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登校拒否新聞13号:社説
社会・経済読売新聞の社説を読んでみよう。
まずは、2023年11月4日付「夜間中学 「学ぶ権利」を享受できる場に」である。
様々な事情で義務教育を受けられなかった人を対象にした夜間中学の重要性が増している。誰もが最低限の学ぶ権利を享受できる場としたい。夜間中学は元々、戦後の混乱期に生活苦で小中学校に通えず、卒業できなかった人が義務教育を受けられるよう設置された。かつては高齢者の生徒が多かったが、現在は母国や日本で義務教育を受けられなかった外国籍の人が7割近くを占める。日本人も、不登校などでほとんど通学しないまま中学校を形式的に卒業した人が、学び直す例が増えている。
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20231103-OYT1T50176/?ref=yahoo
この3日後、7日付の社説は「不登校最多 フリースクールと連携強化を」と題している。結論から言えば、この内容は先の社説とかなり違う。別の人が書いたと考えれば当然のことだが、やはり同じ新聞社の社説である。矛盾するようなことが書いてあればおかしい。少し長いので間を省略しながら引用する。
不登校の子どもが増え続けている。学校とフリースクールの間で連携を深め、学校に来ない子どもたちも孤立することなく個性を伸ばせるよう、教育環境を整えるべきだ。・・・2017年施行の教育機会確保法で学校以外での多様な学びが認められ、無理に学校に行かなくてもいいという認識が社会に浸透したことが背景にあるのだろう。ここ数年は、コロナ禍で生活のリズムが崩れ、学校を休みがちになる子どもも多かった。・・・不登校の子どもの受け皿は、NPO法人や民間事業者が運営するフリースクールなどが担っている。自然体験や共同生活を重視するタイプがある一方、基礎的な学習やプログラミング、芸術分野などを学べるスクールもある。ただ、こうしたフリースクールは学校教育法が定める公的な学校ではない。不登校であっても、子どもたちはそれぞれどこかの小学校や中学校に在籍している。各学校や教育委員会は、不登校の子どもがきちんと学べているかどうか、目配りする責任がある。フリースクール任せにせず、しっかりと連携することが重要だ。学校側は、不登校の子どもの様子や学習状況をフリースクールから聞き取り、学校に通えるようであれば、いつでも戻れるように準備しておいてほしい。不登校の子ども向けに、自由に出入りできる居場所を校内に設けている学校もある。こうした例も参考になるのではないか。滋賀県東近江市長が先月「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」と述べ、「深刻な誤解と偏見だ」と批判を浴びた。市長はその後、謝罪しており、不適切な発言だったことは間違いない。ただ、不登校問題の背景や義務教育のあり方について考える契機になった面もある。不登校の増加は、画一的な義務教育に対する拒否反応という一面もあるのではないか。学校以外での学びをどう保障するか、十分に議論すべき時期に来ている。
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20231106-OYT1T50204/?ref=yahoo
最後に「画一的な義務教育に対する拒否反応」とあるのはおもしろい。なぜなら、これが登校拒否という言葉の意味だからだ。しかし全体として「学校以外での学び」という教育機会確保法が進めたような方針に貫かれている。「連携」というのは業界用語だ。学校はフリースクール、居場所と連携して事を進めよ、という訓示である。
では、「不登校などでほとんど通学しないまま中学校を形式的に卒業した人が、学び直す例が増えている」とした先の社説はどうなのか?
