【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(70):ロシア経済をめぐる情報操作(上)

塩原俊彦

 

世界中のロシア経済に関する報道をみていて気になることがある。それは、ロシア経済の特殊性を知らずに、いい加減なことを書いたり言ったりする報道が多すぎることだ。

たとえば、12月20日のBS TBSでは、ロシアのインフレが激化し、金利上昇で経済的困難な状況にあると、堤伸輔なるコメンテーターや服部倫卓北大教授、駒木明義朝日新聞論説委員がこぞって駄弁を吐いていた。

残念ながら、彼らは経済学を知らない。何が言いたいかというと、ロシアでもトルコでも、あるいは発展途上国でも、それぞれの国は各国通貨と外貨(とくにドル)の二重通貨制とも呼べる状況下にあるという大前提に立たなければならない。そうした国では、自国通貨でみたインフレ率がいくら高くなっても、その国に流通する外貨にシフトすれば、名目上のインフレ上昇にある程度対抗できる。あるいは、外貨シフトが急速に進めば、自国通貨でみたインフレ率は加速化する。

つまり、これらの国々のインフレ動向は、いわゆる先進国のインフレ動向と同じように論じてはならないのである。このもっとも重要な視角を、彼らはまったく理解していない。彼らの名誉のために書いておくと、私がここで指摘している点に十分注意を払った報道を見つけることはできなかった。世界中の報道が地に堕ちていると言えるかもしれない。

多くの方々にぜひとも読んでほしいのは、拙著『知られざる地政学』(下巻)の338頁である。選ばれた新興市場におけるドル預金比率の推移という表を掲載しておいたのである。実は、各国ごとのドル経済化は、自国から外国に出稼ぎに出て自国にドルを送金するという問題に深くからんでおり、ドルによる経済支配という問題にも直結している。だからこそ、地政学・地経学の観点から、この問題はきわめて重要なのである。

ロシアにおける「脱ドル化」

ロシアの場合、2014年2月21日から22日にかけてウクライナで起きたクーデター(超過激なナショナリストによるヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領の追い出し)以降、政府として「脱ドル化」をはかってきた。2021年7月に公表された米議会報告書には、「ロシア政府は、2014年に米国がロシアのウクライナ侵攻への対応としてロシアへの制裁を発動したことを受け、ドル離れを加速させた」と指摘されている。それを示したのが下図である。ロシアからBRICS諸国への輸出代金がどの通貨で支払われているかを通貨別の構成比で表している。2014年以前はほとんどドル建て決済だったが、その割合は逓減し、2022年2月のウクライナ戦争勃発後、ドルだけ決済は急減している。ドルに代わってユーロ建ての決済が急増していることがわかる。

あるいは、2023年のロシア中央銀行年次報告によると、「2023年末までに、輸出収入に占める人民元の割合は35.8%、輸入支払いに占める人民元の割合は37.0%に増加した」。こうした変化は、国内のドル建て預金の減少につながったものと考えられる。まさに、「脱ドル化」は着実に進んでいる。

(出所)https://crsreports.congress.gov/product/pdf/IF/IF11885

中央銀行の2023年年次報告(35頁)にある、近年の通貨発行量(現金、ルーブル・外貨建て預金)の増加と増加率の推移を示したのが下図である。いわゆる「特別軍事作戦」開始後、外貨建て預金は個人・法人組織ともに減少をつづけている半面、個人・法人組織ともルーブル建て預金が増加傾向をたどっていることがわかる。それが、通貨発行量の急増につながっている。

報告書は、「ロシア中銀が主要金利を引き上げた後の預金商品の利回り上昇によって、家計の銀行への資金流入(外貨建て残高の転換を含む)が支えられた」と説明している。したがって、「2023年の家計のルーブル預金は26.7%増加した(2022年は18.0%増加)。組織のルーブル預金の年間増加率は15.8%(2022年は36.1%)であった」というわけだ。その結果、家計の預金の外貨建て化 は1年間で10.0%から7.9%に減少し、過去の最低値を更新した。法人組織預金の通貨化は、外貨預金の再評価により、20.7%から21.6%に増加した。おそらく、うすいピンクで示されている「外貨預金再評価」が2023年後半から増加したのは、この外貨預金の再評価による増加に関係しているのだろう。

