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☆寺島メソッド翻訳NEWS(2025年2月27日):NATOの起源はナチス
国際※元岐阜大学教授寺島隆吉先生による記号づけ英語教育法に則って開発された翻訳技術。大手メディアに載らない海外記事を翻訳し、紹介します。
資本家階級の歴史家による説明では、NATO の誕生は、いわゆるソ連の脅威を封じ込めるために北大西洋の防衛組織が必要であるという認識の結果である、という説がよく用いられる。ただし、資本家階級の歴史家らが言及していないのは、西欧と米国の間の反共産主義軍事同盟という考えがドイツ政治の主要人物によって非常に強く支持されていたため、NATOはこの人物の発案によるものだと言われることがある、という事実だ。この人物とは、SS(ナチス親衛隊)の指導者として、またナチス・ホロコーストの主たる立案者の1人として有名なハインリヒ・ヒムラーのことである。
第二次世界大戦の中心は東側にあった。そこでヒトラーは、西側の主要資本家たちの資金援助を得て、1917年以降14の資本主義国が根絶できなかったもの、つまり現存する社会主義を破壊する、と誓った。1943年のスターリングラード攻防戦の頃から、この戦争が失敗したことがヒムラーに明らかになると、彼は西側諸国に秘密裏に働きかけ、ナチスや日本のファシストが単独ではできなかったことを西側諸国が共同でおこなえるような同盟を結成しようとした。これは西側支配者層の一部には魅力的にうつり、主要な帝国主義諸国の有力者たちもヒムラーの意見に賛同した。将来CIA長官となるアレン・ダレスは、ナチスは資本主義を支持するアーリア人キリスト教徒であり、真の敵は神を信じない共産主義であるため、自国は間違った敵と戦っている、と不満を述べていた。
当時、CIAの前身である戦略情報局(OSS)で働いていたダレスは、計画されていた反共産主義北大西洋同盟についてヒムラーと交渉した人物の1人だった。かつてヒムラーの右腕だったカール・ウォルフ将軍は、戦後の恩赦と引き換えに、ナチスの同盟者とともにスターリンに対抗する諜報網を構築するようダレスに提案した。これがまさに実現し、ダレスは他の多くのナチスやファシストを反共産主義国際組織の隊列に組み込んだ。その中には、ソ連を標的に当てていたナチス諜報機関の長、ラインハルト・ゲーレンも含まれていた。ゲーレンは戦後、CIAから西ドイツ諜報部の長に任命され、そこで多くのナチスの協力者を雇い入れた。また、イタリアのサンライズ作戦の一環として、「黒太子」という名で知られ、戦後ファシズムの主要指導者の一人であったヴァレリオ・ボルゲーゼも参加していた。彼はOSS(米国戦略情報局)によって共産主義者から救われ、その後CIAで働いた。米国に対する宣戦布告に署名した日本の高官で、中国東北部の日本植民地を残忍に統治したことで「昭和の悪魔」と呼ばれた岸信介も、この悪名高いCIAによって名誉回復され、日本の首相にまで上り詰めた。しかし、これらの例は氷山の一角に過ぎない。なぜなら、第二次世界大戦後に名誉回復されたファシストは数え切れないほど多く、そのうち少なくとも1万人が米国に直接連行されたからである。
1949年にNATOが正式に設立されたとき、ポルトガルはその創設国の1つだった。当時ポルトガルはファシスト独裁国家だった。このことはNATOが創設当初から、資本家階級民主主義国であれファシスト国家であれ、共産主義に対する帝国主義諸国の軍事同盟であったことを示している。これこそまさにヒムラーが考えていたことだった。ギリシャがNATOに加盟したのは、ナチスから国を解放する上で主導的な役割を果たした共産主義者が、新たな反共産主義占領国である英国と米国との残忍な戦争に敗れた後の1953年のことだった。西側帝国主義諸国は、まず親ファシスト国王を復権させ、次に右翼傀儡政権を樹立し、ギリシャを信頼できる反共産主義の従属国に作り変えた後、NATOに迎え入れたのだ。こうした手口はNATOの長い歴史を通じて見受けられ、ウクライナはファシスト的反共産主義の従属国家の最新版の一つにすぎない。
西ドイツは1955年にNATOに加盟したが、これはパリ協定によりドイツ連邦共和国の再軍備が承認されたのと同じ年だった。西ドイツ政府は志願者を選考し、ナチス国防軍の将軍と提督61名を新軍に受け入れたほか、下級将校も多数受け入れた。西ドイツ軍に統合されたナチスの最上級将校の中には、西ドイツ軍初の中将として宣誓就任したハンス・シュパイデルとアドルフ・ホイジンガーがいた。シュパイデルは「国防省統合戦力部長」となり、コンラート・アデナウアー首相の主要軍事顧問の一人として働いた(この地位は後にホイジンガーが務めた)。ヒトラーが「私の真の忠実な協力者」と呼んだホイジンガーは、米国の統合参謀本部議長に相当する西ドイツの現役上級軍人となった。彼はまた、CIAのゲーレン組織の評価責任者を務め、その任務を非常にうまく遂行したため、内部文書によると、CIAはゲーレンの役職に彼をつけることを「真剣に検討」していた、という。彼はCIAの工作員として働き、「CIA代表者と相談し、信頼し続けた」が、代表者は「ホイジンガーの政治的見解は明らかに米国の利益にかなうものであるとわかった」と報告されていた。この2人のナチス指導者はともに昇進し、西ドイツ初の4つ星将軍となった。
