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「知られざる地政学」連載(79):腐敗をめぐる地政学(上)
国際
いま、私はドナルド・トランプ大統領の一連の政策を解説するための原稿を書いている。さまざまな「気づき」を私たちに教えてくれるという、いわば前向きに評価した内容になる。おそらく5月までには社会評論社から刊行されるだろう。
こう書くと、私がトランプを評価していると思われるかもしれない。もちろん、評価はしているのだが、やや唖然とすることもやっている。そこで、日本ではほとんど報道されていない政策について、今回は取り上げることにしたい。それは、「腐敗」をめぐる政策である。
大統領令14209号
トランプは、2025年2月10日、「米国の経済および国家安全保障のさらなる発展のために外国腐敗行為防止法(FCPA)の執行を一時停止する」という大統領令14209号に署名した。このFCPAは1977年に制定されたものだが、この法律を理解するためには、長い反腐敗政策の歴史を知らなければならない。
私は、数量化が困難な権力にかかわる問題のほかに、腐敗についても長く研究対象としてきた。Anti-Corruption Policiesという英語の本のほかに、本当は「腐敗の世界史」を論じた『官僚の世界史』まで刊行したことがある。あるいは、学生や一般人向けの書物として、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社、2016年)や『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮新書、2018年)がある。
今回、この連載のために再読してみたが、なかなかいいことが書かれているので、とくに若者に推奨しておきたい。
反腐敗政策の歴史
本当は、腐敗にはいろいろある。歴史的にみると、地域や時代によって腐敗に対する見方も、規制もさまざまな変遷をたどってきた。それを論じたのが拙著『官僚の世界史』ということになる。前回の連載で、藤原帰一のような人物をエピゴーネンと批判したが、そんな批判をするだけの資格があると自負しているのは、この本を書くために、中国やイスラム世界を含めて、さまざまな国の歴史や文化について研究したからだった。そう、日本画家が西洋画と日本画の融合に向けて苦悶したように、私もこの頃、西洋と東洋の思想をめぐって悪戦苦闘していたのである。だからこそ、西洋一辺倒の模倣家をみると、ついつい、エピゴーネンと罵声を浴びせたくなってしまう。まあ、私の「悪い癖」だが、批判しないと、何も気づかずに肩書に屈服してしまう人ばかりだから、あえて声を大にして批判しているわけだ。
元に戻ろう。近年における反腐敗政策の変遷を簡単に概観してみよう。反腐敗闘争の国際化は、先のFCPAにはじまると言ってよい。米国が主導したことで、反腐敗の動きが一気に世界に広がったのである。それは、外国公務員への贈賄禁止などを規定した法律であった。これは、1970年の威力脅迫および腐敗組織に関する連邦法にみられるように、麻薬関連の組織犯罪への厳しい規制という風潮を背景に、さらに、国家を超えて活動するようになった「超国家企業」が傍若無人に振る舞うことが米国を代表とする先進国の国家主権を侵害しかねないという基本認識が広がっていたことを背景に立法化されたものである。
たとえば米国系企業の国際電信電話会社(ITT)は、1970年チリ大統領選挙において、左派候補で重要産業の国営化の推進をめざしたサルバドール・アジェンデの落選工作を行ったとされている。大統領就任後、ITT系企業は国営化されたが、1973年9月、アジエンデは軍事クーデターで自殺に追い込まれる。これ自体は直接、米国の国家主権と関係はない
だが米ソ冷戦下で、多国籍企業が多くの国々で巻き起こした現地政府との癒着や不正がそうした国の左傾化を促し、それが米国の脅威となっているとの認識が広まった。1976年、米上院の多国籍企業小委員会で発覚したロッキード・スキャンダルも、同社の日本、オランダ、ベルギー、イタリアなどへの航空機売り込みに絡む事件であり、まさに超国家企業が各国の政府を巻き込んで各国の政治に干渉していたのだ。超国家企業の身勝手な振る舞いが米ソ対立の挟間で米国政府の利害に反することになりかねない状況をもたらしていたことになる。だからこそ多国籍企業の振舞いを規制する手段として腐敗防止策がとられるようになったのだ。
しかし、FCPAは米国企業だけを規制対象としていたから、米国以外の超国家企業現地政府への贈賄により、利益を確保する工作を継続した。有名なのはフランスの石油会社Elf(2000年からTotalの傘下)がカメルーン、コンゴ、ガボンなどで行った贈賄工作である。その後も1990年代、仏企業トタール(Total)と米企業ユノカル(Unocal)はミャンマーでの石油パイプライン建設に際し、現地政府と協力の上、建設に支障となる少数者カレン人に対して強制移住や強制労働をさせたと言われている。
過酷な取締り
米国の企業だけが外国公務員に収賄できなくなると、米国企業が不利益を被る可能性が高まる。このため、企業がビジネスを獲得するために賄賂や便宜供与などの形での外国公務員への支払いを禁止する条約が国際的に必要になったわけである。それが1997年11月に署名され、1999年2月に発効したOECD外国公務員贈賄防止条約である。米国は、1997年のOECD外国公務員贈賄防止条約を受けて、その内容を反映させるため、早速、1998年にFCPAを改正した。外国の企業や個人が米国にいる間に不正支払いを行う場合も、同法が適用されることになった。
