登校拒否新聞9号:N/A
社会・経済登校拒否新聞9号:N/A
藤井良彦
さて、前号の続きである。なにせ2468件のコメントだ。めぼしいものをピックアップしただけでもかなりの数に上る。コメントの元記事については前号を見ていただくとして、今号は記事の内容とはあまり関係なく集めてみた。学校に行っていない場合、学校の評価がどうなるか。あるいは、学校の評価をどう見るか、ということを教員、親、本人の角度から見てみる。中学不就学であった私の評価はどうであったか?それは最後に記す。
多様性の時代と言いながら、学校の成績評価と内申書は昭和の時代と変わらないのではないか?(匿名)
私の昭和頃は相対評価方式のため、5と対で1はそれなりにあり得た。しかし昨今は絶対評価方式になつたはず。これは明らかに学校又は担任個人からの嫌がらせ。勝手な選択をする者は社会生活の落第者と断じている。(朝臣の末)
自分が小学生の頃、旅芸人の一座かなんかの子が転校してきてすぐまた転校していったけど、その子の通信簿には「評価できません」って書かれてた。(匿名)
いずれも昭和の時代。最後は戦後と言うべきか。
この記事、取材の最大の欠点はこのオール1の生徒の本当の学力を取材してない事だ。この生徒が本当の学力不足なのか学校の偏見によるオール1なのかわからない。それがわからないとこの対応に賛否がつけられない。(Noka noka)
「1」じゃなくて「N/A」でいいよ。通ってないのに何を基準に判定するんだ?(匿名)
そもそも「不登校」、すなわち学校に行っていないのに、その学校に「評価」を求めること自体、物理的にムリな話ではないか。(匿名)
相対評価ではないからオール1はおかしいという意見はかなりあった。と、もう一つ。「1」が実数であることが問題だ。6号に書いたように夜間中学の界隈では「オール0」という表現がよく使われていた。0と1では意味が異なる。コメントにはN/Aというエンジニア好みの表現が散見された。実際には斜線の他、アステリスクの場合もあるらしい。「物理的にムリ」という表現には共感する。私は在籍していた中学校の敷地に一度も足を踏み入れたことがない。学校は箱物として物理的に存在している。
では、本題に入る。当の教員たちはどう考えているのか?
悪いけど、斜線で渡します。もちろん懇談で説明はします。進路に大きく関わるかもしれませんが嘘はつけないし、授業を受けず、テストを受けないのに成績はつけられません。フリースクールに行って、それを成績と認めてほしいなら、フリースクールと進路先とのやり取りでどうにかしてほしい。学校に来ず、ろくに知らない子の様子なんて分かるはずない。(匿名)
教員をしています。正直そこまで見切れません。学校の定期テストも受けていない、提出物も出していない、授業にも出ていない。そんな状況でどう評価するのでしょうか。努力を認めていないわけではなく、評価材料が何一つない中評定を出すのは不可能だという話です。それならばせめてフリースクールの方に来ていただき、最低限提出物を出したり、定期テストはせめて受けたりするなどする必要があります。今文科省が定義している成績の付け方だと、そうすることが不可避です。(匿名)
まず、フリースクール(以下FS)への登校を在籍学校の出席扱いとするかどうかは、在籍校の校長の裁量となります。校長がそのFSを視察してOKを出せば在籍校の出席として扱われます。そして内申点については「オール1」となるのが当然です。在籍校の授業に出ていない場合は「評定不能=1」です。これはFSに行っていようがいまいが関係ありません。在籍校の授業に◯割以上出席していなければ評定不能となる、という決まりがあるからです(何割かは学校によって違いますが、少なくとも3割は出席していないと評定不能でしょう)。(匿名)
大阪の公立中学校で教諭をしていますが、2点おかしな部分があると思います。ひとつめは、不登校などで判断材料がない場合は「1」ではなく「-」で評価すべきです。ふたつめは、フリースクールでの学びがある場合は、学校長の裁量で現場を視察にいったり、関係機関と連携することで、出席あつかいにでき、評価の材料することも可能です。(匿名)
元校長です。「評価できません」が適切。無責任なことはできない。(匿名)
