日航123便墜落事故とヘリコプター会社
社会・経済今回の記事では、ヘリコプター会社関係者による記事を紹介する。
まず、元朝日航洋株式会社常務取締役・宮田豊昭氏による記事を紹介する。
宮田豊昭氏の経歴は以下の通りである。
≪1935年東京生まれ。1959年防衛大学航空工学科卒業。航空自衛隊3尉任官を経て、朝日ヘリコプター㈱に入社。ヘリコプターの操縦に携わり、1985年朝日航洋㈱取締役、87年常務取締役(航空事業本部長)、㈱エアロスポーツ・プロモーションズ社長、㈱地域航空総合研究所顧問を経て、1998年日本技研顧問。≫
(引用元:航空の現代 http://kokugen19.holy.jp/gendai/miyata.html)
また、朝日航洋株式会社は、1982年に朝日ヘリコプター株式会社と東洋航空事業株式会社が合併して発足したヘリコプター会社である。
1995年出版の雑誌『コミューター・ビジネス研究』No.35に掲載された宮田豊昭氏による記事「災害とヘリコプター」には、以下の通り記載されている。
≪災害とヘリコプター地域航空総合研究所
顧問 宮田豊昭
(中略)
そこで、御巣鷹山事故のときあるヘリコプター会社の対応を紹介しよう。
ジャンボ行方不明の一報は、飛行場外の離着陸申請に行っていた担当が、航空局から直接社長室に知らせてきた。現場は大島沖と推定されていたが、あるいはまだジャンボは迷走していた最中かもしれない。情報が非常に早かった。
残業している者で直ちに臨時の対策をたてることにし、可動機全部の洗い出しとパイロット整備士の確保を指令した。誰も帰宅の途中で、実際の把握はだいぶ苦労したが、ともかく午前3時には可動全機が出動体勢になり、パイロット、整備士が手配した旅館にいた。≫
上記の通り、宮田氏は、「あるヘリコプター会社」にジャンボ行方不明の一報が入ったとき、現場は大島沖と推定されており、ジャンボが迷走していた最中だったかもしれないと述べている。
したがって、「あるヘリコプター会社」に一報が入った時刻は、123便の墜落時刻である18時56分26秒ごろよりも前であった可能性が高い。
次に、元朝日ヘリコプター株式会社社長・森田正氏による記事を紹介する。
雑誌『Helicopter Japan』2006年9月号に掲載された森田正氏による記事「ヘリにまつわる私記 追悼 日本航空・御巣鷹山事故」には、以下の通り記載されている。
≪ヘリにまつわる私記
追悼 日本航空・御巣鷹山事故 ─回収作業に活躍した当社ヘリコプター─
元 朝日ヘリコプター㈱社長 森田 正
(中略)
当社においても、8月12日19時直前、報道各社から日航機遭難の情報をキャッチすると本社(池袋・サンシャインビル)を中心に夜を徹して対応策を協議した。遭難機発見と同時に翌日早朝を期して、年間契約を締結している報道3社(東京放送、日本テレビ、フジテレビ)を中心にして通信社、新聞社のチャーター機が一斉に報道取材活動を開始した。東京ヘリポートから事故現場まで直線距離にして約100km、ヘリコプターの機動力は如何なく発揮され、全国の茶の間のテレビに惨状はいち早く報道された。≫
森田氏は≪当社においても、8月12日19時直前、報道各社から日航機遭難の情報をキャッチ≫と述べている。朝日航洋株式会社が19時前に情報をキャッチしたのは間違いないだろう。
ところで、私の第八弾目の記事「123便が18時40分ごろレーダーから一時的に消えた可能性について」では、123便が墜落時だけでなく、まだ飛行中だった18時40分ごろにもレーダーから消えた可能性について述べた。
宮田氏と森田氏の記事は、どちらもその可能性の裏付けとなりうる記事である。「あるヘリコプター会社」に一報が入ったのは、123便が迷走していた最中のことであると思われるし、123便墜落時のレーダー消失を伝える情報が、19時前に朝日航洋株式会社に入ったとは考えづらいからである。
やはり、123便は18時40分ごろレーダーから一時的に消えたのではないだろうか。そして、その情報が、19時前に「あるヘリコプター会社」と朝日航洋株式会社に入ったのではないだろうか。
当時の関係者の方々が、事故当日の記憶を公表してくだされば、真相解明に近づけるだろう。
一刻も早く事故の真相が明らかになることを願っている。
- 付記:事故翌日付の韓国紙『中央日報(日本版)』について
実は、事故翌日付の韓国紙『中央日報(日本版)』も、横田基地への緊急着陸に関する情報を報じていたので、以下に紹介する。
1985年8月13日付『中央日報(日本版)』1面には、以下の通り記載されている。
—–
추락한 점보기의 「다까하마•마사미」기장은 이날 이륙한지 30분후인 하오 6시39분『기체후미에 있는 캐빈의 잠금장치가 파열됐으며 캐빈이 압력을 받고 있다』면서 인근 요꼬따 美공군기지에 비상착륙을 시도하겠다는 다급한 무전연락을 관제소에 보내왔으며 점보기는 그로부터 20분후인 6시59분 레이다에서 사라졌다。
—–
以下、翻訳サイト「DeepL翻訳」による翻訳
—–
墜落したジャンボ機の「タカハママサミ」機長は、離陸から30分後の午前6時39分、『機体後部のキャビンロックが破裂し、キャビン内に圧力がかかっている』として、近くの米空軍横田基地への緊急着陸を試みる旨の緊急無線連絡を管制塔に送り、ジャンボ機はそれから20分後の6時59分にレーダーから消えた。
また、同紙には、発行所について「發行所 東京都千代田區霞ガ關3-2-5 中央日報 東京支社」と記載されている。
つまり、都内発行の韓国紙(日本版)も、高濱機長が「横田基地への緊急着陸を試みる」と述べたことを事故翌日に報道していたのである。
横田基地への緊急着陸について、日本国内発行の日本語の新聞ではほとんど報じられていないのは一体なぜか。その理由を紐解けば、真相解明に一気に近づけるのではないだろうか。
【参考文献】
・西川渉. “航空の現代:訃報”. 航空の現代. 2004-01-02. http://kokugen19.holy.jp/gendai/miyata.html(参照 2024-12-20).
・朝日航洋株式会社. “沿革(歴史)”. 航空・空間情報の朝日航洋株式会社. https://www.aeroasahi.co.jp/company/history/(参照 2024-12-20).
・宮田豊昭. 災害とヘリコプター. コミューター・ビジネス研究. 1995, 35, p.42-46. 国立国会図書館デジタルコレクション.
https://dl.ndl.go.jp/pid/3330856(参照 2024-12-20).
・運輸安全委員会. 日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説. 2011. p.27-32. https://www.mlit.go.jp/jtsb/kaisetsu/nikkou123-kaisetsu.pdf(参照 2024-12-20).
・森田正. ヘリにまつわる私記 追悼 日本航空・御巣鷹山事故 ─回収作業に活躍した当社ヘリコプター─. Helicopter Japan. 2006, 143, p.34-37.
・小幡瞭介. “日航123便墜落事故:123便が18時40分ごろレーダーから一時的に消えた可能性について”. ISF独立言論フォーラム. 2024年8月7日公開. https://isfweb.org/post-41293/(参照 2024-12-20).
・JAL機추락、生存者4명있다. 中央日報(日本版). 1985-08-13. p.1.
・DeepL SE. “DeepL翻訳:高精度な翻訳ツール”. DeepL翻訳. https://www.deepl.com/ja/translator(参照 2024-12-20).
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