタニヤフ首相(2023年7月4日)。(シル・トレム/Flash90)

あなたの本の中心的な主張のひとつは、パレスチナ国家に対するネタニヤフの反対が、パレスチナ人に対する彼の政策の主要な柱であるという点にあります。この政策は、1990年代にさかのぼるハマスとの関係をどのように形成したのでしょうか?

ネタニヤフ首相は2国家解決に反対する第一人者です。大雑把に言えば、ファタハとPLOはこの解決策に賛成し、ハマスが反対しています。つまり、この非常に重要な点において、ネタニヤフ首相とハマスの利害は一致しているのです。だから、ネタニヤフ首相は1996年以来、特に2009年からの2期目の就任以来、ハマスの強化に努めてきたのです。

1993年のオスロ合意の最初の調印から1995年のイスラエルのイツハク・ラビン首相の暗殺(和平に向けた話し合いに反対したイスラエル人により暗殺された)まで、PLOとイスラエルはユダヤ原理主義とイスラム原理主義の影響に対抗するために協力していました。ヨルダン川西岸に新たな入植地を建設せず、すでに存在した入植地を拡大できる場所として認めるという、一種の非公式な合意があったのです。これは、年間約7000戸の入植地建設を監督していたシャミール政権(イツハク・ラビン政権の前の政権)からの転換を意味するものでした 。

ネタニヤフ首相が(1996年に)首相として最初にやったことのひとつは、東エルサレムのハル・ホマ地区の建設を承認することでした。彼の最初の任期中に、占領地には24の入植地が新たに建設されました。もちろん、ラビン政権下でもイスラエルは入植地を拡大し続けていましたが、パレスチナの交渉担当者たちは、この程度なら我慢できる、と感じていました。

ネタニヤフ首相がおこなった2つ目の重要なことは、エルサレム旧市街にある西の壁のトンネルを開放したことで、オスロ和平計画が始まって以来初めて、パレスチナ人とイスラエル軍との激しい衝突を引き起こしたことでした。この件については、ラビン政権時代にも議論があり、イスラム教ワクフ派やヨルダン側と協調して、ソロモンの厩舎[アル・アクサの敷地内/寺院の山]の管理をワクフ派に委ねる代わりに、トンネルを開通させる計画がありました。しかし、ネタニヤフ首相はこれらの勧告を無視し、3つのアブラハム宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)にとって最も繊細で神聖な場所のひとつであるこの地に、一方的な変更を加えることを選んだのです。

このことが危機を招くことは明らかでしたし、実際そうなりました。ネタニヤフ首相は、政府や治安当局に報告することなく、独断でトンネルの開通を決定したのです。安全保障当局と軍の代表者はラジオでこのことを聞きました。東エルサレムやヨルダン川西岸、ガザ地区にまたがるトンネルの開通に対する抗議デモにより、59人のパレスチナ人と16人のイスラエル人が亡くなる結果となりました。

ネタニヤフ首相が行なった3つ目の重要なことは、これも安全保障当局からの助言にも反するものだったのですが、ハマスの政治局長ムーサ・アブ・マルズーク(当時、武装抵抗の継続を主張していた同過激派の指導者で、ガザ以外で最も重要なハマスの人物)に対するイスラエルの身柄引き渡しの要求を撤回したことでした。この要請は、アブ・マルズークが1995年に米国滞在中に逮捕された後、ラビン首相によって承認されていました。ネタニヤフ首相がこれを撤回する決定を下したのは、組織の創始者であるシェイク・アーメド・ヤシンを含む多くのハマス指導者がイスラエルの刑務所に収監され、闘争を継続するための正しい方法について内部で議論がおこなわれていた時期でした。


1996年10月1日、ワシントンD.C.のホワイトハウス図書館で、ヨルダンのフセイン国王、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のヤセル・アラファト議長と昼食をとるビル・クリントン米大統領。(クリントン政権ホワイトハウス写真室撮影)

これら3つの出来事は、ハマスと、紛争を宗教的なものと見なそうとする人々を強化することになりました。

ネタニヤフ首相が1998年10月の「ワイ・リバー覚書」に署名したことや2009年6月の有名な「バー・イラン演説」、2011年5月の議会演説、そして2019年から20年にかけてのトランプ大統領の「世紀の取引」への支持など、ネタニヤフ首相が公にパレスチナ国家への支持を表明したいくつかの場面について、あなたは著書の中で触れておられます。これらをどう理解すればよいでしょうか?

