【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(67):ウクライナ和平の困難:ナショナリズムと言語政策(下)

塩原俊彦

 

「知られざる地政学」連載(67):ウクライナ和平の困難:ナショナリズムと言語政策(上)はこちら

米国の行った許しがたい煽動

米政府によるナショナリズムの煽動は、いまのウクライナ戦争を引き起こす遠因となった。その影響がいまでもはっきりと残存し、ウクライナという国の3分割という悪夢を想起させる一因にもなっている。

ここで拙著『ウクライナ3.0』の130頁にも書いておいたように、エマニュエル・トッド著『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』にあるつぎの記述を思い出す必要がある。

「ウクライナは二つに或いは三つに分かれている。一度として正常に機能するナショナルな塊として存在したことはない。」

こんな国だから、「ウクライナ語を母語とする一部地域の人々のナショナリズムを煽動する行為がウクライナ崩壊を呼び覚してしまったのではないか」、と危惧される。そう考えると、米国の新保守主義者(ネオコン)や、リベラルデモクラシー信奉者がウクライナ西部で行ったナショナリズムの煽動こそ、いまのウクライナの大混乱の引き金を引いたのではないかと考えられる。「民主主義の輸出」という「暴挙」に憑りつかれた『帝国主義アメリカの野望』こそ、糾弾されなければならないのだ(民主主義は輸出するものではなく、各国の事情に沿いつつ、その制度化を長い時間をかけて支援すべきものなのだ)。

「言語ボランティア」の活動開始

ここで、まったく別の話を展開しよう。ウクライナ西部にイヴァノ=フランキフスク州がある。その州都イヴァノ=フランキフスク市(下図を参照)では、10月28日から「言語ボランティア」と呼ばれる人々が市内を巡回しはじめた。その活動は下のビデオで観ることもできる。

イヴァノ=フランキフスク州および同名の州都

言語ボランティアの活動
(出所)https://www.youtube.com/embed/eAHkeHJEQrE

ルスラン・マルツィンキフ市長は2024年9月、新たな市民主導の取り組みとして、「言語ボランティア」活動を推進すると発表した。言語ボランティアは市内でのロシア語使用を罰するのではなく、町民の間でウクライナ語(言語コースを含む)を普及させ、国語を話すことを寛容に奨励すると説明した。すべては「法律の範囲内」で行われるため、ボランティアは、職務の範囲内で適切に行動する方法を知ることができるよう訓練を受けることになるとした。

マルツィンキフ市長によると、10月24日、市内で言語ボランティアの初会合が開かれた。約40人が参加した。市長は、「これはウクライナ化計画、ウクライナ語プログラムの一環である。ウクライナの人々がウクライナ語を話すことは、我々にとって非常に重要なことだ」と語った。さらに、「興味深いことに、彼らの約3分の1は国内避難民である。ヘルソンや他の都市から移ってきた人たちだ」と市長は指摘したという。

言語ボランティアが具体的に行うのは、①情報リーフレットを配布する、②ウクライナ語講座のスケジュールを知らせたり、講座の運営を手伝ったりする、③ウクライナ法「国語としてのウクライナ語の機能確保に関する法律」の遵守状況を監視し、違反行為を記録する、④ショッピングセンターやその他のサービス施設において、ウクライナ語の値札や商品に関する情報があるかどうか、また国語のみでサービスが提供されているかどうかをチェックする――などの活動だ(ウクライナの報道を参照)。

これだけをみると、何の問題もないように思うかもしれない。しかし、この活動が「重大な乱用」につながるリスクは存在する。

「言語検査官」と報道するロシア

それを恐れて、ロシアでは、「言語検査官」とか「言語パトロール」という言葉を使って、今回のボランティア活動がウクライナによるロシア語話者への弾圧につながりかねないかのような報道が目立つ。

ウクライナの報道にも、警鐘を鳴らすものがある。マルツィンキフ市長は違反者に罰金は科さないと強調しているが、「検査官」には発言の権利があり、その発言に対して攻撃的な反応があった場合は、警察に通報することができる。さらに、市長が言語法違反の通報を受け付けるホットラインを開設したことも明らかにした、と伝えている。

こうした現在のウクライナの状況を知ると、いまでもウクライナ語やロシア語をめぐって、混乱がくすぶっていることがわかる。それは、ウクライナ戦争の終結・和平への障害となりかねない。

ウクライナの内情

拙著『ウクライナ・ゲート』(社会評論社、2014)の2頁において、「ポーランド人によってルヴォフ(Lwów)、ウクライナ人によってリヴィウ(Львів)、ロシア人によってリヴォフ(Львов)と呼ばれる比較的大きな都市」について書いたことがある。いま、このリヴィウ市長のアンドリー・サドヴィーは、同市内に「言語パトロール」を要求する過激なナショナリストグループ「ライトセクター」と対立している。

2024年10月21日、同市長はインタビューに答えて、「リヴィウは世界最大のウクライナ語圏の都市であるため、現在そのような必要性はない」と明言した。東部からやってきて、以前はそれほど積極的にウクライナ語を使わなかったかもしれない人々が、いまではリヴィウで言葉の練習を受けており、上達しているから、「言語パトロール」は必要ないというわけだ。

