【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(81):「空間」をめぐる思想とトランプ政権(上)

塩原俊彦

 

今回は、過去に書いたことのある拙稿のなかで、空間にかかわる話を紹介したい。トランプ政権が建築にまで規制を加えようとしているからである。まずは、空間と権力の関係について、哲学的な考察をするところからはじめたい。

名著、山本理顕著『権力の空間/空間の権力:個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』
空間認識が権力にかかわり、ゆえに地政学上の重要概念であることを教えてくれるのは山本理顕著『権力の空間/空間の権力:個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』(講談社、2015)である。それによると、ギリシャの都市国家は公的領域と私的領域をその設計思想によって区別してきた。家屋のなかに両者の「閾」(しきい)が内在することで、両者の分断を避けてきたのである。家事にかかわる空間と、それ以外に外部との交流を前提とする空間を設計上分けたことで、「公」と「私」の区分につながったというのだ。

日本でいえば、「世間」というわけのわからない空間のなかに、「イエ」というもう一つの空間があり、そのイエは縁側という独特の閾によって世間とイエとを隔ててきた。

家屋をみると、西欧は石づくりの厚い壁で隔てられた比較的プライバシーが守られやすい環境を特徴とした。これに対して、日本の場合、家屋の内部は壁で隔てられるよりも、御簾や几帳、加えて障子による区分を基本としていたから、そもそもプライバシーなる概念が育ちにくい環境にあった。ちなみに、私の主たる研究対象であるロシアは「木の文化」であり、その点では、アジア方面の文化に近い(異論を唱える人もいるかもしれないが、この意見はドストエフスキーが『悪霊』のなかでのべたものに準じている)。

閾:境界

ギリシャの都市国家は公的領域と私的領域をその設計思想によって区別してきたことが知られている。家屋のなかに両者の「閾」(しきい)が内在することで両者の分断を避けてきたのである。具体的には紀元前5世紀に活躍したミレトスのヒッポダモスこそ歴史上はじめての都市計画者の一人であり、アリストテレスの「政治学」に従って都市計画に従事したとされている。これこそまさに境界であり、裂け目に転化する契機となった。空間にはギリシャ語のasylonに由来する「聖域」(asylum)という裂け目があったことがその後のヨーロッパの歴史に大きな影響を与えてきた(John Griffuths Pedley, Sanctuaries and the Sacred in the Ancient Greek World, [New York: Cambridge University Press, 2005], p. 97)。あるいは、イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンは、内戦、蜂起といった緊急事態を意味する例外状態は、「究極においては、アノミーとノモス、生と法、権威と権限とがどちらともつかない決定不能性の状態にある閾を設けることによって、法的-政治的な機械の二つの側面を分節すると同時にともに保持するための装置として機能しているのだ」と指摘している(Giorgio Agamben, Stato di eccezione=上村忠男・中村勝己訳,『例外状態』[未来社, 2007], 174頁)。

こうした視角は、空間をめぐる閾だけでなく、時間にかかわる閾にも適用できる。こうした問題意識が近代という時代の閾を問題化させる。

「道具的理性」から「物化」へ

目的合理性は近代的な思考様式に支えられている。マックス・ウェーバーが官僚制を「最も純粋な形で存立しうるための最も合理的な経済的基礎」をなすと評したのは、官僚制がどんな目的であれ、その目的の実現において合理的であると判断したためだ。ここでの目的合理性はマックス・ホルクハイマーのいう「道具的理性」(instrumentelle Vernunft)と同じ意味で使用している。ホルクハイマーは、啓蒙における理性とは目的の純粋な道具であろうとする古くからの野心をもち、本質的に手段と目的に多かれ少なかれ自明のものと考えられている目的に対する手続きの妥当性に関心をもち、目的自体が合理的であるか否かという問題にはほとんど重きをおかないとみなした。彼は、啓蒙の理性は所与の目的達成の道具にすぎないという意味で「道具的理性」にすぎないとしたのである。

にもかかわらず、この目的合理性や道具的理性は、「命令はそれが〝物化〟されることによって、リアリティを得、いかにもその命令に根拠があるように見える」という思考に支えられている。そう教えてくれたのも山本である(山本, 2015, pp. 99-100)。ここでいう「物化」(materialization, Verdinglichung)とは、ハンナ・アーレントの言葉で、「活動と言語と思考」という「触知できないもの」を「触知できるもの」に変形することによって、それらにリアリティをもたせ、持続する存在とすることである。建築空間が「物」となることで、逆に物化されたものによって「活動と言語と思考」が影響されるというのが近代以前の「世界」にあったというのである。

観察から実験へ

この思想は感覚に基づく一切の直接的経験への信頼をもとにしている。ところが、地球が太陽を廻っている事実が発見されたことで、デカルトの「すべてを疑うべし」(de omnibus dubitandum est)という懐疑論が優勢になる。アーレントは『過去と未来の間』のなかで、「いいかえれば、人間が自らの感覚が宇宙に適合していないことを学び、そして日常生活の経験は真理の受容や知識の獲得の範型とならないばかりか、むしろ誤謬や幻想の源泉であることを知ったとき、近代は始まったのである」と的確に表現している(Hannah Arendt, “The Modern Concept of History,” The Review of Politics, Vol. 20, No. 4, 1958, in Between Past and Future: Eight Exercises in Political Thought (1968) Viking Press =『過去と未来の間:政治思想への8試論』引田達也・斎藤純一訳, みすず書房, 2002, pp. 70-71)。観察から実験へと人間は歩を進め、自然科学の進歩をもたらすことになったのだ。

