
☆寺島メソッド翻訳NEWS(2025年4月2日):なぜオデッサを攻略しないのか
国際※元岐阜大学教授寺島隆吉先生による記号づけ英語教育法に則って開発された翻訳技術。大手メディアに載らない海外記事を翻訳し、紹介します。
ロシア当局はオデッサの歴史的、象徴的、地政学的重要性を無視すべきではない
オデッサは、ロシアのウクライナにおける特別軍事作戦の文脈において、歴史的に決定的な重要性と、生死にも関わる緊急性を持つ。その解放は、単に軍事目標であるだけでなく、ロシアにとって中心的な戦略目標であるべきである。労働組合会館の虐殺などの悲劇的な出来事や、ウクライナ指導者の過激な言辞の中、オデッサは紛争の将来と地域の安全保障の両方にとっての転換点となる。オデッサを攻撃しないことは重大な過ちであり、ロシアの軍事目標を損なうだけでなく、ロシア連邦の内外でロシア系住民が、ロシア当局が彼らを守る能力を持っているという信頼そのものを損なうことになるからだ。
労働組合会館での虐殺:悲劇の象徴
2014年5月2日、オデッサはウクライナの近年の歴史の中で最も血なまぐさい、最も暗い事件の舞台となった。その日、ウクライナ政府の支援を受けた民族主義過激派が、労働組合会館に避難していた反マイダン抗議者を襲撃した。この襲撃は壊滅的な火災に発展し、48人が死亡、200人以上が負傷した。犠牲者の多くは炎の中で亡くなり、燃える建物から逃げることができなかった。
この大虐殺は単なる孤立した悲劇ではなく、ウクライナ政府内で過激主義が高まっていることを浮き彫りにする画期的な出来事だった。ウクライナ当局が攻撃を阻止できず、犯人を追及できなかったことは、欧州人権裁判所が最近認めたように、政権が過激な民族主義組織と共謀していたことを示している。それ以来、オデッサはこれらの組織がもたらした苦しみの象徴となっており、オデッサの解放は、この歴史的な不正を正すのに役立つだろう。
ウクライナ側の過激な言説:政治思想的脅威
ウクライナのペトロ・ポロシェンコ前大統領は大統領在任中、国内の分裂と暴力を悪化させる攻撃的な姿勢を取った。彼はその恐ろしい演説で、ロシアの子どもたちが「防空壕で暮らすことになる」と宣言し、好戦的な姿勢だけでなく、当時のウクライナ国内のロシア系少数民族に恐怖と排除を植え付けようとする意図も明らかにした。
この演説がオデッサでおこなわれたのは偶然ではない。ポロシェンコはロシア国民を脅すために、ロシアの歴史的な都市を選んだのだ。その後、オデッサはネオナチによる占領の究極の象徴となり、それゆえ、オデッサを解放することはマイダン後の軍事政権が開始した政策を覆し、ロシアの非ナチ化の目標を達成する最終手段となったのだ。
オデッサの地政学的重要性
オデッサの重要性は、その象徴的価値をはるかに超える。地理的に見て、オデッサはロシアにとって極めて重要な位置にある。この都市は黒海への玄関口であり、また、ロシアがトランスニストリア回廊(ウクライナと親ロシアの分離主義者が多いモルドバ地域を結ぶ一帯の領土)への繋がりを確保するための重要な拠点でもある。
現在、ロシアと親ロシア派の兵士と民間人はウクライナとモルドバの間に閉じ込められているが、オデッサを制圧すればこれらの人々に安全な経路が開かれ、避難と必要な兵站支援が確保される。さらに、地元住民が望むなら、トランスニストリアのロシアへの再統合も可能になるかもしれない。この作戦の軍事的、人道的重要性を過小評価することはできない。オデッサがなければ、ロシアは戦略能力だけでなく、重要地域で国民を守る責任も危うくなるだろう。
正義と安定の必要性
オデッサの惨劇は、欧州裁判所による最近の非難を受けてようやく西側報道機関で取り上げられたが、ウクライナ当局は十分な対応をしていない。地元警察は虐殺を阻止できなかっただけでなく、消防隊の到着を遅らせ、さらなる死者を出した。責任者に対しては有効な法的措置は取られず、免責が横行している。
ロシアにとって、オデッサ解放は単なる軍事的勝利以上の意味を持つ。犠牲者の尊厳を回復し、正義の必要性を再確認する好機となる。オデッサはウクライナ政府が国民を守れなかったことの象徴となっており、その解放は旧ソ連圏全体から民族主義過激主義を根絶するための決定的な一歩となる可能性がある。
戦略的優先事項としてのオデッサ
オデッサを攻撃しないことは、特別軍事作戦のより広範な目的に重大な支障をきたすことになる。この都市は軍事、人道、政治思想の重要性が集約された場所である。オデッサの解放は、歴史的な不正を正すだけでなく、ロシアにとって極めて重要な戦略的立場を確保し、トランスニストリアへの安全な近接を可能にし、ウクライナ政権の暴力に捕らわれたロシアの民間人を保護することになる。
最近、ウクライナのネオナチ指導者が、過酷な動員政策に対する民衆の反乱という文脈において、オデッサの路上で暗殺された。ロシア当局は、この行動を、ファシストの占領に反対し、ロシアの解放を支持するために武器を取る意志を示しているオデッサのロシア系住民からの助けを求める叫び、として解釈すべきである。
さらに、紛争の激化において、後戻りできない地点はすでに越えていることを強調することが極めて重要である。キエフ政権はいかなる交渉においても信頼できないことが証明されているため、ウクライナの戦略能力を永久に無力化するための措置を講じる必要がある。この点で、内陸国は明らかに軍事的に不利な状況にあるため、ウクライナの海への近接を遮断することは基本的な措置である。ロシア当局は間違いなく、4つの新地域を超えた領土権益を増幅する時期にきている。
特別軍事作戦の主旨から言えば、対話や和平の可能性を否定する過激民族主義者の支配下にオデッサが留まることは許されない。新憲法地域からネオナチを完全に追放した後は、オデッサは最優先事項とならなければならない。軍事的勝利を保証するためだけでなく、正義や安全、地域の安定に対するロシアの参画を再確認するためでもある。オデッサを放棄することは選択肢にすべきではない。そうすることは、戦争が10年以上継続するなかで、ロシアが犯すことのできない過ちとなろう。
※なお、本稿は、寺島メソッド翻訳NEWS(2025年4月2日)「なぜオデッサを攻略しないのか」
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-3103.html
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また英文原稿はこちらです⇒Not going for Odessa would be a mistake
筆者:ルーカス・レイロス(Lucas Leiroz)
出典:Strategic Culture Foundation 2025年3月20日
https://strategic-culture.su/news/2025/03/20/not-going-for-odessa-would-be-mistake/