第26回 奇妙な判決文に驚き
メディア批評&事件検証これまでは、宇都宮地方裁判所を舞台にした一審の裁判員裁判を描いてきた。これから控訴審の東京高等裁判所(藤井敏明裁判長、田尻克已裁判官、大西直樹裁判官)の法廷に舞台を移すが、その前にちょっと触れておきたいことがある。
独立言論フォーラム副編集長の私が連載「絶望裁判」前半でも少し紹介したが、奇妙な一審の判決文を読んだことが「今市事件」に首を突っ込むきっかけになった。その後、控訴審が始まる前にもう一度時間をかけてじっくり判決内容に目を通した。読み終えた瞬間、何かがおかしい」と驚きがこみ上げてきたのを今でも覚えてる。
「こんな警察、検察ってあるのか! 一人の女児が無残にも殺害されているというのに、捜査を捨てている。犯人特定に一番迫られるDNA型鑑定を科捜研技官が汚染(コンタミネーション)したとしてあきらめている。
資料があるのなら、何度でも検査はできるはずなのに、どうして? 裁判所もなぜ再鑑定をさせないんだ?キャップや手袋、マスク、服装と汚染対策は万全なはずなのにどうやって科捜研技官が汚染するのだろうか。しかも2人もだ」。この驚きから何が違うのか、それを解明するまでに5年余りも費やす取材という長い「旅」が始まったのだ。
まさか捜査側が裁判所に提出した唯一の鑑定証拠を改ざんをしていたなんて……。冤罪を見破るポイントになったのは、解剖医が発した犯人像が「女」だったことと、そして被害女児の頭部から見つかった約5㌢四方の布製の粘着テープである。犯人が必ず触れている重要な物的証拠だ。私は事件発生当初から疑問を抱いていた。
だが、捜査本部が逮捕していたのは、男。それに粘着テープのDNA型鑑定の結果も検出されたのは、被害者と鑑定人である科捜研技官2人の汚染という結果だった。これらの物的証拠を踏まえて、「冤罪」という一つのフレームワークに落とし込むには、まだ想像力が足りなかった。
その頃は事件資料の「確認」に忙殺されて体がいくつあっても足らない状況にあった。実はDNA型鑑定だけでも大変だった。DNA型鑑定は、粘着テープだけでなく被害女児の遺体の隅々まで約60カ所分に及んだ。
さらに、検査方法も一般的な常染色体だけでなく、試料が古くて傷んだもの対象のミトコンドリア型、男性だけの型を見分けるY染色体型と多彩で、一部外部の大学鑑定人にも鑑定を嘱託しているなどそれらの確認も一人でやらなくてはいけなかったのだ。まずはその資料集め。自分で入手するほかに弁護団を通じて捜査側から開示してもらわなければならなかった。
さらに警察、検察の取り調べ状況も取材すればするほど違法捜査が続々と明らかになり、時間と体力との勝負の毎日だった。
私が朝日新聞東京本社からシニア記者として栃木県の日光支局長で赴任したのは2016年5月。その約1カ月前に、今市事件の一審の裁判員裁判の判決が下されていた。無期懲役刑を言い渡されたのは、なんと男ではないか。気にならないはずがない。判決は本当は3月末だったのが延期になるというおかしな現象も起きていた。
判決文を読むと、はっきりと犯人というだけの決め手もない内容だ。「裁判官は何が言いたいのか」。評決が割れたことが直ぐに脳裏に浮かんだ。「面白くなってきたな」とほくそ笑む自分がいた。
ただ、腑に落ちなかったのは、被害女児の頭部から押収された布製の粘着テープのDNA型鑑定の結果だった。その粘着テープは女児の鼻あたりから頭までをぐるぐる巻きにして、殺害して捨てる際に剝がし損ねたとみられる。そのような犯人の割り出しが期待できる試料を科捜研の技官2人が汚染(コンタミネーション)したとして犯人追求が難しいと検察側が説明。宇都宮地裁も何の疑いもなく鵜呑みにして、大事な物的証拠を葬ってしまったのだ。
