
【櫻井ジャーナル】2025.04.22XML: 教皇フランシスコの死を利用して新たな工作を画策しているであろう米英情報機関
国際政治ローマ教皇フランシスコはイースター(復活祭)の演説でガザの和平を訴えた翌日に死亡した。この演説に限らず教皇フランシスコはイスラエルによるガザでの大量虐殺行為を強く批判し、ジェノサイド疑惑の調査を求め、病院への爆撃や人道支援活動のスタッフや民間人の殺害を非難してきた。
2023年12月21日に教皇は、ガザでの爆撃は残虐行為であって戦争ではないと非難、ピエルバティスタ・ピッツァバラ枢機卿がガザへ入れなかったことを批判した。22日にイスラエル当局は枢機卿のガザ入りを許可したが、その日、教皇はイスラエルがガザで続けている子どもの虐殺を改めて非難している。
2022年5月にはウクライナで戦闘が始まった原因について教皇フランシスコはロシアの玄関先でNATOが吠えたことにあるのではないかと語り、ウラジミル・プーチン露大統領と会談する希望も口にしていたが、ウクライナ正教会で首座主教を務めるエピファニーは、教皇が「ロシアの侵略」を支持したために死んだと嘲笑している。
ローマ教皇庁はシリアでの戦争も西側の政府や有力メディアの宣伝に同調していない。例えば、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のフィリップ・トゥルニョル・クロス大主教はローマ教皇庁のフィデス通信に対し、「誰もが真実を語ればシリアの平和は守られる。紛争の1年後、現地の現実は、西側メディアの偽情報が押し付けるイメージとはかけ離れている」と報告している。
フランシスコは教皇になる前、ブエノスアイレスで大司教を務めていた。当時の名前はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿だが、この人物、軍事政権下のアルゼンチンで展開された「汚い戦争」、要するに巨大資本のカネ儲けにとって邪魔だとみなされた人間の虐殺に責任があると批判されている。軍事政権下で「行方不明」となった人数は3万人とも言われているが、1976年にふたりの司祭が誘拐されて拷問を受けた事件では、ベルゴリオ自身も告発されている。
その軍事政権は現地の経済界とも友好的な関係にあり、経済大臣に選ばれたホセ・アルフレド・マルティネス・デ・ホスはデイビッド・ロックフェラーの親友としても知られている。軍事政権の経済政策は1973年に軍事クーデターがあったチリと同じように、強者総取りの新自由主義だった。
ベルゴリオは1973年から79年にかけて、イエズス会アルゼンチン管区の管区長を務めている。この間、1976年にクーデターで軍事政権が誕生、83年まで続いた。チリのクーデターと同じように、黒幕はヘンリー・キッシンジャーだと言われている。
しかし、教皇に就任した後、ベルゴリオの言動はネオコンやその配下にある西側支配層を刺激してきた。彼らにとって教皇フランシスコの死は願ってもないことだろう。ウクライナやパレスチナに対する教皇の言動に怒っていた西側支配層は配下の情報機関を使い、何らかの工作を進めている可能性が高い。
例えば1978年8月にCIAと関係が深いと言われていたパウロ6世が死亡した際のケース。パウロ6世は1963年に教皇となったが、その前からCIAの大物、例えばアレン・ダレスやジェームズ・アングルトンと緊密な関係にあったことが知られている。
パウロ6世の側近だったシカゴ出身のポール・マルチンクスが1971年にIOR、いわゆるバチカン銀行の総裁に就任。この時代にバチカン銀行を舞台として、債券偽造事件や不正融資事件が起こるが、いずれも非公然結社のP2が関係、アメリカ政府の東欧工作を支援していた。
次の教皇に選ばれたアルビーノ・ルチャーニはヨハネ・パウロ1世を名乗る。新教皇は若い頃から社会的弱者の救済に熱心だった人物で、CIAとの関係はなかったと見られているが、就任してから1カ月余り後の1978年9月に急死した。今でも他殺説は消えていない。
そこで登場してくるのがポーランド出身のカロル・ユゼフ・ボイティワ。1978年10月に次の教皇となり、ヨハネ・パウロ2世と呼ばれるようになった。
1977年頃にはイタリア銀行監督局のマリオ・サルチネッリ局長が銀行の調査を命令、78年4月になるとアンブロシアーノ銀行の調査が始まり、79年には関係者が殺されるなど捜査妨害が活発化する。
1981年3月にP2の頭目、リチオ・ジェッリの自宅や事務所が家宅捜索され、イタリアの情報機関、SISDEとSISMIの長官、ジュリオ・グラッシーニとジュゼッペ・サントビトを含むP2の会員リストが国家機密文書のコピーとともに発見された。P2は米英情報機関が操る「NATOの秘密部隊」、つまりグラディオと結びついていた。
アンブロシアーノ銀行の頭取だったロベルト・カルビは1982年6月17日にロンドンで変死しているが、そのカルビは生前、アンブロシアーノ銀行経由で流れた不正融資の行き先はポーランドの反体制労組「連帯」だと家族や友人に話していた。
アメリカのジャーナリスト、カール・バーンスタインによると、連帯が受け取った資金の出所はウィリアム・ケイシーCIA長官(当時)と関係が深い「民主主義のための愛国的援助」で、そこからバチカンや西側の労働組合などを介して流れたというのだ。
連帯に送られたのは資金だけではなく、当時は珍しかったファクシミリのほか、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トン、ポーランドに密輸されたという。連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めている。連帯へ送られた資金の源泉はCIAで、NEDが利用されたほか、バチカンと西側諸国の労働組合の秘密口座から提供された。
カルビが変死した1982年6月7日にレーガン大統領とヨハネ・パウロ2世がバチカン図書館で会い、50分間の大半をポーランドと東欧におけるソ連の支配に費やされ、両者はソ連の崩壊を早めるための秘密作戦を実行することで合意した。作戦の中心は言うまでもなくポーランドだ。その核になる団体が連帯にほかならない。
レーガン政権はソ連を解体するためにバチカンのネットワークを利用し、成功した。ウクライナでの工作に失敗したネオコンやその背後にいる勢力は同じ手を使おうとするかもしれない。
**********************************************
【Sakurai’s Substack】
**********************************************
【Sakurai’s Substack】
※なお、本稿は櫻井ジャーナルhttps://plaza.rakuten.co.jp/condor33/
「教皇フランシスコの死を利用して新たな工作を画策しているであろう米英情報機関」
(2025.04.22ML)
からの転載であることをお断りします。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202504210000/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★ISF(独立言論フォーラム)「市民記者」募集のお知らせ:来たれ!真実探究&戦争廃絶の志のある仲間たち
※ISF会員登録およびご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202410130000/
ISF会員登録のご案内