40年前に今のEUを予見していた顧客の言葉
社会・経済国際※この記事は「SouthernCross(サザンクロス)〜現地採用から起業した海外生活者の異文化雑記~」
https://note.com/southern_x777/n/n8ac5854b0f65
日本の大学で経済学を学び、就職した先は外資系銀行でした。短期間、資金部に在籍し、その後、証券子会社に移籍しました。欧州の銀行でしたので本店はユニバーサルバンキングと称して証券業務も銀行で取り扱うのですが、日本では法令上、別法人となるのです。ここでは外国債券の機関投資家向け営業を担当しました。
その後、小規模の北欧の政府系銀行の東京駐在員事務所に勤務しました。規模は最初に入社した会社より小さかったのですが、実はこの駐在員事務所時代が一番勉強になりました。駐在員事務所ですから営業そのものはできない立場です。でも、その分、日本経済、アジア経済について調査し、レポートを本店アナリスト宛に送るのが仕事でしたから毎日が勉強でした。上司に死ぬほどダメ出しを喰らいましたが、英語でレポートを書く力も鍛えられました。この業界で長く仕事をするなら、為替ディーラーやセールスよりも、マクロ経済アナリストが一番向いているという思いも抱いていました。
本店から派遣された所長と共に機関投資家を多数訪問し、意見交換する場に同席できました。日本国内だけでなく、マニラのアジア開発銀行やMAS(シンガポール中金融庁)などにも上司の鞄持ちで出張しました。20代の自分を毎年本店やロンドンに研修に送ってくれたのもこの銀行でした。政府系銀行ということもあり、当時の本店同僚は今では金融庁やEU金融関連部門の上層部で活躍しています。何年か前、パリに旅行した際に再会して以来、私の情報源として役に立ってくれています。
私は20代の駆け出しでしたが、顧客の機関投資家の方々からは多くのことを学ばせていただきました。インターネットがない時代でしたから、限られた情報から仮説を立てそれを検証するを繰り返すことで勘と論理的思考力を鍛えることができました。その当時、今でも忘れられない見識と示唆に富む話をしてくださった顧客がいたのでご紹介します。
彼は40年近く前、今のEUを予見していたのです。
【X過去記事】2025年1月10日投稿
20代で外銀に勤務していた頃、当時の郵政省簡保が顧客だった。時はマーストリヒト条約(1993年11月1日に発効した欧州連合(EU)の創設条約。オランダのマーストリヒトで開催された欧州共同体(EC)の首脳会議で合意され、1992年2月に調印)の直後。
簡保のファンドマネジャーだったその方が言ったことは未だに忘れない。
「僕は欧州の共通通貨など信じない。通貨はその国の経済だけでなく辿ってきた歴史の象徴でもある。経済格差という実態も飲み込んでひとつの通貨にできるわけがない。多分、共通通貨(後のユーロ)は生まれ、それを軸に欧州はむりやりひとつになろうとするだろう。だが、いずれそれは各国の独自性を無視した巨大権力となり、本来の目的から逸脱し、加盟国はその権力の犠牲になり、最後は脱退が相次いで形骸化または崩壊するだろう」。
お名前も忘れたし、とっくに定年を迎えているとは思うが、あの時点で今を予見していた見識の高さには敬服する。 それを聞いていた当時の私は、ソ連崩壊により東西冷戦が終了し、米国の独り勝ちによる暴走を阻止するために欧州は結束をしたと見ていたのでEUの創設には前向きだったのだが、この言葉はずっと心に引っかかっていた。
そしてそれは、英国ナイジェル・フラージ氏が欧州議会でブレグジット宣言をした時、決定的な確信となった。 BRICSはこの歴史を学んでいるので、同じ轍は踏まないと私は見ている。
巨大連合は結局は大国同士のエゴのぶつかり合いになり、大国の政治信条が加盟国全てに押し付けられる。この発想がそもそもグローバリズムだ。グローバリズムを基盤とした国家運営が失敗に終わっているのは、昨今の事例を見れば明らかである。
そしてもうひとつ大切なこと。反グローバリズムは鎖国に象徴されるような孤立主義ではないということ。自国の文化、特徴、そして利益(国益)を優先しつつも、諸外国との連携を図る。高度な外交手腕に裏付けられた真の先進国を日本は目指さなければならない。
昨今、盲目的愛国主義が蔓延り、ニッポンすごいすごいと唱える一部の日本人には、この国粋主義に陥り、他国の成功例に関心を示さず、自ら学びの機会を喪失している人達がいることを憂慮している。
1996年に現地採用者として単身シンガポールへ。シンガポール資本の会社2社で働き、2002年に永住権を取得。その後、シンガポール企業の日本駐在員として3年半勤務。任期終了後シンガポールに戻り2008年に起業。現在、自分自身のシンガポールの会社の代表を務めると共に、マレーシア企業での役員も務める。2023年にはシンガポールから橋一つ渡ったところにあるマレーシア・ジョホール州の経済特区イスカンダルプテリに在住する。シンガポール、マレーシアの二拠点生活をしています。