登校拒否新聞10号:朝起きるのがきつい
社会・経済登校拒否新聞10号:朝起きるのがきつい
藤井良彦
2024年12月4日午後5時からFBS福岡放送めんたいワイドが「不登校の少女が1分間の動画に込めたメッセージ」という番組を報道した。
福岡県内に住む不登校の14歳の少女が制作した動画が、全国から応募があったコンテストで最優秀賞に輝きました。不登校になったのは、小学4年の時です。新型コロナの感染が広がり、一斉休校になったことがきっかけでした。学校再開の前日、「朝起きるのがきつい」という気持ちが湧き、休校期間で経験したように、自分のペースで学べる環境の方が向いていると感じたといいます。昨年度、年間30日以上欠席した不登校の小学生と中学生はおよそ34万6000人に上り、11年連続で増加し過去最多となりました。中学生の場合、15人に1人が不登校です。中学校のオンライン授業も毎日、受けています。学習の場はほかにもあります。レイマさんはメタバースと呼ばれる仮想空間で行われる、不登校の子どもたちが対象の学習支援サービスを利用しています。スタッフ「今回のテストはどんな目標?」レイマさん「平均点よりもちょっと超える。」NPO法人が運営していて、サービスは無料です。レイマさんにとっては、先生やほかの利用者とつながる大事なコミュニケーションの場となっています。
https://x.com/FBS_NEWS5/status/1865536023616516577
この番組は今までにも居場所や親の会などを紹介しているが今回はメタバースを利用している例ということで、少し毛並みが違う。「テスト」とか「平均点」とかいう言葉は従来のフリースクール、居場所では禁句だった。学力競争が子どもたちをして「不登校」へと追いやっているという通念があるからだ。であるから「勉強」という言葉すら避けて「学び」と言ってきた。
「朝起きるのがきつい」というのが登校拒否という言葉が一部の識者によって今でも使われている理由である。つまり、体が拒否しているということを重視する。そこから、何が拒否されているのか?という問いが出てくる。そう問うたのは「不登校」を毒にも薬にもならぬ言葉とした故高垣忠一郎さんだ。私が登校拒否という言葉を使っている理由は民間用語ということで、それとは少し違うけれども、そういう理由も一つとしてある。問いを提起する力が登校拒否という言葉にはある。
番組はヤフーニュースによって再配信された。いつものようにコメント欄が盛り上がっている。現在、518件のコメントがある中から、めぼしいものをピックアップしたい。まず、次のようなコメントがある。
この記事、頭おかしいやろ
福岡に住む不登校の少女が優勝!
記事内の情報にはなんの大会か明記せずに
TikTok不登校動画甲子園!
不登校動画甲子園で不登校が優勝!!!
アホやろマジで、、、(匿名)
これは正しい意見だ。記事は「全国から応募があったコンテストで最優秀賞」としか報じていないが、実態は「不登校生動画甲子園2024」の最優秀作品賞である。主催者はTikTokで、審査委員長は中川翔子氏。レイマさんが利用しているメタバースの学習支援サービスとはroom-Kである。その運営者のNPOカタリバはレイマさんに取材して記事を残している。「学校に行くことが全てではない」と彼女は語る。
https://note.com/katariba/n/n99207a6ab367
気になるのはPR TIMESで配信された記事「「不登校動画」をメタバースで共同制作 オンラインフリースクール生徒の作品がTikTok「不登校生動画甲子園2024」で入賞」だ。配信者はSOZOW株式会社で、配信日は授賞式の翌日。時事ドットコムでも再配信された。それによると――、
オンラインフリースクール「SOZOWスクール小中等部」の生徒が、TikTokと不登校生動画甲子園事務局が共催する「不登校生動画甲子園2024」で入賞いたしました。受賞作品は、全国各地に住む5名のスクール生が、メタバースキャンパスで共同制作した「不登校あるある」をテーマにした動画作品です。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000139.000048584.html
主催者が私企業であることを問題にするつもりはない。公教育の穴を埋めるのは私教育しかない。オンラインによる学習支援に反対するわけでもない。オンライン化は避けられない流れだし、学習支援というあり方は「学びの多様化」よりも正攻法である。気になるのは、受賞者の中にそういったオンラインサービスの利用者がどれだけいたか、ということだ。「全国各地に住む5名のスクール生が、メタバースキャンパスで共同制作」というのはオンラインサービスならでは。メタバースについては、また次号あたりで。
文科省としてもGIGAスクール構想なる計画を進めつつある。
コロナ以降、学校を休むことに抵抗がなくなってこういった子が増えた。コロナ不安も相まって、リモートでも授業が受けられるようGIGAが前倒しに。結果、どうでもいいことで休んでも、リモートで授業配信、黒板は写真撮って配信、プリントはデジタルで配信。しても当の本人は参加しない。このまま大人になって社会適合できるのか、そこまでの取材してほしい。一部の適応できた子だけじゃなく、それが何%で、できないままの子が何%かまで。そして初めて、いろいろな学びが認められるようになっていくと思う。(匿名)
コロナ以降に「不登校」が増えたということで報道を賑わしているが、何がその原因かという点は慎重に見定める必要がある。記事にも「新型コロナの感染が広がり、一斉休校になったことがきっかけ」とあった。こういう場合の「朝起きるのがきつい」は登校拒否ではないかもしれない。この点は高垣さんも見極めるポイントとして重視していた。登校拒否とは何も学校に行かない子どもが増えているから学校が拒否されているという平凡な主張ではない。怠けている子もいるだろう。病気の子だっている。その中に登校を全身で拒否している子がいる。では、何が拒否されているのか。それを見極めてやらなきゃいけない。「不登校」と十把一絡げ数え上げることで、その数が増えたと問題化することは容易である。そこに、学校が合わなくなっている、というもっともらしい主張が成り立つ。「不登校」になる原因は一人ひとり違うと専門家は言うだろう。
しかし、コロナ休校が原因で長期欠席者が増えたとすればどうか?