ネタニヤフ首相が公の場でパレスチナ国家への支持について話すたびに、そうする理由があったのです。たとえば、ネタニヤフ首相が2国家解決策を「受け入れた」最も有名な例であるバル・イラン演説。これには外交政策的な側面もありました。バラク・オバマが大統領に就任して間もない頃で、オバマの有名なカイロ演説の直後だったのです。当時、ネタニヤフ首相は中道左派と連立を組もうとしていました。しかし、米国の外交官であるマーティン・インディクは、それが欺瞞であることを理解していた、と私の本に書いてあります。

彼が国土分割に賛成した理由や動機は毎回異なります 。しかし、政治史家としての私の方法論は、政治家が何を言っているかだけでなく、何をしているかを見ることにあります。

ネタニヤフは2009年に政権に復帰した後、どのようにしてハマスを強化し続けたのでしょうか?

ネタニヤフ首相は政権に復帰して以来、軍事的なものであれ外交的なものであれ、ガザのハマス政権に終止符を打つ可能性のあるあらゆる試みに抵抗してきました。

2009年まで、イスラエル軍はパレスチナ自治政府とともに、占領地における同運動の勢力を根絶しようとしていました。その後、ネタニヤフ首相は、ハマスとの戦いにおけるイスラエル軍とパレスチナ自治政府治安部隊の協力を停止するよう命令しました。その他のあらゆる形の治安協力は継続されましたが、この特定の側面は停止されました。それ以降、ネタニヤフ首相は、パレスチナ指導部が分裂しているという口実でパレスチナ人と交渉しない政策を施行し、同時にハマスとパレスチナ自治政府間の和解交渉のあらゆる試みを妨害しようとしてきました。

2018年に話は進み、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス大統領はガザへの送金を完全に停止し、ハマスは崩壊の危機に瀕しました。ネタニヤフ首相はパレスチナ自治政府(2006年の選挙後、ハマスに追放された)をガザに戻す代わりに、カタールからスーツケースいっぱいの現金を入国させることでハマスを救いました。彼は実は、このマフィアさながらの送金の首謀者であり設計者だったのです。

カタールの資金がガザに移送されるようになったのは2018年になってからですか?

カタールは2012年にハマスへの送金を開始しましたが、これは銀行送金によるもので、金額はごく少額でした。2018年にネタニヤフ首相が内閣を説得して、より大きな送金を承認させ、送金の仕組みを現金に変更したことで、状況は根本的に変わりました。その後、2018年の夏から2023年10月まで、毎月、現金約3000万ドルを詰めたスーツケースを積んだ車がラファフ検問所を通過することになったのです。

我々の知る限り、治安当局の大半はこの動きに反対していましたが、ネタニヤフにとっては非常に重要なことであり、彼は上手くやりました。閣議の議事録は公開されておらず、今後も公開されない可能性もありますが、これがパレスチナ自治政府を弱体化させるための動きだったことは明らかです。


2016年9月30日、エルサレムのヘルツル山で行われたイスラエル前大統領シモン・ペレスの国葬の際に、パレスチナのマフムード・アッバス大統領と会談中のベンヤミン・ネタニヤフ首相と妻サラ。(アモス・ベン・ゲルショム/GPO)

あなたの本の中で、大規模な移住が始まった直後にシンワーがネタニヤフ首相に送ったメッセージについて触れていますね。その内容を説明していただけますか?