近代になると、まず「活動と言語と思考」といった思想があって、それが物化されるとみなす。しかも、「思考する人」と「物化する人」が分離される。つまり、「思考する人」=「知を命ずる人」=「支配者」、「物化する人」=「執行する人」=「服従者」という区別を受けいれ、その命令は「物化」によって客観的な根拠があるかのようにみえてしまうのだ。これは、結果という目に見える「触知できるもの」を圧倒的に重視する思考を生み、結果から原因を説明することですませてしまうのである。こうして、プラトンのもたらした「知」を、「命令=支配」と、「活動」を「服従=執行」と同一視する見方の権威化が進む。結果からみれば、原因があるかのように説明するのは実に簡単なのだが、この因果関係の論理に騙されて、知の権威化がどんどん広がってしまったのである。しかし、本当は「知」と「物化」は一体なものであり、「物化」に先立って根拠のある「知」があるわけではない。しかし、事後的に起こったことを必然的結果のように記述することが当たり前となり、責任の問題が忘れられてしまう。勝者の歴史になってしまうのだ。

トランプによる空間規制

こう考えると、空間認識の変遷が物化にかかわり、物化による客観化を象徴するものとして建築物のもつ意義がより深まるようになる。そう考えると、実は、建築と権力との関係は深い。この視角からみると、トランプ政権の政策は興味深いものになる。

トランプは2025年1月20日、連邦政府の財産を管理し、政府機関に契約オプションを提供している一般調達局(GSA)向けの覚書「美しい連邦市民建築の推進」に署名した。そこには、GSA長官に対して、「連邦政府の公共建築物は、市民的建築物として視覚的に識別できるものであるべきであり、公共空間を高揚させ、美化し、米国とその自治制度に高貴さを与えるために、地域的、伝統的、古典的な建築遺産を尊重すべきである」という政策を推進するための勧告を60日以内に大統領に提出するよう指示している。

これが意味しているのは、「ブルータリズム」と呼ばれる建築様式への批判であると受け止められている。それを暗示しているのは、2月21日に連邦捜査局(FBI)長官に就任したカシュ・パテルが2024年12月の段階で、「私は初日にFBIフーバービルを閉鎖し、翌日には「ディープ・ステート」の博物館として再開するだろう」と語っていたことだろう。トランプへの忠誠心の厚いことで知られている彼は、このブルータリズムで建てられたFBIフーバービル(下の写真を参照)を目の敵にしていることになる。というのも、第一期トランプ政権時代、2018年7月、トランプはこのビルを「正直言って、この街で最も醜い建物のひとつだと思う」とまで酷評していたからである(「アクシオス」を参照)。

ワシントンDCのペンシルベニア通りにあるFBIフーバービル(Universal History Archive/UIG via Getty Images)
(出所)https://www.axios.com/2018/07/29/donald-trump-obsession-fbi-building-headquarters

ブルータリズムは顔のない官僚主義か

2月22日付のNYTは「ブルータリズムの政治 モニュメント、異質なもの、目障りなもの-ブルータリズムの建物は、トランプ大統領の文化戦争のもう一つの戦場となった」という、興味深い記事を公表した。それによると、ブルータリズムとは、1960年代から70年代にかけて米国で流行したモダニズムのサブジャンルで、コンクリート打ちっぱなし、ブロック構造、機能性を重視したミニマリズム(シンプル重視)の精神によって典型的に定義される(注1)。

一般調達庁(GSA)によると、1961年から1976年の間に、九つのモダニズム様式の連邦政府機関ビルがD.C.南西部に建設された。こうしたブルータリズムの建物は、政府のプログラムがより拡大していた時代を象徴しているのだが、「ある人々にとっては、この様式は都市で多数の低所得者を追い出した都市再生政策や、FBIによる公民権濫用を思い起こさせるものだ」、とNYTは指摘している。そのため、「ブルータリズムは顔のない官僚主義を象徴している。それは、最悪の形での連邦権力を象徴している」という、第一期トランプ政権で美術委員会の委員を務めたジャスティン・シュボウの見方が紹介されている。

2月26日になって、管理予算局と人事管理局の局長はトランプの2月11日に署名した大統領令14210号で、「無駄、肥大化、孤立化」(waste, bloat, and insularity)を排除することで、我が政権は米国の家族、労働者、納税者、そして政府制度そのものを強化する」としたことの一環として、「ワシントンD.C.および首都圏から、よりコストのかからない国内への局やオフィスの移転案」を4月14日までに提出するよう指示した。この結果、多くのブルータリズム建築がワシントンDCから追い出されることになるかもしれない。

このように、建築は権力と深く結びついている。だからこそ、「ケネディ(ジョン・F・ケネディ)は、公共建築物が国家の価値観を映し出す広告塔としての力をもつことを認識し、連邦建築の新たな基準を打ち立てた」と指摘されている。これに対して、2020年12月18日、当時のトランプ大統領は「美しい連邦市民建築の推進に関する大統領令」に署名し、「コロンビア特別区では、他の建築様式を必要とする例外的な要因がない限り、連邦の公共建築物には古典的建築様式が好まれ、またデフォルトの建築様式とされる」と明示した。

大統領に返り咲いたトランプは、このときの建築をめぐる権力闘争に再び乗り出したのである。FBIフーバービルについては、2023年、一般調達局(GSA)はグリーンベルト(マサチューセッツ州)に新たな本部用地を選定し、一部、建設が進んでいる。パテルFBI長官の登場で、FBI本部の縮小は確実だが、このビルの今後は不透明だ(注2)。

 

「知られざる地政学」連載(81):「空間」をめぐる思想とトランプ政権(下)に続く

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。『帝国主義ロシアの野望』によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞(ほかにも、『ウクライナ3.0』などの一連の作品が高く評価されている)。 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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