この子は不登校にならずともやりたいことはやれただろうし、コロナ明け登校日の最初の一日もしくはその後の数日の間に学校に行っていれば、たぶん不登校状態を回避できたと思います。他人と一緒にいるということは、誰にとっても大なり小なりストレスです。そのストレスは慣れによって軽減できる。ところが最初からそれを回避してしまうと、ストレスは逆に上昇していく。他人と会わない期間が長くなればなるほど、他人と一緒にいることのストレスは高くなる。当たり前のことです。そういう当然のことを当然だと見なさず、異常だと大騒ぎして、ただちに自殺と結びつけて「学校に行かなくていいよ」などと馬鹿げた声かけをしてしまう世の中全体の風潮が、本来不登校にならずに済んだ子を不登校に追いやってしまっている。「学校に行かなくていい」ではなく「学校を休んでもいい」にしませんか。「行かない」と「休む」は似て非なる言葉です。(カツモク)
カツモクさんは識者である。報道を追ってるだけでは、このような主張はできない。「不登校」の増加を自死の増加と重ね合わせて、命を守るためにムリして登校させないで、などという主張は旧不登校新聞社を発信源として新聞メディアにより配信された。夏休みが終わる頃には毎年恒例で旧不登校新聞社の代表者の意見が新聞社から報道されたものである。不登校生動画選手権は不登校新聞社の主催により始まった。当初は毎日新聞によって次のように報じられている。
学校へ行きたくない私から学校に行きたくない君へ――。NPO法人全国不登校新聞社がこの夏初めて、「不登校生動画選手権」を開催する。2022年の子どもの自殺者数が過去最多となる中、思い悩む子どもが多くなる夏休み明けに向けて、経験者から子どもたちへ前向きなメッセージを届けるのが狙いだ。
https://mainichi.jp/articles/20230519/k00/00m/040/127000c
その「前向きなメッセージ」というのが「学校に行かなくていい」なのだろう。
最近でも、例えば池上彰が「総監修」として名を連ねている『いのちをまもる図鑑』に「学校に行きたくないときは、行かなくてもいい」という主張がある。その該当箇所が『婦人公論』誌に抜粋されている。
https://fujinkoron.jp/articles/-/15028
コメントの中には「選択」という言葉も散見された。「不登校を選ぶのは簡単じゃない」という意味のコメントである。親子共々、たいへんな思いをして不登校を選んだ。これは東京シューレを発信源とした一昔前の登校拒否論である。旧不登校新聞社はもとより、この界隈で専門家を名乗る人たちの多くがこの主張を繰り返している。「行かなくていい」という主張はもちろんここに淵源するものだ。それに対して、カツモクさんは「行かない」と「休む」は似て非なる言葉と返した。
なぜ、休む必要があるのか?
端的に言って、コロナが原因というコメントがあった。
グラフを見るとコロナの影響は顕著だとハッキリ出ていますね。それはパンデミックだからなのかパンデミックだから出なくていいよってアドバイスがあったからなのか。(匿名)
このコメントに対するリプライに興味深いものがあった。
自分もこの年代の子供がいるからわかるけど高学年〜中学生の大変な時期にコロナ休校になった世代なのね。親のリモートもあったし家庭の方針でバカ真面目になるべく自粛してた家庭と、気にせず習い事、塾、中受、旅行してた家庭とでは物凄いえぐい格差がついてる。この年代の半年一年って一生取り返せないような差がつく。それは子供達の心に深刻な影響を及ぼしていて、萎える子も、心が折れる子も一定数出るのは当たり前だと思う。学力的にもこの年代は偏差値も底辺とトップで二極化していて中間がいないみたいなんだけど、絶対その影響だと思う。オンライン授業なんてやらない子は全くやらなかったし、寝てても遊んでてもスルー普通の登校ならフォローされてたものがとりこぼされたままずっと来てる。(m…..)