これら主要なナチス将校は二人ともNATOで重要な役割を果たした。1954年、シュパイデルは「ドイツのNATO加盟問題に関する交渉担当者」の筆頭に任命された。彼は西ドイツ軍のNATOへの統合を監督し、中央ヨーロッパの連合軍地上軍の司令官に任命された。これは、シュパイデルが「NATO中央地域に配属されたドイツや米国、フランス、英国の全師団の最高作戦指揮官」であったことを意味した。ソ連に対する大量虐殺の殲滅戦争に直接関与した高官のナチス将校が、ワルシャワ条約機構諸国との戦争が勃発した際には、NATOの最高地上指揮官となっていたはずである、ということだった。ホイジンガーはNATOの「上級軍将校および事務総長の主任軍事顧問」となり、NATO軍事委員会の議長を務めた。この地位は「同組織の非文民部門の最高位」である。
シュパイデルとホイジンガーは、NATOに統合された他の多くの人々と同様、下級ナチスではなかった。シュパイデルは1944年1月に中将に昇進し、ソ連掃討戦争での功績により騎士鉄十字章を授与された。米国上院議員ウェイン・モースの1961年報告書によると、ホイジンガーは1941年に「ヒトラーの参謀本部作戦部長」となり、「それ以降のナチス侵攻の軍事計画の責任者」となった。彼は「すべてのユダヤ人とその他の民族」を粛清する任務を負った特別絶滅部隊(アインザッツグルッペン)を指揮した。ホイジンガーは、これらの問題に関する自身の見解を驚くほど率直に説明している。「民間人の扱いと対パルチザン(一般市民により形成された非正規軍)戦争(絶滅)の方法は、最高政治・軍事指導者に彼らの計画、すなわちスラブ民族とユダヤ人の組織的絶滅を実行する絶好の機会を与えるというのが、私の個人的な意見であった」と。
シュパイデルとホイジンガーは、ナチスからNATOへという連絡線をたどった唯一のドイツ人というわけではないが、彼らの指導的立場は、NATOがファシストとのつながりに関していかに厚かましい態度を取ってきたかを示している。彼らはまた、2人ともステイ・ビハインド軍の設立に関わっていた。ステイ・ビハインド軍は秘密のファシスト民兵組織であり、当初の目的は、ソ連の侵攻の際に敵陣に留まり、破壊活動や諜報活動、脱出などを行う軍隊として機能することだった。ドイツでは、ナチスのアルベルト・シュネズ大佐が、約2000人のナチス将校と10000人の兵士からなる人脈網を設立し、戦争の際には40000人の戦闘員を動員できる、と主張していた。彼らは産業界から資金援助を受け、ゲーレン組織と定期的に情報を共有していた。ゲーレン自身は「ドイツにおけるステイ・ビハインド政策の精神的父」であった。シュネッツの組織は、米国から秘密裏に資金提供を受けていた他の2つの残留ナチス人脈網、Technischer Dienst(技術サービス)とドイツ青年連盟とも接触していた。
これらのナチス指導者が西ドイツ全土に設立した駐留軍は、CIAやMI6、NATOによって設立された秘密のファシスト民兵の西ヨーロッパ人脈網の一部だった。これらの組織はナチスやファシスト、その他の極右反共産主義者を募集し、武器と弾薬を提供し、戦争遂行のために十分な装備を提供していた。彼らは、民間人を標的とした偽旗テロ攻撃を実行するために活動し、共産主義者のせいにして弾圧を正当化し、いわゆる法と秩序の政府への支持を集めてきた。この反共産主義の緊張戦略は極めて致命的で、数百人が死亡し、数千人が負傷した。これらの偽旗テロ攻撃の背後にはNATOがあり、NATO内のナチスは、少なくとも、それらを実行する組織の設立に関与していた。NATOは実際にはNAFO、北大西洋ファシスト機構であるというよく知られた冗談はまったく冗談ではない。これは極めて深刻な現実であり、変える必要があるものだ。NAFOとの戦いは、ファシズムと帝国主義に対するより広範な戦いの重要な部分なのだから。
※なお、本稿は、寺島メソッド翻訳NEWS(2025年2月27日)「NATOの起源はナチス」
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-2994.html
からの転載であることをお断りします。
また英文原稿はこちらです⇒NATO’s Nazi Roots
筆者:ガブリエル・ロックヒル(Gabriel Rockhill)
出典:Internationalist 360° 2025年2月17日
https://libya360.wordpress.com/2025/02/17/natos-nazi-roots/