【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(77):ゼレンスキー大統領の身勝手な決断による東欧諸国の政情不安(上)

塩原俊彦

 

ロシアの国営総合エネルギー企業、ガスプロムは、5年間の協定が1月1日に失効したことを受け、ウクライナのパイプライン(PL)を通じたヨーロッパへのガス輸送の停止を発表した。ガスプロムの発表によると、2025年1月1日午前8時(MSC)、2019年12月30日に調印された文書(ガスプロムとウクライナ国営のナフトガスとの間で締結された、ウクライナを経由するロシアのガス輸送[年2250億㎥のガスが輸送または支払われることになっており、2020年には650億㎥、2021~2024年までは毎年400億㎥]の手配に関する協定と、ロシアとウクライナのガス輸送サービス事業者[ガスプロムとウクライナのガス輸送システム運営会社LLC]間の相互作用に関する協定)の有効性が終了したのである。その発表文には、「ウクライナ側がこれらの協定の延長を繰り返し明確に拒否したため、ガスプロムは2025年1月1日からウクライナ経由のガス供給の技術的・法的可能性を奪われた」と書かれている。「 モスクワ時間8時以降、ロシアのガスはウクライナ経由では供給されていない」と記されている。

これに対して、ウクライナのエネルギー省公式チャンネルは、「午前7時、国家安全保障の観点から、ウクライナ領内を通過するロシアの天然ガスの輸送が停止された」と説明している。そのうえで、「ロシアは市場を失い、経済的損失を被るだろう。ヨーロッパはすでにロシアのガスを拒否する決定を下している。 そして、欧州のイニシアチブであるRepowerEUは、ウクライナが今日行ったこととまったく同じことを想定している」とのゲルマン・ガルシェンコエネルギー相の発言が紹介されている。

わかってほしいのは、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、せっかくウクライナ戦争中であっても操業してきたPLを、契約終了を理由にあえて延長しなかったということである。なぜ彼はこんな選択をしたのか。この問題を解くなかで、ウクライナ周辺の東欧諸国を取り巻く地政学上の問題について論じてみたい。

基礎知識

いつものように、基礎知識を知ってほしい。ここでは、もっとも信頼できる参考資料として、オックスフォード・エネルギー研究所のカーチャ・ヤフィマヴァ著「ウクライナを通過するロシア産ガス:2025年以降の継続条件」(2024年12月刊行)を使い、その他の多数の論文などを駆使しながら、分析を行うものとする。

下図に示したように、ロシアからウクライナを経由してポーランド、スロバキア、モルドバなどに輸送するためのガスPLが複数存在する。それを各国別にどのようなルートをたどってガス輸送されているか、および、2025年以降、ロシア産ガスのウクライナ経由での欧州への供給が停止された場合、どうなるかを詳細に示したのが「表 欧州へのロシア産ガス輸入ルート(ウクライナ回廊とトルコストリーム)および代替供給ルート」である。この図と表をセットで考察すれば、おおよそのガス輸送ルートにかかわる全体像が理解できるだろう(地図の地名が小さくてわかりにくいが、それは参考文献そのものの記述のためであり、ご容赦願いたい)。

2024年末の状況では、ロシア産ガスは、いくつかのEU加盟国と非EUバルカン諸国がウクライナ回廊とトルコストリーム(黒海海底に敷設されたPL)の二つのルートを通じてのみ輸入していた。ウクライナ回廊には、ロシア産ガスがEUに流入する四つの相互接続点(IP)があり、ポーランド(Drozdovichi)、スロバキア(Veľké Kapušany)、ハンガリー(Bereg)、ルーマニア(Isaccea)と、モルドバへの流入を可能にするいくつかの小さなIPがある(下図を参照)。ハンガリーのBeregとルーマニアのIsaccea経由の輸入が停止したため、2023年現在、スロバキアのVeľké Kapušany(下図の○66の北にある緑色の丸)は、ウクライナ経由でEUにロシア産ガスを輸入するための事実上唯一のIPとなっていた。ガスプロムは2022年4月にポーランドのPGNiGとの契約に基づくポーランドへのガス供給を削減したが、これはPGNiGが新たな「ルーブルのためのガス」手続きに基づく支払いを拒否したためである。


図 EU、ウクライナ、モルドバへのロシア・パイプライン・ガスの流入地点
(出所)Katja Yafimava, Transit of Russian gas across Ukraine: conditions for post-2024 continuation, Oxford Institute for Energy Studies, 2024, p. 5.