教育関係者ですが、不登校(フリースクール登校も含め)の生徒は成績をつけない事が普通です。正確に言えば、つけないではなく、教室にいないのだからつけられません。オール1が付いたのは、希望進学先の高校の要望で成績をつける必要があったのか、本人保護者の希望があったかのどちらかです。(匿名)
通知表はあくまでお知らせで、公簿は指導要録になる。通知表で斜線で表記しても、要録ではオールCの1のように必ず数値を表記しないといけない。(匿名)
斜線か1かについては、現場でも評価基準が一致していないことがわかる。フリースクールへの登校を出席扱いとするかどうかは校長の裁量というのは事実である。岡山県のように県教委として一律にそれを拒んでる場所もある。最後の意見は教員とは限らないが、斜線でもC判定がついているのであれば1も斜線も内実は同じということか。「文科省が定義している成績の付け方」がある一方で、文科省はまた初中教育局長の名で「不登校児童生徒への支援の在り方について」という通知を出した。
これは非常に理不尽!そもそも文部科学省は、平成28年に学校以外の学びについても適切に評価するよう全国の都道府県教育委員会に通知を出している。(匿名)
文科省はフリースクールを条件付きながら出席扱いにするように通知を出しているのだから、成績に関してもそれに準ずる扱いをしないとおかしい。(匿名)
フリースクールの評価を学校の評価に反映させろ、という通知が文科省から夏過ぎに降りてきてました。フリースクールがどのような評価基準(規準)で学校に送ってくるか分かりませんし、結局進学がかかれば保護者も本人も甘い評価つけてくれるスクールを選ぶようになるよねっていうのが現場の感想です。(やっせんぼ)
平成28年(2016年)の通知というのが「不登校児童生徒への支援の在り方について」である。その別記「義務教育段階の不登校児童生徒が学校外の公的機関や民間施設において相談・指導を受けている場合の指導要録上の出欠の取扱いについて」に「校長は指導要録上出席扱いとすることができる」とある。
やっせんぼさんが言っているのは「不登校児童生徒が欠席中に行った学習の成果に係る成績評価について」という8月29日に出たばかりの通知である。やはり初中教育局長が出したもので、ここに一節「フリースクール等の民間施設における相談・指導が個々の児童生徒にとって適切であるかどうかについては、校長が教育委員会と十分な連携をとって判断する」とある。ザル法かと思いきや、ここに「教育委員会と」と明記してある。出欠とは違って校長の裁量では決められない。
内申点が問題になるのは高校進学に際してのことだ。
子供が大学進学を希望しているのであればフリースクールではなく予備校に通わせるのが1番だと思う。大学の一般入試であれば内申点など全くなんの意味もないのだから中高年6年間で大学入試に必要な科目の勉強をして高認とって大学に行った方がいい。中高一貫の私立校がやっていることは、それとほぼ同じ事。(mhwjw)
日本中の高校受験の仕組みを調べてから記事にしたほうがいいのでは?埼玉県の公立入試は不登校用の仕組みがあり、出願の際に申請すれば通知表の内容を一切加味せず、当日点だけで合否の判定を出す仕組みになっています。なので、フリースクールに通う生徒が全日制高校を受験する上で不利になることはありません。通知表はあくまでも中学校での学習の取り組みに対する評価。登校できず評価物がなければ「1」か斜線です。(匿名)
内申点ないので高校には行けませんね。私の地域では内申点が80%なので本番の試験が100点でも合格しませんとはっきり他人から言われました。(匿名)
私が住んでいる地域の公立高校は、内申点を含めた合格枠のほかに、受験当日のテストの点のみで合格を判定する枠があります。県外から引越してくる子や内申点がつかなかった子などにもチャンスがあります。(匿名)
義務教育の段階で学校に行っていないのであれば、mhwjwさんが言っているように「中高年6年間で大学入試に必要な科目の勉強をして高認とって大学」という選択肢がある。それが「中高一貫の私立校がやっていること」と同じというのは卓見だ。学校が変わらないというような意見をよく聞くが学校制度は変わっている。極端な話、小中学校にまったく通わず、無償化した高校にも入らずに、高卒認定を取って大学に入ることは制度上、可能だ。学校側が中高一貫校となって大学入試に特化するならば、学校の外でも同じように中高の勉強を自学自習で行い高卒認定を目指す。