さらにサドヴィーは、言語紛争の話題がロシアのプロパガンダによって煽られていると考えている。このため、「ウクライナ情勢を不安定化させるために、モスクワの連中が数十億ドルを投資することを理解しなければならない」とまで発言した(ウクライナ側の情報を参照)。つまり、ライトセクターは、「モスクワのポケットから」資金提供されているというのである(注2)。

当然、ライトセクターのリヴィウ地方本部のイヴァン・スマガ代表は激怒した。11月1日、ライトセクターはリヴィウのメイン広場であるリノク広場で抗議活動を行った(Facebookを参照)。そして、「もし民族主義運動や軍事的な組織がモスクワのポケットから資金提供されているともう一度言ったら、それはあなたの人生で最後の言葉になるだろう」と脅したのである。このように、ウクライナではいまでも、ライトセクターのような過激なナショナリストが傍若無人にふるまっている。

プーチンの和平提案

ここで、「知られざる地政学 連載(46)帝国主義アメリカの「代理戦争」としてのウクライナ戦争」(上下)に書いた記述を繰り返したい。2024年6月14日にプーチン大統領が外務省指導部との会合で明らかにした和平条件についてである。そこで語られた条件は以下のとおりである。

①ウクライナ軍をドネツク、ルハンスク両人民共和国(2022年9月にロシアに編入)、ヘルソン、ザポリージャ両州から完全に撤退させること。
②キエフが①のような決断を下す用意があると宣言し、これらの地域から実際に軍隊の撤退を開始し、NATO加盟計画の放棄を公式に通告すれば、直ちに、文字通りその瞬間に、停戦と交渉開始の命令が我々の側から下される(当然ながら、同時にウクライナの部隊や編成の妨げのない安全な撤退も保証する)。
③ウクライナの中立的な非同盟非核地位、非武装化、非ナチ化というのが我々の原則的な立場である。
④ウクライナでロシア語を話す市民の権利、自由、利益は完全に確保されなければならないし、クリミア、セヴァストポリ、ドネツク人民共和国、ルハンスク人民共和国、へルソン州、ザポリージャ州の新たな領土的現実とロシア連邦の構成主体としての地位は承認されなければならない。
⑤将来的には、これらすべての基本的かつ基本的な条項は、基本的な国際協定の形で確定されるべきである(当然ながら、これは西側諸国の対ロ制裁の中止を意味する)。

しっかりと、④において、「ウクライナでロシア語を話す市民の権利、自由、利益は完全に確保されなければならない」という条件が含まれている。そう考えると、この条件はここで紹介したような状況下では達成が難しいようにもみえる。

ゼレンスキーの悪あがき

ゼレンスキーはいま、ウクライナの即時NATO加盟を求めて「悪あがき」をしている。11月29日には、英国のスカイニュースとのインタビューで、「戦争の激しい局面を停止したいのであれば、我々が支配下に置いているウクライナ領土をNATOの傘下に置く必要がある」と語った。ただし、NATOへの招待自体がウクライナの国際的に認められた国境を認めるものである場合に限るという。

ウクライナの国家安全保障上、NATO加盟は一つの方法だ。しかし、NATO加盟国の多くは、戦争中のウクライナの加盟はロシアとの戦争拡大を招くリスクが高いため、ウクライナ加盟に消極的だ。それにもかかわらず、いまでもゼレンスキーはNATO加盟にこだわりつづけている。

EU加盟の促進と言語政策

ここで不可思議なことがある。実現不可能なNATO加盟に代わって、二国間協定でウクライナの安全を確保する一方で、ウクライナの欧州連合(EU)加盟をなぜ急がないのかという疑問である。

ウクライナのEU加盟をめぐっては、2022年当初の状況下では、候補国としての地位は得られない可能性が高かったにもかかわらず、ロシアによるウクライナへの全面侵攻開始後、同年2月28日、ウクライナはEU加盟申請を行い、6月23日には、欧州理事会はウクライナに「候補国地位」を付与した。2023年11月、欧州委員会はウクライナとの加盟交渉開始を勧告、2024年6月25日、EUはウクライナとの初の政府間会議を開催し、正式に加盟交渉を開始した。

だが、「現在のEU加盟国では、交渉開始から加盟条約調印までに平均約4年を要しており、加盟交渉プロセス全体の平均期間の約半分を占めている」から、ウクライナのEU加盟が実現するのはまだまだ先のことだと考えられている(論文「EU加盟プロセスに不可欠な交渉。 ウクライナにとって何が重要か?」を参照)。