おそらく、うすいピンクで示されている「外貨預金再評価」の2023年後半からの増加したのは、この外貨預金の再評価による増加に関係しているのだろう。

信用機関口座の家計資金をみると、2023年は19.7%増加(7.4兆ルーブル増の44.9兆ルーブル)し、2022年(6.9%増)を上回った。このような資金流入は、家計所得の増加によるものである。それは、家計所得の伸びと、預金金利が上昇する中で銀行に現金が戻ったことによる。同時に、外貨建て資金量は1.5%減少(1兆ルーブル、130億ドル相当)した。その結果、2023年の家計の外貨建て資金の割合は10.6%から6.7%に減少した。

図 通貨発行量の推移(増加率、%)
(出所)https://www.cbr.ru/Collection/Collection/File/49041/ar_2023.pdf

こうした「現実」を知っていれば、現在のルーブル建てインフレ率の上昇が欧米諸国や日本でいうインフレ率とは異なっていることが理解できるはずだ。ルーブル建てでみたインフレ率が高いとか、ルーブル建て金利水準が高いとかいって、騒ぎ立てるのではなく、もっと冷静な議論をしなければならないのである。たとえば、人民元建ての融資や債券による資金調達利回りがルーブル建てに比べて低ければ、対中貿易で元建て収入が見込める企業などは元建てで資金調達することを選択するだろう。

なお、念のために書いておくと、「ロシアのいまのインフレ率の上昇は問題ない」と主張しているわけではない。現に、ウラジーミル・プーチン大統領は12月19日、4時間半にわたる国民との直接対話のなかで、「そう、もちろん、心配なシグナルはインフレだ」と話し、インフレ懸念を率直に認めている。高金利から、11月の企業向け融資の伸びは大幅に鈍化した。中銀は2024年に基軸金利を3回連続(10月に年21%、9月に19%、7月に18%)で引き上げた。真夏までは、2023年12月以降の金利は16%に据え置かれていた。12月に予測されていた金利引き上げは見送られたが、高金利による景気減速は確実だろう。

根拠なしの悲観論が流れる

最近になって、欧米諸国では、根拠があるとは思えない悲観論が頻繁に流れるようになっている。その背後には、もう少しウクライナ戦争を継続すれば、ロシアは必ず消耗戦に敗れるという、根拠のない希望があるようだ。だが、こうした議論は、ソ連時代からロシアへとつづく特殊性について無知な「似非専門家」によって展開されているように思われる。

たとえば、2024年12月に『フォーリン・アフェアーズ』のサイトに掲載された、セオドア・ブンツェル(ラザード地政学アドバイザリーのマネージング・ディレクター兼ヘッド)、エリナ・リバコワ(ピーターソン国際経済研究所およびブリューゲルの非常勤シニアフェロー)の共著「ロシア経済はプーチンの最大の弱点であり続ける」では、ロシア経済の弱点があげつらわれている。

①戦時中の多額の支出と労働力の減少により経済が過熱し、ロシアのインフレ率は8%を超え、中央銀行は金利を20%以上に引き上げざるを得なくなった。このインフレを加速させているのは名目賃金の伸びであり、17%に達すると予想されている、②失業率は2%前後で推移しており、これは驚くほど低い数字である。賃金上昇や軍の多額の入隊ボーナスと併せて考えると、希少な労働力に対する極度の競争が示唆される、③11月末には、ルーブルは2年で最低の水準まで下落した。これは、インフレ率の上昇と、金融制裁による外貨流入の減少(2022年3月の340億ドルから2024年9月には20億ドルに減少)が原因である、④ロシアの予算もまた圧迫されている。クレムリンは2025年に国防費を25%増額し、GDPの6%以上を国防費に充てている(これに対し、米国の国防予算はGDPの3%以下である)。現在、国防費はロシアの国家予算の3分の1を占め、社会サービスへの支出の2倍以上となっている。昨年、モスクワは2025年までに国防費を21%削減する計画を立てていた。この方針転換は、ロシアが予想以上に軍事的圧力を受けていることを示唆している――といった問題点を指摘している。

さらに、エネルギー分野における懸念が語られている。石油とガスの輸出は、政府収入のおよそ3分の1を占めており、その収入がロシアの財政赤字を埋め、経済を支えているが、石油価格の推移によっては大打撃を受けるという。現在、ロシアは販売する石油1バレルあたり60~70ドルの収益を得ている。しかし、もしこの収益が1バレルあたり40~50ドルにまで下落した場合、経済は危機的状況に陥るというのだ。

