【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(72):アルコール飲料とがんリスク:テレビCMは停止、ラベル表示は義務づけよ!(下)

塩原俊彦

「知られざる地政学」連載(72):アルコール飲料とがんリスク:テレビCMは停止、ラベル表示は義務づけよ!(上)はこちら

各国別ラベル表示規制

だが、アルコール飲料でビジネスを営む巨大企業は世界中に存在する。ゆえに、アルコール摂取のリスクについて周知し、ラベル表示を通じてそのリスクを消費者に訴えたり、あるいは、そもそもアルコール飲料の宣伝を禁止したりする動きはそう簡単に進まなかった。

たとえば、カナダの研究グループが2017年にがんに関する警告ラベルの調査しようとしたことがあった。同年のクリスマスを1カ月後に控えたユーコン準州(下図を参照)の政府所有の店舗で、ビール、ワイン、蒸留酒のボトルや缶に色鮮やかなラベルが貼られはじめた。ラベルは、カナダ政府が資金提供した過度の飲酒防止策の研究プロジェクトの成果であり、アルコール摂取の健康リスクを警告するもので、実験として8カ月間貼付される予定だった。「しかし、1カ月も経たないうちに、この実験は中止された」と、「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)は書いている。アルコール業界のロビイ団体数社が、研究調査と政府の参加の合法性の両方に異議を唱えたため、政府はラベルの貼付を中止したのである。

それでも、カナダ北部の2つの管轄区域で準実験的研究を実施し、ラベルが飲酒ガイドラインの認知などに与える影響に関する論文「アルコール飲料のラベルが国民の飲酒ガイドラインに関する認識と知識に与える影響の調査」が2020年に公表された。「強化されたアルコールラベルは注目を集め、国民の飲酒ガイドラインに対する認識と知識を高めるための効果的な集団レベルの戦略となり得る」と結論づけられている。

ユーコン準州

アルコール業界団体がアルコール関連のがんリスクについて顧客に知らせないようにしている実態を明らかにする。 カナダでは、連邦政府が資金提供した容器へのがん警告ラベル導入に関する科学的調査が、業界の干渉により中止された。 業界が調査に異議を唱えたが、法的根拠はなかったことを示す。

さらに、カナダでは、2022年、「アルコール度数が1.1%以上の飲料を販売する者は、その飲料が販売される容器に、所定の形式および方法で、消費者の健康に対するアルコール摂取のリスクを警告するラベルを貼付しなければならない」とする法案が議会に提出された。今後、進展がみられるかもしれない。

韓国とアイルランド

先に紹介した『アルコールと健康に関する世界現状報告2018』では、「回答のあった164カ国のうち、約3分の1にあたる56カ国がアルコールの広告に警告ラベルを義務づけており、それよりやや少ない47カ国がボトルや容器に健康と安全に関する警告ラベルを義務づけていた」と書かれている(112頁)。

さらに、アルコールの広告、および/またはアルコールのボトルや容器に警告ラベルを義務づけている65カ国のうち、「23カ国では警告ラベルのサイズに関する法的要件が定められている」。警告ラベルは、「未成年者の飲酒(41カ国)や飲酒運転(31カ国)に焦点を当てていることが多い」という。警告ラベルの文言をローテーションで変更しているのは、わずか7カ国のみである。

2025年1月3日付のNYTの記事「アルコールががんを引き起こすかもしれないと警告している国は?」によると、韓国のみが肝臓がんに関する警告ラベルを義務づけている。「2016年には、アルコール飲料に一連のラベル表示を義務づけ、その一部に肝臓がんに関する警告を含めることを定めた」のだという。「ただし、メーカーはがんに関する文言を含まない代替ラベルを貼ることもできる」と指摘されている。

もっとも先進的なのはアイルランドである。2026年より、アイルランドで販売されるビール、ワイン、蒸留酒の容器すべてに、「アルコールと致命的な癌には直接的な関連性がある」および「アルコール摂取は肝臓疾患を引き起こす」という内容の赤い大文字のラベル表示が義務付けられるからだ(下のラベルを参照)。「この規則は2023年に法律として署名され、世界がん研究基金によると、飲酒とがんの関連性を国民に周知することを義務づける世界初の国となる」、とNYTは記している。

なお、思い出すべきは、アイルランドがこれまでも他の公衆衛生政策の分野で先進的な役割を果たしてきた事実である。2004年には、バーやレストランを含む屋内職場での喫煙を禁止した世界初の国となった。「この法律が施行されて以来、70カ国以上がこれに追随している」とNYTは書いている。