イスラエルとハマスが公式に連絡を取り合うことはありませんでしたが、イスラエルが「ハスダーラ」と呼ぶもの、つまりイスラエルがカタールの資金をガザに流入させた取り決めについて、秘密裏に協議を行なっていました。 2018年、スーツケースが到着し始めた後、これらの協議におけるイスラエル代表、当時の国家安全保障顧問ミール・ベン・シャバットは、ネタニヤフに宛てたシンワルからのヘブライ語の文書を受け取りました。その題名は「計算された危険」でした。

その文書がイスラエルの報道機関に掲載されたとき(2022年)、私はそれを読んで驚いたことを覚えています。なぜハマスの代表がイスラエルの首相に手紙を書き、なぜこのような具体的な言葉を選んだのか。「危険」とは何のことなのか、と。

この題名はよく考えられたものでした。というのも、シンワルもネタニヤフも、この合意で(PA(パレスチナ自治政府)を弱体化させ続け、交渉による解決の可能性を排除する)という計算された危険を背負ったからです。ネタニヤフ首相は、ハマスがこの資金をガザの子どもたちの福祉やガザの近代化のために使うのではなく、トンネルの建設や武器の購入に使い、ガザをイスラエルと戦争するスパルタ国家に変えてしまうことを知っていました。それでも彼は、2国家間解決の可能性を排除するために、資金の提供を実行したのです。

イスラエルの治安当局はネタニヤフ首相に対し、ハマスが次の戦闘を準備していると繰り返し警告していました。2023年を通じて、ハマスがイスラエルに攻撃を仕掛けて殺害や誘拐を計画しているという具体的な警告を何度も受けていたのです。しかし、ネタニヤフ首相を含め、誰もこれほどハマスによる攻撃が大規模になるとは思っていませんでした。

2023年8月、イスラエル人が司法制度の見直しに反対するデモをおこなっていたとき、ガザのパレスチナ人はハマスに反対するデモをおこなっていました。シンワルはガザの権力を失うことを恐れていたため、ハマスはこん棒や武器でこれらのデモを鎮圧しました。 2023年9月と10月にガザでおこなわれた世論調査では、50%以上が2国家解決策に賛成していました。 つまり、ハマスが失敗したということです。ガザの人口の半数がその原理主義的教義のもとで人生の大半を過ごしているにもかかわらず、大多数は土地の分割に賛成したままだったのです。

(10月7日)の攻撃で、シンワルはイスラエル国内での彼の支配に対する反対勢力を排除し、近い将来の和平交渉の可能性を排除することで、ネタニヤフ首相を助けました。シンワルは、ハマスが10月7日にイスラエルを征服するつもりがないことを知っていました。目的は力を誇示することだったのです。シオニストの計画を消し去ることを始めるつもりはなかったのです。さらに、彼はイスラエル側の反応がどうなるかを知っていました。

パレスチナ人の多くは、ハマスが抵抗運動であり、パレスチナの政治生活に不可欠な存在であると考えています。この本の中で、あなたはハマスのことをパレスチナ民族運動の敵と呼んでいます。これは少し言い過ぎではないですか?

私は、ハマスがパレスチナ民族運動の一部であり、大きな一部であるとさえ考えています。しかし、パレスチナ国民運動の中で紛争と占領の終結を望んでいる層にとっては、ハマスは敵だと思います。

2913-4.jpg
2017年3月25日、ガザ地区ガザ市で上級軍司令官マゼン・ファクハの葬儀に参列した故ハマス指導者ヤヒヤ・シンワル。(ウィサム・ナサール/Flash90)

ハマス内部でも、さまざまな方向性や考え方が見られます。ハマスは一枚岩の組織ではありません。近年、組織がどのように戦いを続けるべきか、エジプトやイラン、トルコ、カタールのどの国と連携すべきかについて議論が続いています。合理的な政治家であったシンワルはハマスと同義ではありません。同様に、ネタニヤフはリクード党と同義ではありません。