拙著『帝国主義アメリカの野望』(238頁)に書いたように、この改正FCPAにより、外国の企業や個人が米国にいる間に不正支払いを行う場合も、同法が適用されることになったのだ。これは、外国企業がドル建てで契約を結んだり、eメールがアメリカに関連づけられたりしているだけでもFCPAの対象となることを意味していた(とくに、2018年3月に制定されたCLOUD[Clarifying Lawful Overseas Use of Data]法によって、アメリカは同盟国と2国間協定を締結し、深刻な犯罪やテロと闘うことを名目にして、電子証拠がどこにあろうと、その電子証拠に直接アクセスできるようになった)。
実は、これこそ、「新しい武器」を手に入れたようなものだった。実際に、FCPA上の犯罪によって25カ月間服役したフランス人が書いた本、『アメリカン・トラップ』によれば、「国際商取引に不可欠のツールとなったEメールが、アメリカにあるサーバー(グーグル社のGメールやマイクロソフト社のホットメールなど)を経由してやりとりされたり、保存されたりしただけで法を適用する対象なりうるとしたのである」。つまり、「FCPAは、自国の産業を弱体化させうる法律から一変して、外国企業に介入できる、経済戦争を勝ちぬくためのこのうえない手段になったのだ」と言える。
大統領令14209号の中身
それでは、トランプは大統領令14209号で何を命じたのか。その第一項では、「1977年の制定以来、海外腐敗行為防止法(FCPA)は、体系的に、そして徐々に度合いを増しながら、適切な範囲を超えて悪用され、米国の利益を損なうような形で適用されてきた」とされ、「現在のFCPAの施行は、米国の外交政策目標を妨げるもの」と断罪されている。そのうえで、「他国における日常的な商慣行に対して、自国の政府が米国の国民や企業に対して行き過ぎた、かつ予測不可能な FCPA の適用を行うことは、米国の自由を守るために活用できる限られた検察リソースを浪費するだけでなく、米国の経済競争力を積極的に損ない、ひいては国家の安全保障を脅かすことになる」とのべている(注1)。
同大統領令は、司法省に対し、今後180日間、FCPAの執行停止を命じ、司法長官のパム・ボンディが新たな執行ガイドラインを検討し、必要に応じて推奨するまで、検察官にFCPAの案件の提起を控えるよう指示した。なお、ボンディは必要に応じて検討期間を延長することができる。
この命令は、この法律の将来について疑問を投げかけている。FCPAを廃止するわけではないが、ボンディ司法長官がどのような変更を加えるかはいまのところ不明なままだ。また、FCPA違反を執行するもう一つの機関である証券取引委員会(SEC)については書かれていない。
トランプの真意はわからない。それでも、FCPAの見直しが課題とされ、同法の弱体化が懸念されている。というのも、2020年に刊行されたフィリップ・ラッカーとキャロル・D・レオニグによる著書『A Very Stable Genius』に、トランプは、「アメリカ企業が海外でビジネスを得るために賄賂を支払うことが許されないのは、あまりにも不公平だ」とのべ、レックス・ティラーソンに「その法律をなくしてほしい」と言った、と書かれているのだ。それは、2017年春、トランプが大統領執務室で、当時国務長官だったティラーソンや補佐官らとブリーフィングを行ったときの出来事だった(NYTを参照)。
血祭りにあげられた企業
FCPAによって、血祭りにあげられた大企業は多い。たとえば、拙著『帝国主義アメリカの野望』で紹介したように、ピーター・シュワイツァー著Secret Empires: How the American Political Class Hides Corruption and Enriches Family and Friendsには、つぎのような記述がある。
「J.P.モルガンのような一部の金融会社は、取引を開始するために、中国政府高官の子弟を雇うことを習慣化しはじめた。彼らは政府高官の子供であるため、「プリンセリング」(Princeling)と呼ばれることもある。J.P.モルガンは最終的に、「プリンセリング」慣行に関与したとして、米国当局から海外腐敗行為防止法(FCPA)違反で訴えられた。」
FCPAは、アメリカ企業が外国公務員の子弟を雇用したり、特別な取引をしたりすることを禁じている。J.P.モルガンのような姑息なビジネスが横行してきたからこそ、こうした「汚い」戦略が「腐敗」とみなされるようになったわけである。
あるいは、2020年10月、ゴールドマン・サックスのアジア子会社がマレーシア政府系ファンドからの数十億ドルの略奪にかかわったとされる海外汚職・贈収賄事件を解決するため、ゴールドマン・サックスは米国で有罪を認めることになった(NYTを参照)。20億ドル以上の罰金支払いに応じることにしたのである。
こうした過去の経緯から、米企業のなかにも、FCPAの緩和や廃止を求める声がある。いずれにしても、今後、FCPAがどう見直されるかによって、世界中の反腐敗政策に影響をおよぼすことになるのは確実だろう。
「知られざる地政学」連載(79):腐敗をめぐる地政学(下)に続く
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。『帝国主義ロシアの野望』によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞(ほかにも、『ウクライナ3.0』などの一連の作品が高く評価されている)。 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。