想定されているアイルランドで義務づけられるラベル
(出所)https://www.bbc.com/news/articles/cj90x3np0zpo?form=MG0AV3

ほかにも、ノルウェーはすでにアルコールを大幅に規制しており、ビールの販売は、平日は午後8時まで、土曜日は午後6時までに制限し、ワイン、蒸留酒、および「強いビール」は国営のアルコール販売店でのみ販売している。「地元のニュースメディアによると、近年、同国ではがんに関する警告を追加する提案を策定中である」、とNYTは報じている。

加えて、NYTはバンコクポスト紙からの引用として、タイでは「アルコール飲料はがんを引き起こす可能性がある」といった生々しい画像や文字による警告表示をアルコール製品に義務づける規制の策定に取り組んでいると記している。

日本

それでは日本はどうか。そもそも、最初に紹介したマーシー医務総監の話を知る日本人はほとんどいないのではないか。テレビ局にとってスポンサー契約の大幅減少につながりかねない話は報道に値しない。本当は、人間の生命にかかわる大問題であるにもかかわらず、無視することでお茶を濁す。それが日本のマスメディアの特徴だ。「人間の安全保障」に直結する問題さえ報道しない日本のマスメディアに、国民は怒るべきだろう。とくに、NHKの報道ぶりは万死に値する。

日本の場合、アルコール飲料のラベル表示や広告については、「酒類の広告・宣伝及び酒類容器の表示に関する自主基準」なるものがある。法律ではなく、酒類業中央団体連絡協議会の9団体(日本酒造組合中央会、日本蒸留酒酒造組合、 ビール酒造組合、日本洋酒酒造組合、全国卸売酒販組合中央会、全国小売酒販組合 中央会、日本ワイナリー協会、日本洋酒輸入協会、全国地ビール醸造者協議会)で構成される「飲酒に関する連絡協議会」が1988年12月9日に制定を開始したものだ。その後、何度も改訂され、2016年7月が最終改正で、2019年7月1日から施行されている(こちらからダウンロード可)。

法律で規制するのではなく、酒類事業者が決めた「自主規制」にすぎないため、その規制は決して厳しいものではない。はっきり言えば、まったく緩い。ラベル表示については、妊産婦への警告はあるものの、酒類の消費と健康に関する注意表示の文言については、「飲みすぎに注意」、「お酒は適量を」とされているだけだ。先に紹介したWHOの「リスクは最初の1滴からはじまる」という警句からみると、消費者の健康や生命をまったく無視しているようにみえる。消費者庁はもちろん、厚生労働省の怠慢をなぜ政治家やマスメディアは追求しないのか。「人間の安全保障」より「国家の安全保障」のほうが大事だとでも思っているのだろうか。

ここで紹介したアイルランドによるラベル表示義務にまで到達するには、何年かかるかまったくわからない。それほど、日本の自主基準は、消費者のリスクを顧みることなく制定されているにすぎない。わかりやすくいえば、酒類業者と酒類産業の所管官庁(国税庁)などが「結託」、ないし「癒着」して、健康という「人間の安全保障」の根幹を軽視しながら、業界寄りの規制がまかり通ってきたと言える。そして、こうした癒着をマスメディアは追及しようとせず、学者もまた目を瞑ってきた。もちろん、例によって、不勉強な政治家は何もしないまま放置してきたのである。

広告のひどさ

この人間軽視は、テレビCMを取り上げれば、すぐに理解できる。先の「自主基準」では、「テレビ広告を行わない時間帯」として、「5時00分から18時00分まで」とされている。しかし、「ただし、企業広告(企業の経営理念、社会貢献への取り組み等をアピールし、当該企業に対するイメージ向上を目的とする広告をいう。)及びマナー広告(飲酒に関する注意喚起[20歳未満の者の飲酒、飲酒運転、妊産婦の飲酒、容器リサイクル、適正飲酒等]、その他公共福祉全般に関する啓発を目的とする広告をいう)は除く。なお、酒類の商品の表示、飲酒シーン(注ぐ・嗅ぐ等の描写を含む)は、禁止とする」という、抜け穴がある。

なお、世界的にみても、広告規制はもはや常識である。何度か紹介した『アルコールと健康に関する世界現状報告2018』には、メディアの種類別に見たビール広告の規制の普及状況が示されている(下図を参照)。2016年には、123カ国がアルコール飲料のマーケティング規制について、すべてのメディアと飲料の種類について報告した。これらの国々の中で、51カ国(41%)はすべてのメディアの種類について全面禁止とし、35カ国(28%)はどのメディアの種類についても規制を設けていなかった。すべてのメディアの種類について規制を設けていないと報告した国のほとんどは、アフリカ(回答国17カ国)またはアメリカ地域(回答国11カ国)に位置していた。

図 ビール広告のメディア媒体別規制(禁止、部分的禁止など)割合(2016年)
(出所)Global status report on alcohol and health 2018, WHO, 2018, p. 106.