矛盾しているのだ。「学校以外での学び」が求められる一方で、「形式的に卒業した人」――つまり読み書き計算に不足を残した人が夜間中学校で「学び直す」という。同じ「学び」でも、この二つの言葉の意味は違う。就学年齢の間は学校外での「多様な学び」が求められ、しかし基礎学力に不足があれば修学年限を超過しても夜間中学での「学び直し」が求められる。もしも就学年齢期にフリースクール、居場所などで「学び」をしていた子が卒業後に夜間中学で「学び直し」をしているのであればおかしな話だ。
つまり、この二つの社説を合わせたところに「不登校」という問題がある。この二つの「学び」問題についてはアマゾンで売っている『スクール・マイノリティのゆくえ:戦後教育秘史』という小さな本に書いたので参照して欲しい。
昨年、11月14日付で発表された社説「不登校最多 低年齢化と長期化が心配だ」は、あまり主張らしいものがないから紹介はしない。結局、どれも似たり寄ったりな論になる理由は上に述べたような矛盾が前提にあるからだ。事柄を統一した視点で見る目を持っていないのである。とはいえ、社説である。新聞社の頭脳であるから何か読むべきことも書いてあるはずだ。登校拒否新聞としても注目すべき一節が先の社説にはある。滋賀県東近江市長が「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」と発言した。そのことが「不登校問題の背景や義務教育のあり方について考える契機になった面もある」という一節である。
東近江市長というのは小椋正清氏のことだ。
せっかくだから読売新聞で調べてみよう。「滋賀・東近江市長が不登校対策の会合で持論」とあるのが初報で、2023年10月18日付。
子どもの不登校対策について滋賀県内の首長が協議した17日の会合で、同県東近江市の小椋正清市長(72)が「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」などと発言していたことがわかった。会合で小椋市長は「大半の善良な市民は、嫌がる子どもを無理にでも学校に通わせて義務教育を受けさせている」と持論を展開した。さらに「ごく少数の人に焦点を当て、(行政が財政的に)フリースクールの負担をみなさいというと、そちらに行きたいという雪崩現象が起きる。あくまで個人の意見だが、なんで子どものわがままを認めるようなことをする」と述べた。小椋市長は同県警の元警察官で現在3期目。市長の発言に対し、18日午前10時頃までに市役所などに10件近い電話やメールがあり、大半が批判的な内容という。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20231018-OYT1T50124/
24日付の続報は「発言に批判拡大、市長は撤回せず」と報じる。
批判を受け、小椋市長は翌18日に報道各社の取材に応じた。しかし、発言は撤回せず「議論が不十分なまま、フリースクールを支援することに警鐘を鳴らしたかった」と述べた。・・・市長は24日、東近江市議会の全員協議会に出席し「困っている子どもや保護者にダメージを与えてしまい、申し訳ないことをした。わびるべきだと思っている」と謝罪した。発言後、公の場で謝罪するのは初めて。小椋市長は「軽率な発言があったことは認める」とし「フリースクールの存在が悪いとか、行かせている親や子どもが悪いとかは一言も言っていない。言葉足らずだった」と釈明した。その後、報道陣の取材に「発言の撤回ではない。(関係団体と)対話はする」と話した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20231024-OYT1T50141/
25日には市長の定例記者会見があったらしい。同日付の配信は「小椋市長は二つの発言を不適切だったとした一方、発言全体については「フリースクールの制度設計をしないまま自治体に支援を呼びかける文部科学省に対する批判だった。フリースクールが義務教育の枠組みを侵食する危惧がある」として、撤回しない考えを強調した」と報じる。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20231025-OYT1T50243/
初報にあるように、市長は「ごく少数の人に焦点を当て」と発言している。この「ごく少数の人」というのはフリースクールの利用者を指しているのだろう。そこに財政投与をすれば「そちらに行きたいという雪崩現象が起きる」ということだ。
登校拒否新聞の社説としては、この点について市長の理解を質したいのである。つまり、学校に通ってない「ごく少数の人」の中でフリースクールに通っているのはさらに「ごく少数の人」なのだ。私のように将棋道場に日参などというのはごくごく少数としても、塾や習い事は通っているという子も多い。そして、どこにも通ってない子もいる。そうした中で、フリースクールに支援することが「ごく少数の人に焦点を当て」という意味であれば健全な議論として通る。
今年に入り、2月2日付で読売新聞は「滋賀・東近江市長選、現職・小椋氏が4選」と報じた。「子どもの居場所の確保や保護者の仕事復帰を促進する」と主張した前市議の桜直美氏は次点で敗れた。
https://www.yomiuri.co.jp/local/shiga/news/20250202-OYTNT50191/
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1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。