もう一つの弱点として、ロシアの兵器システムにおける西側諸国の技術への依存が指摘されている。2024年1月の「ロシア制裁に関するエルマーク=マクフォール国際作業部会」とキエフ経済大学院(KSE)の共同研究によると、ウクライナの戦場で発見されたロシア製兵器に搭載されていた外国製部品の95%が西側諸国からの輸入品であった。米国企業からの部品だけで72%を占めていた。ロシアへの制限品目の流れは、主に中国と香港の中間業者を経由しているが、西側諸国の輸出規制が強化されれば、ロシアは軍事サプライチェーンの方向転換に多額の費用を投じ、劣った中国製技術や部品を取り入れることを余儀なくされるから、その結果、最前線への武器供給に混乱や不足が生じる可能性があるという。

The Economistも悲観論

The Economistもロシア経済に対する悲観的な見方を12月に入って報じている。①モスクワ証券取引所(MOEX)の市況が過去6ヶ月でほぼ3分の1下落した(下図を参照)、②企業の倒産件数も増加している、③インフレに対抗するため、ロシア中央銀行は主要金利を21%に引き上げ、借入コストを急騰させた、④米国の新たな制裁により、ルーブルは急落し、輸入コストが上昇した、⑤労働力不足は悪化している――などを材料に、「厳しい冬が待ち受けている」と書いている。

図 MOEXの推移
(出所)https://www.economist.com/business/2024/12/04/russian-businesses-are-beginning-to-bear-the-cost-of-war

11月の段階でも、The Economistは「ウラジーミル・プーチンは経済的に苦境に立たされている」という記事を報じている。「9月に発表されたロシアの予算には、来年度の国防費を4分の1増やす計画が盛り込まれていた。 情報機関をカバーする独立した予算項目である国防・安全保障関連の年間支出は、現在、17兆ルーブル(1700億ドル)に増加すると予想されており、これは政府支出全体の40%以上、ロシアのGDPの8%に相当する。国防費だけでもロシアの国民所得の6%となり、冷戦後で最も高い水準となる」というのだ。

ほかにも、『フォーリン・ポリシー』に11月に公表された、マーク・R・デヴォア(セント・アンドリュース大学国際関係学部上級講師)とアレクサンダー・メルテンス(キーウ国立大学モヒラ・アカデミー財政学教授)の共著「限界に達しつつあるロシアの戦争経済」でも、悲観論が展開されている。

最初に、「一見したところ、数字は驚くほど堅調にみえる」と記している。2023年のGDP成長率は3.6%で、2024年には3.9%の成長が見込まれており、失業率は戦前の約4.4%から 9月には2.4%まで低下した。こう書いたうえで、「モスクワは軍隊と防衛生産を拡大し、防衛産業に50万人以上、軍隊に約18万人、準軍事組織と民間軍事組織にさらに数千人の労働者を増やした」とのべている。だが、ロシア経済は行き詰まりに向かっているという。
ロシアの兵器のボトルネックの最たるものとして、「大口径の大砲を交換できないこと」が指摘されている。ロシアは月に約320の戦車や大砲の砲身を失い、わずか20しか生産していないからだという。さらに、防衛関連企業は労働者を集めるのに、ロシア軍と同じ人材を争っていると書いている。このため、軍は豪華な契約ボーナスを支給し、給与を大幅に引き上げている。その結果、国防産業は賃金を5倍に引き上げなければならなくなり、10月のインフレ率は8.68%に達したという。

こうしたマイナス情報を並べ立てたうえで、彼らは、「ロシアは、主要な兵器システムが底をつき始める2025年後半以降、現在の戦争を継続することはできない」と断定している。

なお、最近になって「フィナンシャル・タイムズ」は、「ドナルド・トランプのチームは、次期アメリカ大統領は北大西洋条約機構(NATO)の加盟国に防衛費をGDPの5%に引き上げるよう要求するが、ウクライナへの軍事援助は継続する予定だと欧州当局者に語った」と報じた。トランプは依然としてウクライナをNATOに加盟させるべきではないと考えており、紛争の即時終結を望んでいるという。停戦後にウクライナに武器を供給することが「強さによる平和」という結果を確実にするというのである。

 

「知られざる地政学」連載(70):ロシア経済をめぐる情報操作(下)に続く

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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