日本にもどろう。たとえば、箱根駅伝の主要スポンサーはサッポロビールだが、そのオリジナルCMをみると、ビールが飲みたくなるようにつくられているように思われる。日本テレビや読売新聞がいかに人命を軽視し、利益だけを優先しているかがよくわかる。「人間の安全保障」を最優先するのであれば、サッポロビールを箱根駅伝のスポンサーにすることを断固として拒否するくらいの高い矜持が必要なのだ。

もっとも看過できないのは、違反してもまったく罰則がないことである。「当面は、消費者等からの自主基準の運用の実体等に関し問題提起があった場合には、随時協議会を開催し問題の是正に努めることとする」と規定されているだけだ。

2022年10月、英語論文「日本の無料放送テレビネットワークにおけるアルコールおよびアルコール風味のノンアルコール飲料広告のパターン」が公表された。日本語で書くと、さまざまな軋轢を生みそうな内容が書かれた論文だ。2019年8月12日から11月3日の間に放送された、首都圏の無料テレビ局5局の広告放送時間データの二次分析を行ったのである。その結果、調査期間中、アルコール飲料およびアルコール風味ノンアルコール飲料(AFNAB)の広告が5215件(1451.75分)放送された。業界ガイドラインでは、AFNABはアルコール飲料とみなされているが、AFNABの広告の約30%はアルコール飲料の広告が制限されている時間帯に放映されていたという。

結論として、「青少年がテレビを視聴する時間帯に放映されるアルコール飲料の広告数は、その他の時間帯の2~3.2倍」に達していると指摘したうえで、「子供や青少年がアルコール飲料の広告にさらされないようにするための他の方法が調査され、実施されるべきである」としている。慎重な言い回しだが、私に言わせれば、健康を害し、がんを誘発するかもしれないアルコール飲料の宣伝はまったく許しがたい。

飲酒場面が多すぎるテレビ

こうしてみてくると、日本の現状はひどすぎる。正月のテレビをみていると、番組内で飲酒している姿を流す放送がたくさんある。かつてあった喫煙のシーンがいまではほとんどみられないことを想うと、隔世の感がある。加えて、「呑み鉄」の番組にみられるように、鉄道内で飲酒する姿を公共放送が流しているのをみると、NHKに受信料を支払う理由がまったく理解できなくなる。

喫煙から禁煙の時代的変化を考えると、やがて飲酒から禁酒へと時代も変化するだろう。しかし、そのためには、国民一人ひとりの「意識の高さ」が課題となる。あるいは、酒類事業者、広告代理店、テレビ局、国税庁、政治家といった連中の癒着関係をどう断ち切るかという問題に直面する。

「人間の安全保障」さえ守れない国であるのなら、何が軍事的安全保障なのか。本当にやりきれない日本のひどさに気づいてほしい。

最後に、書いておきたいことがある。私はいまでも、喫煙も飲酒も嗜む。ゆえに、アルコール飲料への手厳しい指摘は、天に唾するようなものかもしれない。それでも、「人間の安全保障」は基本的人権の一つだから、こんな私でも尊重せざるをえない。どうか、日本人である前に、人間としての最低限の権利を守るために、ここで提起した問題くらい、早急に解決してほしい。民主主義国家というのなら、それくらいのことはできるだろう。

【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)のリンクはこちら

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

☆ISF主催公開シンポジウム:トランプ政権と東アジアの危機回避 ~米中対立の行方~

☆ISF主催トーク茶話会:真田信秋さんを囲んでのトーク茶話会のご案内

☆ISF主催トーク茶話会:船瀬俊介さんを囲んでのトーク茶話会のご案内

☆ISF主催トーク茶話会:大西広さんを囲んでのトーク茶話会のご案内

 

★ISF(独立言論フォーラム)「市民記者」募集のお知らせ:来たれ!真実探究&戦争廃絶の志のある仲間たち

※ISF会員登録およびご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
ISF会員登録のご案内

「独立言論フォーラム(ISF)ご支援のお願い」

塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