それでは困ると思ったか、埼玉県などでは不登校生徒のための受験制度を用意している。神奈川県が内申点摘除という制度を導入したのが最初だろう。最近では東京都も制度を変更。先の岡山県の例も合わせて言うと、子どもが学校に行っていないのであれば引っ越すことも現実の選択肢である。最後のコメントに「県外から引越してくる子」とあるのは事実としてそういう例があることを示している。しかし、制度はあくまで制度である。現実の適用に際してはいろいろと問題がある。それについては号を改めて書く。
登校していてもオール1というレジェンドが伝承されている。
普通に毎日学校に行って、10段階評価の成績表でオール1を取った猛者がいた。田中君、元気にしていますか?良い奴だったなぁ。(匿名)
昔の俺やん、高校もやっとでれた俺、いま?年商かるく億超えの会社経営してます、オール1でも心配すんな、それぞれの道がきっとある。(匿名)
フル登校してたのにオール1の大将なら同級生にいた(匿名)
リアルのび太くん(Oooku)
かつては「優等生の息切れ型」という登校拒否の分類が幅を利かせていた。実際、勉強ができるタイプの子、つまり出木杉君が学校に行かなくなるという話は「登校拒否症」なんて言っていた頃によく聞かれた。そういう子がある時から学校に行かなくなり、最後にはオール1の評価を受ける。のび太君のオール1とは意味が違う。
では、本人たちはどう受け止めているのか?
中学で不登校でしたが、カウンセリング室みたいなところに毎日登録してテストもそこで受けられたので座学の成績は3以上は取れてました。なんか不登校でもテストだけはどの学校も別室で受けられたりするんじゃないのかな。(匿名)
数十年前の当事者でした。学校の成績も通年でオール1です。週1日、その時代には珍しかったフリースクールに通いましたが、学校では「出席扱い」にはしてくれましたが、成績は付けてもらえませんでした。でも、当然だと思っています。学校の定期試験を受けていなかったので。授業態度だって、教師が直接見てるわけではないからわからないし。親御さんは、フリースクールという「民間施設」に期待しすぎではないでしょうか?教師の働きすぎが問題になっている今の時代に、民間と公立が連携を図るなんて、どう考えても限界があります。(yoneko)
私は不登校だった生徒側ですが、これ当然だと思いますよ。学校の成績表なんだから言ってないから1で当然。1どころか0でもいいと思います。学校来てないのにどう評価しろと?わがまますぎませんか?(自分は内申点など無関係の学校に進学しました)(匿名)
今18で、高3でもちろん受験生です。小6くらいから高校を辞めて通信に転校するまで不登校でした。成績表も斜線でした。中3の時先生達の計らいと優しさで成績をオール1にしてくれた事は嬉しい思い出です。成績がオール1だったからと言って進路に影響が出るか出ないかは自分次第だと思います。(匿名)
小中不登校で内申点がほぼない状態でも一般入試で満点近い点数を取って県で1番偏差値の高い高校に合格した先輩を僕は知っています。(匿名)
知り合いに、中学2年まで不登校、3年にやっと登校し出して偏差値の高い高校に受かった子がいます。2年間どうやって学習していたのかと聞くと、塾だそうで…学校でいじめにあったとかではなく、単純に登校したくなかっただけとのこと。こういう子もいますので、学習面においては、学校の評価だけでは判断できないと思います。(匿名)
いわゆる保健室登校にて3以上を取ったという実例がある。他の例を鑑みても、先にNoka nokaさんの言っていたようにオール1と判定された子の学力は別に評価する必要がありそうだ。yonekoさんのようなフリースクールの卒業生が「民間施設」と行政用語を振りかざして批判的な意見を寄せている。「内申点など無関係の学校に進学」というのはおそらく定時制か通信制に入った例だろう。現実的にはこれがいちばん多いのではないか。最後の例は塾に通っていたという話。通学していなくても塾に行っている例は少なからずある。こういう場合は全日制に進むことも難しくない。
親たちの意見にも実例が出てくる。