2023年と2024年には、ガスプロム・エクスポルトと長期供給契約(LTSC)を結んでいるEU加盟国(スロバキア、オーストリア[スロバキア経由]、ハンガリー[スロバキア、オーストリア経由]、イタリア[スロバキア、オーストリア経由]、チェコ[スロバキア経由])が、ウクライナ経由でロシアのガス輸入を受けていた。ハンガリーのMVMは、ガスプロム・エクスポルトと年45億㎥の15年間の長期契約を結んでおり、2021年に調印された。大半はトルコストリーム経由で輸送されるが、ノルドストリーム(ドイツ、チェコ、スロバキア、オーストリアを横断し、オーストリアとハンガリーの国境に到着する)経由で輸送されるものもあった。ノルドストリームは2022年9月26日におそらく米軍によって爆破され(この問題は拙著『ウクライナ戦争をどうみるか』や『知られざる地政学』などに詳述した)、稼動不能となったため、この量はウクライナ、スロバキア、オーストリアを経由し、オーストリアとハンガリーの国境に到着した。

ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどの事情

注目すべきは、2023年7月以降、オーストリア経由のハンガリーの輸入は大幅に減少しており、2023年9月以降はほぼゼロにまで落ち込んでいた点だ。ハンガリーは、ロシアからのガスの輸入のほぼすべてをトルコストリーム経由で受け取っている。スロベニアのGeoplinは、それまではウクライナ経由(スロバキアとオーストリアを通過)でロシア産ガスを輸入していたが、2022年末にガスプロム・エクスポルトとの長期契約(2028年に期限切れとなる予定だった)を終了し、2023年には配送が停止された。

前述したように、ハンガリーは長期契約に基づいて、トルコストリームを通じてロシアからガスを輸入していた(2023年9月現在、ハンガリーは、ウクライナ経由[スロバキアとオーストリアを通過]の流入量はほぼゼロにまで落ち込み、ハンガリー・セルビア国境で、トルコストリーム経由でロシアからの輸入ガスのほぼすべてを受け取っている)。同じく、ギリシャもブルガリア経由で輸入していた。ルーマニアは、ガスプロムの子会社であるWIEEルーマニアとの供給契約に基づき、トルコストリーム(ブルガリア経由)を通じてロシア産の天然ガスを輸入していたが、2022年5月にロシア政府がWIEEルーマニアに制裁を課したため、これらの供給は停止された。

ブルガリアも、ブルガリアガスがガスプロム・エクスポルトと結んだブルガルガス契約に基づき、トルコストリームを通じてロシア産ガスを受け取っていた。だが、ブルガルガスが「ルーブルと引き換えのガス」という新たな手続きに従って支払いを拒否したため、2022年4月に供給が打ち切られた。契約は2022年末に失効した。クロアチアのPPDは、2021年末時点で、ガスプロムとの供給契約(2027年まで有効)に基づき、トルコストリームを通じてロシア産ガスを受け取っていたが、2024年には流入はなかった。トルコストリームは、ブルガリア経由でセルビア、ブルガリアとセルビア経由でボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア経由で北マケドニアなど、EU非加盟の欧州諸国へのロシア産ガスの輸出にも利用されている(上の表を参照)。

モルドバについては、やや詳しい説明が必要だ。2021年秋まで、モルドバはガスプロムとの契約に基づき、ロシアのガスだけを輸入していた。2021年10月、モルドバとルーマニアのガス輸送システム(GTS)を結ぶ「イアシ・ウンゲニ・チシナウ」ガスPLの建設が完了した。これにより、ルーマニアからモルドバへの年間最大22億㎥のガス輸入が可能となった。モルドバ政府は、この量でモルドバ(沿ドニエストルを含む)の暖房シーズンの需要の約60%、それ以外の季節は75%をカバーできると推定していた。ガスPLの開始後、モルドバはヨーロッパのトレーダーから代替のガスを購入するようになった。同時に、モルドバは自前のガス貯蔵施設を持たないため、購入したガスはルーマニアやウクライナの地下ガス貯蔵所に貯蔵されている。

2022年10月、モルドバ国営のエネルゴコムとブルガリアのブルガルトランスガズは、ブルガリアのGTSを利用したガス輸送の契約を締結した。この契約により、モルドバはギリシャとトルコのターミナルでLNGにアクセスできるようになった。他方で、2021年10月、モルドバガス(株式の50%はガスプロム、35.33%はモルドバ経済省、13.44%は沿ドニエストル国家財産管理委員会が所有)はガスプロムとのガス供給契約を5年間延長することに合意した。ところが、モルドバはガスプロムから安価で買い入れたガスをウクライナに転売して利益を得るなどしたため、2022年11月、ガスプロムはモルドバへのガス供給を停止する構えを見せるなど、2社の関係は悪化した(「コメルサント」を参照)。

一方、モルドバの沿ドニエストル地域は、ウクライナ経由で輸送されるロシアのガスに完全に依存している。このガスは、沿ドニエストルにあるMGRES発電所にも供給されており、モルドバは電力需要のほとんどをこの発電所に依存している。そのため、沿ドニエストルのガス需要を補うために、モルドバが代替供給源を確保することは極めて重要である(この問題は後述する)。

「知られざる地政学」連載(77):ゼレンスキー大統領の身勝手な決断による東欧諸国の政情不安(下)に続く

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。『帝国主義ロシアの野望』によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞(ほかにも、『ウクライナ3.0』などの一連の作品が高く評価されている)。 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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