しかし、シンワルは200万人以上のガザ地区住民の命を危険にさらすことを厭いませんでした。彼は人々の死を利用しています。ガザ地区住民はパレスチナの大義のために血を流すことが期待されていると、ハマス幹部が語った言葉は数多くあります。シンワルが(2022年に)「良いパレスチナ人とはナイフを掴んでユダヤ人を刺す人だ」と言ったとき、彼はそれがシオニスト計画を終わらせる道だとは思っていませんでした。彼はそのような行動が紛争をさらに根深く、永続的なものにすることを知っていました。シンワルが正義と平和を重んじるすべての人々の敵であったことは明らかです。

本書の第2部「パリア国家:ガザでの戦闘初日」では、イスラエルの現在の猛攻撃はネタニヤフの政策の継続であると述べています。これについて詳しく説明していただけますか?

この戦争を理解するには、最初の20日間を理解する必要があると思います。これはガザの「ドレスデン化」、つまり地上作戦開始前の空爆作戦でした。

10月7日の夕方、ネタニヤフ首相は国民に向けた最初の演説で、聖書の言葉を使って、イスラエルはガザを「瓦礫の山」にするつもりだと述べました。伝えられるところによると、首相はこの頃、バイデンに、イスラエルは第二次世界大戦中にアメリカが日本とドイツに対しておこなったのと同じことをするつもりだと語ったといいます。つまり、都市全体を爆撃するという戦略的な作戦のことです。

このドレスデン化は、いかなる政治的、戦略的論理にも役立たないものでした。国家間の関係の将来については全く考慮されていませんでした。最初の20日間、ハマスの戦闘員と運動の指導者たちは地下トンネルに潜伏し、イスラエル空軍は何千人もの罪のない民間人を爆撃しました。それはイスラエルがガザを掌握する助けにはならず、人質の解放を困難にしました。しかしそれは復讐の論理、つまりシンワルとネタニヤフの論理には役立ったのです。

ガザのドレスデン化はネタニヤフ首相に有利に働きました。これにより、彼はイスラエル社会の圧倒的多数の支持を得ました。これはユダヤ系イスラエル社会の汚点です。これは虐殺であり、大量虐殺であり、人道に対する罪でした。イスラエルの人々にとってこのような言葉は深刻な言葉ではないと思います。そしてこの罪は、ネタニヤフ首相が国内の反対勢力を排除するのに役立ちました。国内では、ネタニヤフ首相の政策により、イスラエル国民が犯罪に加担することになったのです。

2913-5.jpg
2023年10月10日、イスラエル植民地軍による空爆の標的となったガザ市のアル・リマル地区で見られた大規模な破壊。(モハメド・ザアヌーン)

そして、1年以上の戦争とシンワルの殺害を経て、現在、ネタニヤフのハマスに対する政策はどのようなものでしょうか?

ネタニヤフ首相の政策は、戦争前と現在とは変わらないと私は思います。彼はハマス、もっと正確に言えばハマスが代表する利益を強化しようとしています。つまり、二国家共存の解決策への支持を弱め、我々を終わりのない戦争状態に留めようとしているのです。シンワルとハマスは彼にとって主要な問題ではありませんでした。彼の中心的な関心は終わりのない戦争であり、ハマスはイスラエルが優位に立っている間、紛争を維持するための道具だったのです。

イスラエルの左派、特にシオニスト左派の間では、10月7日以降、「構想」(ハマスの軍事力を制限しながら同国を権力の座に留めるというイスラエルの政策を表す言葉)が失敗だったと多くの人が言っています。しかし私は「構想」がうまくいったと説明しようとしています。10月7日以降、根本的なことは何も変わっていないと思います。特にパレスチナ人の間では、犠牲者のエクセルシートはずっと長くなりましたが、根本的なことは変わっていないと思います。

ハマスは、この地域の社会的、政治的状況に深く根ざした政治思想です。その政治は、現地の現実によって動かされています。「ハマスを壊滅させる」という言い分や、ネタニヤフ首相の「完全勝利」達成の主張は、大衆を欺くための宣伝にすぎません。重要な問題は、ガザにどれだけの武器が存在するかではありません。常に武器は増え続けるでしょうが、むしろそこでの支配的な社会的、政治的状況が問題なのです。つまりカラシニコフ銃がどれだけあるかではなく、人々がそれを使用する意思があるかどうかが問題なのです。