娘が小5で不登校でした。月に1回位の保健室登校でプリントして。通知表は斜線だらけ。(匿名)
既存の学校からすれば、フリースクールは「逃げ場」であって、学校ではない、という感覚。親身になってくれる先生もいるだろうが、多くの先生や校長、教育委員会はやはり全日制の学校ありきなんですよね。。。なので、登校してきてない、試験受けてない時点でオール1にしかならないんです。成績つけようがないから。学校の成績評価ってまだ相対評価なのかな、よく知らんけど。フリースクール通う子にも成績試験受けさせる手筈整えればいいのにな。試験用紙のデータ共有するだけで良さそうなもんなのに。病床で院内学校に「通う」病児生徒は成績つけてもらえるのにな。(匿名)
中学って塾に行ってる子に基本5あげます。塾に通わせてるのにって学校に文句言ってくる親がいるから。塾に行ってない子にはどんだけ頭がよくても5はあげれないそうです。先生のお気に入りは4中学って勉強とか協調性より先生がその子の事を好きかどうかで成績決まること多々ある。そんなこともしないストレートな先生も中にはいるけど。ほとんどがそれ。(匿名)
うちの不登校児はオール1どころか「オール斜線」でしたけどね。テストも受けず、評価するための要素がなければ仕方ないと思います。先生には「オール1か斜線か、どちらにしますか?」と聞かれました。進学先によっては1をつける事で逆に不利になるそうで、そうなるなら斜線の方が良い事もあるらしいです。(匿名)
私の娘は、公立中3年生の時に病気をし強い薬の副作用で歩くのも困難で。でも学校に行きたいという本人の強い希望で、車椅子利用で送迎して授業に参加していました。どうしても体育の授業には参加できず。見学をしてレポート提出すれば、授業に出た人の最低基準評価は貰えると説明を受け、頑張って見学してレポートも欠かさず出しました。なのに、不登校で見学もしていない子が3をもらい、娘は1でした。不登校の子にも、進学のチャンスを残してあげたいという説明は、到底理解出来ない物でした。副作用と闘病ストレスで、15歳で白髪頭になりながらも車椅子で通学した娘の涙と苦労。(to)
我が家の娘も中学時代は完全不登校、3年間で10日ほど学校に行っただけでした。通知表は評価できないので真っ白でした、評価1はそれなりに評価されたのでしょう。それでも通信制の高校に籍を置きながら卒業、別な学校で高校卒認定をもらい卒業できました。その後大学も一般受験で美大に入学でき卒業後はウエッブデザイナーとしてがんばっています。(匿名)
もう40年も前の話だが、同級生に不登校の女子がいた。本当に1日も来ないのに、彼女の通知表はオール3だという話が学年中に流れた。毎日登校してもオール3以下の生徒と保護者が一斉にクレームをつけて大騒ぎになったのを覚えてます。(匿名)
学歴社会というふるいは近い将来変わってくると思う。オール1でショックを受ける親御さんも想像できるが、不登校の子どもは、そこへ価値観を持っていないと思うよ。キツい言い方かも知れないが、子供が選択した不登校という手段を受け入れた以上、成績を求めるのは矛盾。(匿名)
なかなか教員には厳しい意見ばかりだ。
院内学級は分校扱いなので出席点が付く。かつては登校拒否により原級留置とされた子が卒業資格を取るために籍を置いていたという負の歴史がある。同じ保健室登校でも斜線という例があることが知られる。「どちらにしますか?」と聞かれたというのは世にも奇妙な話だ。toさんの話や「40年も前の話」も気になる。いずれも教育行政学者の編纂する教育史には書かれていない現実の学校での出来事だ。最後の意見は個人的に同感。私もある時から腹を決めた。「そこへ価値観を持っていない」ということだ。だから親のメンツの問題じゃないか、という意見も多くあったことを付記しておく。
では、中学不就学であった私の評価である。オール1か斜線か、はてまたアステリスクか。じつは内申書を見た記憶がない。そういう評価ならぬ評価を受けた場合、子に見せないというのも大事である。
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1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。