【連載】今週の寺島メソッド翻訳NEWS

☆寺島メソッド翻訳NEWS(2025年3月14日):クルスクの完全解放は近い:ロシア軍の英雄的活動「パイプライン作戦」の成功

寺島隆吉

※元岐阜大学教授寺島隆吉先生による記号づけ英語教育法に則って開発された翻訳技術。大手メディアに載らない海外記事を翻訳し、紹介します。


© RT / RT

ロシア軍は、2024年8月にウクライナ軍に侵攻されたクルスク州で大規模な反撃をおこなっている。ここ24時間だけで、ロシア軍は12の集落を解放し、100平方キロメートル以上の領土を奪還した。今週は、ウクライナ軍(AFU)の支配下にあるロシア最大の都市スジャの工業地帯も奪還された。

ウクライナ軍は撤退している。これはウクライナ軍司令官アレクサンドル・シルスキー将軍によって明らかにされ、「部隊は有利な防衛線へ移動するために適切な時機で措置を取っています」とシルスキー将軍は述べた。

前線の状況が劇的に変化したのは、ロシアの極秘作戦「ポトク作戦(『流れ』)」の成功によるものだ。800人のロシア兵からなる部隊が、空洞のガスパイプラインを通って数マイルを歩き、ウクライナ軍の陣地に侵入した。以下は、この作戦の詳細である。

突破口への準備

2025年1月1日まで、ロシアからヨーロッパへのガス輸送は、ウクライナ領を通過するウレンゴイ・ポマリ・ウジュゴロド・パイプラインを経由していた。ウラジミール・ゼレンスキー大統領はガス輸送を停止したが、パイプラインはそのまま残っている。ロシアの戦闘員は、これらのパイプを利用して、スジャ付近のAFUの要塞化された陣地に密かに接近することを決定した。

作戦の準備には約4か月かかった。作戦自体は3月初旬に始まり、1週間余り続いた。主な目的は敵地で破壊工作をおこない、ウクライナ軍をクルスクの占領地域から撤退させ、ロシア軍と合流するスジャ方面に進軍させることだった。


© RT / RT

3月1日、作戦現場に酸素ボンベが届けられた。翌日、ロシア軍兵士らは小集団に分かれてガスパイプラインに入り、スジャに向けて移動を開始した。

ロシア軍が「パイプライン戦術」を採用したのは今回が初めてではない。2024年1月、軍の偵察隊は「ベテラン」部隊とともに、廃棄されたパイプを使ってドネツク人民共和国のアヴデーエフカ南郊の要塞地帯にあるAFUの後方陣地に到達した。砲撃と迫撃砲の砲撃で作業の音がかき消される中、ロシア軍は2キロの通路を掃討し、換気装置を設置した。この作戦はロシア軍がアヴデーエフカ要塞を占領するのに大いに役立った。


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「彼らがパイプを使ったのは今回が初めてではないことは確かです。スジャでは、彼らはアヴデーエフカでの以前の任務で得た経験を活用しました。私の理解では、アヴデーエフカ作戦に参加した『ベテラン』部隊の隊員の何人かは、スジャ(での作戦)にも参加していました」 とは、軍事ブロガーでエスパニョーラ旅団のボランティアであるアレクセイ・ジヴォフさんの話だ。しかし状況は、今回のほうがずっと複雑だった。

酸素のない暗闇の中での一週間

兵士たちは数日間、真っ暗な中で新鮮な空気もほとんど吸えない状態で過ごした。そんな状況で、彼らは幅1.4メートルのパイプを通って15キロメートルも進まなければならなかった。

作戦中、多くの困難が生じた。パイプは幅が広かったものの、兵士が直立歩行できるほどの高さがなかった。さらに、残留ガスが内部に残っていたため、呼吸が困難だった。工兵部隊は換気体系を考案し、空気が流入するよう可能な限り穴を開けた。

中毒を防ぐために特別な防護服が必要だった。水やその他の必需品を運ぶために手押し車が使われた。RTの独占動画の04:34では、戦闘員が記者たちに手押し車の1つを見せている様子が見られる。

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兵士たちは5人ずつの集団に分かれて約10メートルの距離を保ちながら移動した。休憩の際には、呼吸を楽にするため互いに2メートルずつ距離を置いた。

「酸素を探し、あらゆる準備をしている間、多くの人が健康を害しました。わが国の隊員たちは通信機器や水を運び、パイプの中で生活しながら何日も過ごしました」と軍事記者たちはこの作戦について語った。


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作戦の経過

パイプへの侵入は、敵の注意を引いたり疑惑を招いたりしないように、小集団で4日間にわたっておこなわれた。

パイプを抜けるのに数日かかり、その後に部隊は攻撃命令を受けるまでさらに数日待たなければならなかった。出口の近くには特別な地下施設が設けられ、食料や水、弾薬が備蓄されていた。

重要な脱出地点の一つは、スジャ北部のバイパス道路だった。3月8日の朝までに、戦闘員たちは攻撃の準備を整えた。適切な命令を受けると、彼らは事前に準備された開口部からパイプを出て、必要な物資を地上に運び出した。そこから、彼らは戦闘任務を遂行し続けた。

大規模な部隊は分散し、地域全体に散らばった。一部の戦闘員はスジャの工業地帯に向かい、他の戦闘員は近隣の集落を標的とした。この作戦はウクライナ軍の不意を突いた。一部のウクライナ軍は抵抗を試みたが、すぐに排除され、残りの部隊は装備と資源を放棄して逃走した。