解剖医が筑波大学法医学教室の本田克也元教授とわかって驚いた。国内では数少ないDNA型鑑定のエキスパートだ。実は長年付き合ってきた相手で、大学に足を運ぶと、話は早かった。報道機関が誰一人、元教授のもとを訪れていなかったことにも驚かされたが、なにより警察、検察が解剖の説明を一審裁判が始まる直前まで受けることが一度もなかったということは信じがたいことだった。
本田元教授が説明の中で強調するのは、「女」だという犯人像だ。宇都宮地検による起訴状では、勝又拓哉被告は、下校中の被害女児を車に乗せて誘拐後、自分のアパートに連れて行き、そこでわいせつ行為をした。その際、被害女児に顔を見られたので、勝又被告は茨城県常陸大宮市内の山林に連れて行き、裸の女児の胸を多数回ナイフで刺して失血死させてその山林に捨てたという。
しかし、解剖した本田元教授は下半身に主だった傷はなく、わいせつ行為をしたとする痕跡が全くなく、さらに死ぬ直前につけたとされる爪による傷などが顔や首筋にあることなどから犯人は女性の可能性が高いとみていた。それにもかかわらず、DNA型鑑定結果に被害者以外の女性が出てきていないことが気になって仕方がなかった。
一方、捜査側は、解剖医に犯人像を聞かずに容疑者を逮捕してしまい、何が何でも犯人にするしかなかった。それを隠すために犯人のデータを隠すという犯罪を犯してしまったというのが真相ではないかと推察される。
栃木県警では、逮捕した勝又受刑者のDNA型が粘着テープの同県警科捜研によるSTR(常染色体)DNA型で全く検出されないことに焦ったのか、外部の神奈川歯科大大学院の山田良広教授にDNA型鑑定の嘱託をしていた。粘着テープのほかに女児の遺体のいたるところをガーゼ片や脱脂綿、ろ紙、採証テープなどで採取した微物、口腔内容物、爪、毛髪など約60点に及んだ。
その鑑定は、ミトコンドリアDNA型だった。14年5月27日の栃木県警捜査第一課の片山啓司警部補が阿部暢夫刑事部長にあてた捜査報告書には次のように記されていた。
「被害者吉田有希(当時7歳)に係る殺人事件につき、神奈川歯科大学大学院教授 山田良広の鑑定により、被告人勝又拓哉のミトコンドリアDNA型を特定するも、被害者の身体等から採取した資料について、被告人と同一のミトコンドリアDNA型は検出されなかったので下記の通り務報告する」。
片山警部補は前日の5月26日に山田教授と打ち合わせをした際に口頭で回答を受けたと明記していた。その鑑定でも勝又受刑者のDNA型は出ていなかったのである。
17年1月、私が神奈川歯科大大学院の山田教授を訪ねると、偶然にも研究室の壁には今市事件の鑑定を行ったことを裏付ける栃木県警の感謝状が飾られていた。幸運なことにこの感謝状で取材がしやすくなって会話も弾んだ。
山田教授への取材の結果、この鑑定では被害者女児や被告、粘着テープに自分たちの細胞を汚染させたという科捜研職員2人らとは別の第三者のDNAが複数検出されていたことが確認できた。おそらく栃木県警は、粘着テープの科捜研によるDNA型鑑定で勝又被告のDNA型を何としても検出してもらうために鑑定を依頼したと推察される。しかし、結果はまたも変わることがなかった。
問題は、この山田教授に嘱託した鑑定結果も一審では表には出ていなかったことだ。なぜかと言えば、科捜研が行った粘着テープと女児の身体からも勝又受刑者のDNA型が検出されなかったからである。いわゆる「無罪証拠」が表に出ると、判決に影響を及ぼすからだ。しかも女児の身体から第三者のDNA型が検出されたとなると一審に提出した科捜研の汚染(コンタミネーション)についても疑われるおそれも出て来るからだ。そのため山田教授の鑑定書は隠すしかなかったというのが実情ではないかと思われる。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。