(この1年を経て)ガザの復興にはおそらく20~25年かかるでしょう。つまり、ガザの2世代の子どもたちがテントや難民キャンプで育つことになる、ということです。彼らには詩やコンピュータ科学を学ぶ機会はなく、その代わりに、食べ物や暖かい部屋、柔らかいベッドといった基本的な生存手段のために苦労することになります。何千人もの子どもたちが両親の抱擁を感じることがなくなるでしょう。悲痛なことです。こうした状況が抵抗を煽り、隔離を永続させています。ハマスの兵募集事務所はこれまで以上に忙しくなるでしょう。

シンワルとネタニヤフの両方が望んでいたことの1つは達成されたと思います。両側の市民とも二国家解決への支持率がこの紛争史上最低水準になっているからです。問題はラマラで何が起こるか、パレスチナ自治政府とパレスチナ解放機構の計画は何か、ということです。

戦争がイスラエル社会に与えた影響をどのように評価しますか?

本書の後半では、道徳の問題と、ユダヤ系イスラエル人の価値観に何が起こったのかを取り上げようとしました。復讐の戦略と否認の戦略の関係を理解しようとしました。

10月7日以来、イスラエルはガザで複数の戦争犯罪を犯しており、兵士たちはそれを写真や動画で撮影し、ソーシャルメディアに投稿しています。私は、ただ面白半分にガザ市の中央公文書館を爆撃した2人の兵士の写真を見ましたが、ほとんどの時間を公文書館で過ごしている私には衝撃的な出来事でした。飢餓政策、無差別爆撃政策、拷問政策が取られていることがわかります。

知っていることも知らないことにしてしまう。これが否認の戦略です。イスラエル人のほとんどはハアレツ紙やローカルコール(+972誌のヘブライ語の提携サイト)を読んでいませんが、ソーシャルメディアや国際的な報道機関は利用できます。戦争開始時の爆撃作戦中、人々がただ目を閉じていたことに私は驚きました。しかし、否認という戦略は、ガザで我が国がしていること、そして人質に対して我が国がしていないことを正当化するために、「神に選ばれし民」である我がイスラエルにとって非常に重要な戦略なのです。

60年近く占領されて、平均的なイスラエル人の心は変わったと思います。ユダヤ教正統派の知識人でヘブライ大学教授のイェシャヤフ・ライボウィッツは、占領は腐敗の力である、と1968年に早くも言っていました。占領はまさに私たちを腐敗させました。

1945年に第二次世界大戦が終結すると、(ナチスだけのものだった)強制収容所が世界中で展開され、世界は歴史上最も残酷な大量虐殺にさらされました。ガザの門が開かれると、同じようなことが起こると思います。そうなると、イスラエル国民は責任を取るか否認するか、どちらの道を選ぶか決めなければなりません。今ならイスラエル国民は否認を選ぶ、と思います。この状況こそ、ネタニヤフが戦争に勝った理由だと思います。

※なお、本稿は、寺島メソッド翻訳NEWS(2024年11月26日)「ネタニヤフ首相がハマスを支援してきた、それほど秘密でもない歴史」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202411260000/
からの転載であることをお断りします。
また英文原稿はこちらです⇒The not-so-secret history of Netanyahu’s support for Hamas
オスロ合意(1993年-1995年)の妨害からガザへのカタールの資金流入まで、ビビ(ネタニヤフ首相の愛称)はその経歴を通じてハマスを支援し、紛争の継続に協力してきた。歴史家アダム・ラズ氏は、10月7日以降も同首相は同じ戦略を推し進めている、と主張する。
筆者:グースーン・ビシャラット(Ghousoon Bisharat)
出典:+972マガジン 2024年11月11日
https://www.972mag.com/netanyahu-hamas-october-7-adam-raz/

寺島隆吉 寺島隆吉

国際教育総合文化研究所所長、元岐阜大学教授

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