コロナ休校が学力格差を生んだという意見だ。「二極化していて中間がいない」というのが事実であれば、かなり深刻な事態だ。「物凄いえぐい格差」とはリアルな実感である。早ければ数年のうちに、ゆとり世代に続いてコロナ世代の波が押し寄せてくる。
厳しい意見としては次のようなのがある。
彼女は「勝った」。だから彼女の発言、人格、不登校という経歴すら賞賛されるのである。もし彼女の作品が駄作だったらこうやってニュースになる事もない。某将棋棋士だって高校を中退するという一般的には不利な選択をしたが誰も棋士を批判する人はいない。並みの大卒何十人分もの功績をあげたからである。もしその棋士が全く勝てない棋士で、将棋に専念するために高校をやめたいと言ったら「高校の勉強すらやり抜けなかった人が棋士として修業をやり遂げる事は出来ないぞ」と批判されていたかもしれません。(匿名)
「不登校を競うな」というツイートを見た記憶がある。あるフリースクールの運営者の意見である。この方はシューレ系ではないから、どういう意味で言ったか。なかなか意味深なので記憶に残っている。鍵アカだから誰とは言わない。
学校に行かず将棋道場に日参していた拙僧としては、勝ち負けは世の常と諦観している。どうしても勝てなかった印牧君という中学生がいた。彼は制服を来て土日にやってくる。こっちは平服で日参しているのだから、こっちのほうが強そうなものだがそうでもない。どうしても勝てない。居飛車正統派といった感じの手合いで、こっちは寝技好みの持久戦派だから気風が合わないというか苦手なタイプではあるが、それでも負けが込む。その印牧君が是川さんと指すと負けるのだ。是川さんは私が12連勝したことのある矢倉党である。「鬼だ」と言われたことがある。13連勝を逃して口惜しがっていたからだ。相性というものがある。それにしても勝てないのは彼が制服を着ていたからか。
勝負相手は「登校」だ。私が「不登校を競うな」と言うならば、競うべき相手は「登校」だから。「登校」に負けないという意識は今でもある。私が不登校の当事者を演じない理由は登校である不登校の専門家と対等に議論するためだ。
本人の立場からのコメントもいくつかあった。
私は中学不登校でしたが、高校大学に進学し、今はその業界では1番の大きな企業で普通に働いています。不登校児にはいろんなケースがあり、勉強についていけない人、集団行動になじまない人、その学校やクラスの雰囲気に合わない人など様々です。不登校が全て劣等生、不適合者ではありません。(匿名)
私自身不登校でしたが今は普通に正社員として職についています。私は通信教材でしたが、正直今の時代インターネットがあるから、本人にやる気があるなら簡単に家で勉強はできますし、学校に行かなくても学びは補えます。ですが後悔とまでは言いませんが、学校やテーマパークなどで同級生たちとキャッキャ青春したかったなと思っていた頃もありました。今は毎日充実していますよ。不登校のみんなには不登校でもいいから勉強は毎日しておけよって言いたい。(匿名)
どちらも休んでいた期間が定かではない。「不登校」という言葉は外延が広く、増えた、というように一律に扱えるものではない。小学2年生頃から全欠とか、私のように中学校に丸々行っていないとかいう例から、中学3年生の後半に行っていなかった時期があるというような例まで様々である。だからと言って、いろいろ、と言うのではない。進学に支障を来たした例とか教員の職責を問うべき例とか質的に区分した上で問題化しなければ具体的に学校の問題として論じることはできないからだ。上の二つのコメントを紹介したのは、二人とも「勉強」という言葉を使っているから。専門家を自称する人たちは概して「学び」と言っているが、現実に「勉強」を避けては通れない。この二人は勉強することで身を処したのである。
勉強が難しければ職業的なスキルを身に着けるしかない。
私は現在都内でITエンジニアとして働いていますが、14歳の頃は不登校でした。不登校になる原因はいまの環境に適応できないことが多く、自分は同じ中学から誰も行かない高校を選び、新しい友達に恵まれ学校に行けるようになりました。現代社会での生存戦略は二通りあると思っていて、学歴で勝負するか、一芸を身につけることだと思っています。私は高校の時点で学歴では勝負できないことを分かっていたので、プログラミングを習得し、今では同世代の中で年収は高い部類になりました。(匿名)
「同じ中学から誰も行かない高校を選び」というのは貴重な体験談だ。不登校生の高校進学率というような平坦な数字からは見えない現実の出来事である。
最後に、コトバの問題を提起したコメントを置いて結びとする。
昔は登校拒否って言ってましたね。子供時代はネットなんて無かったし今はいい時代になったもんだ(匿名)
不登校って言い方やめませんか?(匿名)
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1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。