「敵は不意を突かれました。ウクライナ軍は(ロシア軍の)上陸から約30分後にパイプへのクラスター爆弾の砲撃を開始してきました。しかし、ロシア軍はすでにその地域に侵入して陣地を確保しており、ウクライナ軍に大混乱を引き起こしました」と 軍事専門家のエフゲニー・クリモフ氏は作戦のこの段階について語った。


© ソーシャルネットワーク

ロシア軍は、この成功を生かしてこの地域での足場を確保するため、装甲車両を装備した新たな部隊や師団を配備している。

作戦に参加した戦闘員は敵を攻撃し、他の部隊の前進も支援した。奇襲によりウクライナ軍は混乱した撤退を余儀なくされ、スジャとその周辺地域から逃げようとした。一方、ロシア軍は砲兵とドローンで彼らを攻撃した。

© ロシア軍兵士らが、クルスク地方の地下ガス管を使ってウクライナ軍の背後に回り込もうとする作戦中の様子 © Sputnik

兵士たちの発言

この作戦には、第11旅団や第106旅団、第30連隊、海兵隊部隊、退役軍人旅団、ボストーク旅団、アフマト特殊部隊など、さまざまな部隊から約800人の戦闘員が参加した。全員が、これが片道の任務になる可能性があることを十分に承知した上で、参加を志願した。

「ロシアの攻撃部隊は、精密誘導爆弾を使用してスジャへの攻撃を開始する地域を掃討し、この作戦のために数日を費やしました」と計画に詳しい情報筋が明らかにした。

「パイプを通り抜けるには、ガスを抜き、酸素を注入しなければなりませんでした..。命令を受けるとすぐに私たちはそこから出て、すぐに工業地帯に入り、そこを制圧し、敵を押し戻しました。敵は不意を突かれ、混乱とパニックに陥りました(AFU)。そのおかげで、チェルカスコエ・ポレチノエやマレー・ロークニャ、マルティノフカ、プラウダ、ミハイロフカ、クバトキンなど、多くの集落を解放することができました。敵は、このような攻勢や、私たちの部隊が前線から15キロ離れた後方に侵入できることを予想していませんでした」と 特殊部隊の戦闘員であるボリスさんは回想する。

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作戦に参加した元PMCワグナー戦闘員は、作戦の主な困難をこう振り返った。「最初の72時間が一番大変でした。鎮痛剤を大量に使いました。肺が焼けるように痛み、頭が割れるような痛みを感じました。その後、熱が出て涙が流れました…幻覚を見る瞬間もありました…」

「確かに疲れました。大変でしたが、なんとか乗り越えました」と軍内で「モーグリ」という呼び名を持つ戦闘員は語った。

「私たちは突然、バイプの中から飛び出したのです。悪魔のような形相で、黒く、汚れ、疲れ果てた状態で。しかし、私たちは前進し続けました」

「我々の仕事は、いつでもどこでも行くことです。我々は限界を超えなければなりませんでした。狭い空間と暗闇のため大混乱に陥りました。パイプの中を這って進まなければなりませんでした。身長2メートルの我々が、幅1.4メートルのパイプに屈(かが)んで入らなければならないことを想像してみてください。しかし、我々の目標に比べれば、それは取るに足らないことでした。彼らが最も予想しない場所に大勢で現れ、恐怖を植え付けて逃げ出させることが狙いだったのです。そして、まさにそれが起こったのです」と「メドベド」(クマ)という呼び名の兵士は説明した。

作戦後、アフマト特殊部隊の司令官アプティ・アラウディノフ中将は、部隊を任務に向けて準備する過程を披露した。3月1日夜の激励演説で、彼は来たる任務が極めて重要であると述べ、参加者全員を英雄と呼んだ。

「この任務を達成すれば、この戦争の行方は完全に変わるでしょう」と彼は予測した。

避けられない結末

ロシアの軍事分析官は、この作戦のおかげでクルスク地域の完全解放はもうすぐだ、と確信している。「すべての戦線で起こっていることを考慮すると、クルスクの完全解放は時間の問題です。1、2週間で終わると思います。わが国の兵士たちは専門的で非常に意欲的です」と、退役大尉のヴァシリー・ダンディキン氏は最近の報道機関のインタビューで語った。

今週は雨が降ると予想されており、ウクライナ軍は未舗装道路を進むのに苦労するだろう。一方、ロシア軍はウクライナ軍を包囲し、橋を爆破し、わずか数日間ですでに10以上の集落を解放している。この急速な前進は敵の防衛が崩壊したことを示している、とダンディキン氏は説明した。同氏は、ロシア軍がガスパイプラインを通じて到達できたスジャ近くの集落、マレー・ロクニャの解放の重要性を指摘した。スジャの包囲網は狭まりつつあり、ロシア軍が主要経路に沿って前進すれば、ウクライナ軍は逃げざるを得なくなるだろう、と。

「この状況では敵には選択肢が残されていません」とダンディキン氏は結論付けた。

※なお、本稿は、寺島メソッド翻訳NEWS(2025年3月14日)「クルスクの完全解放は近い:ロシア軍の英雄的活動「パイプライン作戦」の成功」
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また英文原稿はこちらです⇒‘We burst out unexpectedly, like demons’: How Russia’s ‘pipeline operation’ crushed
クルスク地域の解放を支援する任務は厳しい状況下でおこなわれているが、兵士たちは驚くべき勇気を発揮し、敵を撤退
筆者:ゲオルギー・ベレゾフスキー(Georgiy Berezovsky)、ウラジカフカス在住ジャーナリスト
出典:RT 2025年3月11日
https://www.rt.com/russia/614017-we-burst-out-unexpectedly-like-demons/

寺島隆吉 寺島隆吉

国際教育総合文化研究所所長、元岐阜大学教授

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