本当は、ウクライナのEU加盟を急がせれば、ウクライナにおける言語政策をEU並みの水準に近づけることができる。それは、ここで紹介した「言語パトロール」とか「言語検査官」といった強制的ウクライナ語化策になりかねない政策を防止するのに役立つだろう。なぜなら、EUが欧州大陸東部の12の元共産主義諸国からの加盟要請に直面した、1993年のコペンハーゲン経済協議会で設定された、いわゆる「コペンハーゲン基準」があるからだ。そこには、①地理的要件(ヨーロッパの国であること)、②政治的・法的要件(民主主義、法の支配、人権、および少数派の尊重と保護を保証する制度の安定性)、③経済的基準(機能する市場経済の存在、およびEU域内の競争圧力や市場原理に対処する能力)、④EU法の総体系の受容(EUの政治目標と経済・通貨同盟の目標に従い、また、EC法の総体系[acquis communautaire]を受け入れること)――が含まれている。とくに、②の条件が言語政策と深いかかわりをもっている。

ここで紹介したナショナリストの傍若無人ぶりを考慮すると、本当はEU加盟を急ぎ、とくに②の条件をクリアするための努力が求められているのだ。しかし、ライトセクターのような過激なナショナリストがいるウクライナでは、ロシア語排斥への抑止のために彼らを逮捕・起訴するのは難しい。

だからこそ、本当はこうしたナショナリストに毅然たる態度をとることが求められていることになる。厳しく処罰できる国内の治安維持体制の整備と執行が急務なのである。しかし、ウクライナ戦争をしている以上、過激なナショナリストを取り締まるのは困難だ。ここに、ウクライナ和平の真の難しさがある。ナショナリズムを煽動した米国の「罪深さ」を理解してもらえただろうか。ロシアも悪いが、米国もまた悪辣なのである。

(注1)
ウクライナの最近の言語状況については、2024年7月に公表された論文「ウクライナ国民のアイデンティティ:変化の傾向(2024年6月)」が参考になる。米国際開発庁(USAID)によって資金供与され、Pact(1971年の設立当初から、世界でもっとも恵まれない人々の状況を好転させるために活動する米国の非営利団体の会員組織として活動し、地理的な範囲、業務分野、そして影響力を大幅に拡大してきた)によって実行されるUSAID/ENGAGE活動として、ウクライナのラズムコフ・センターが2024年6月6日から12日にかけて実施した社会学的調査(18歳以上の2016人の回答者にインタビュー)の結果をまとめたものである。

それによると、ウクライナ語の習熟度を評価したところ、69.5%が「流暢に話せる」、27%が「日常的なコミュニケーションには十分だが、特別な話題では話すのが難しい」、2%が「ウクライナ語をよく理解できず、コミュニケーションに支障がある」、0.5%が「ウクライナ語をまったく理解できない」と回答した。

ウクライナ語を母語とする回答者は78%で、2017年は68%、2015年は60%、2006年は52%だった。ウクライナ語とロシア語の両方が同じように母国語だと答えた回答者は13%だった(2006年は16%、2015年は22%)。ロシア語を母語とする人の割合は6%で、2006年は31%、2015年は15%であった。

ウクライナ語のみ、または主にウクライナ語を家庭で話すという回答者は70.5%で、2015年は50%、2006年は46%であった。ロシア語のみ、または主にロシア語を話す回答者は11%で、2015年は24%、2006年は38%だった。約18%がウクライナ語とロシア語を同等に話す(2015年は25%、2006年は15%)。

家庭外(職場や学校など)ではウクライナ語のみ、または主にウクライナ語を話すという回答者は72%で、2023年には65%、2015年には46%であった。ロシア語のみ、または主にロシア語を話す回答者は8%で、2023年には同じく8%、2015年には24%であった。 家庭外ではウクライナ語とロシア語を同等に話す回答者は2023年には26%、2015年には29%であった。

職場や学校での友人や同僚との会話で、どちらの言語がより優位かという質問に対しては、75.5%の回答者がウクライナ語を挙げ、6%がロシア語、16%が「どちらでもない」と答えた。2015年はそれぞれ43%、21.5%、29%だった。

(注2)
2023年12月21日付の「テレグラム」に公表された情報として、サンクトペテルブルク市裁判所は、ウクライナ国籍のアレクサンドル・ツェペレフおよびアレクサンドル・パンクラチェフに対する判決を発表した。

2人は、2021年11月1日から2022年3月6日にかけて、合成麻薬メフェドロンを製造し、アパートに保管した。さらに、ツェペレフは、ウクライナの組織「ライトセクター」がロシア最高裁判所から過激派と認定され、その犯罪目的を共有し、そのイデオロギーに追随していることを知りながら、同組織の活動を物質的に支援する目的で、市民Kにメフェドロン生産で得た資金を渡した。 2021年11月1日から2022年2月24日の間に、ツェペレフは100万ルーブルをウクライナ領内にいるKに送金したのである。

ツェペレフは、脅迫下ですべてを行ったという弁解を展開しようとした。一方、パンクラチェフは自分の関与を否定した。だが判決では、ツェペレフ被告は16年間の禁固刑、パンクラチェフ被告は前科があり、再犯の危険性があるため、17年の禁固刑を言い渡された。

この例をもって、ロシア当局がライトセクターを支援してきたとは判断できない。ただ、ロシア側からライトセクターに資金が流れたことはたしかにあったようだ。

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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