
フェンタニルクライシス
社会・経済※この記事は、青柳貞一郎氏のブログ「rakitarouのきままな日常」(2025年3月29日付)から、許可を得て転載したものです。
https://rakitarou.hatenablog.com/entry/2025/03/29/103457
https://isfweb.org/post-54524/
トランプ政権が繰り出す関税処置に各国は戦々恐々としています。政権発足直後から隣国のメキシコ、カナダに対して関税をかけるとした大きな理由は両国から流入する違法薬剤の蔓延を問題視したことでした。以前はモルヒネ、大麻(マリファナ)、コカイン、覚せい剤などが米国における緊急事態であり、2015年時点で全米で4万人が麻薬の過量摂取で死亡しており、第一次トランプ政権においても「公衆衛生上の非常事態」を宣言しました。rakitarouもマリファナ、ヘロイン、コカイン、覚せい剤については、2012年に日本の人気タレントが逮捕された事をきっかけに纏めをブログにし、瞬間的にアクセス数1位になったこともあります。
トランプ政権にとって国家安全上の最大の脅威は違法薬物と報じるNPR
2025年現在、米国の違法薬剤問題のトップはフェンタニルであり、それらの原材料が中国産で、メキシコなど隣国で製剤化されて持ち込まれる事が問題になっています。フェンタニルは日本でも日常的に医療現場で使用される鎮痛剤で、手術や癌の疼痛緩和に用いています。フェンタニルも製剤化された純粋な形(フェンタニルクエン酸塩)で正しく用いている分には安全な薬剤ですが、問題は様々な合成フェンタニルが従来のフェンタニルの数倍から100倍の効果を持つようになり、それらが不正に製剤化されて市場に出回るようになった事です。
我々医師は癌の疼痛緩和のために、MSコンチン(モルヒネ)や半合成誘導体であるオキシコドン製剤をせいぜい10mg、多くても30mg程度を使用します。強い痛みのために痛みを緩和するモルヒネ様物質が脳内に不足している場合は、これらモルヒネ製剤を外から与えても中毒(欠乏症状)になることはありません。必要としていない時に多幸感を得るためにこれらを使うと切れた時に欠乏症状が出るのです。
フェンタニルはモルヒネの80~100倍の鎮痛作用があり、使用量は0.1mg単位になります。薬剤の調合をした経験があるヒトならば、精密秤を用いても10mg程度は結晶状の薬剤を分取できても0.1mgレベルの分取は不可能であることは理解できるでしょう。0.1mgを使用する場合は、可溶性であれば100倍の10mgを100mlの純水に溶解して1ml使用する形にします。
合成麻薬であるフェンタニルの融合体 左下のカルフェンタニルはモルヒネの1~10万倍強い
フェンタニルは1960年にポール・ヤンセンによって初めて合成され、クエン酸塩として使用されるようになりました。フェンタニルは、作用発現が速く、作用持続時間が短い強力なμオピオイド受容体作動薬であり、中等度から重度の慢性疼痛の治療に強力な合成オピオイド鎮痛剤として使用されています。1990年代に鎮痛用のパッチ剤が普及してフェンタニルは医療現場から市中に出回るようになります。1988年にはチャイナ・ホワイトと言われるフェンタニルの4倍の効果があるメチルフェンタニルが出回ります。2010年代にはヘロインの効果を強くするためにフェンタニルを混入した薬剤が出回り、過剰摂取による死亡例が増加します。そして2016年に何とモルヒネの1万倍から10万倍の効果がある(従来のフェンタニルの100倍)カルフェンタニルが合成される様になり、一粒飲んだだけで麻薬過量投与で頓死する若者の死亡が一機に増加します。
米国の人気TVドラマFBIのシーズン5、エピソード22では、良家の子女が遊び半分で仲間に渡された合成麻薬(カルフェンタニル)を1錠、笑いながら「冒険ね」と言って飲んでそのまま10名近く全員が森で死亡して見つかるという事件が描かれています。米国におけるフェンタニル・クライシスが日常的問題であることが解ります。
TVドラマFBIの1シーン 薬剤一粒でそのまま頓死する若者
今月発表された報告書によると、フェンタニルは米国で密輸される薬物の中で最も致死率の高い薬物の一つであり、この薬物を密輸する麻薬カルテルが合成オピオイドによる国内の5万2000人以上の死の原因の一つ(93%)と結論づけています。さらに、メキシコを拠点とするシナロア・カルテルなどの国際犯罪組織が違法薬物の主な生産者および供給者である一方、フェンタニルや錠剤圧縮装置を製造するための化学物質の主な供給国は依然として中国であり、インドがそれに続いていると指摘しています。トランプ政権は、2023年だけで違法オピオイド(主にフェンタニル)のコストが推定2.7兆ドルに達し、そのうち約1.1兆ドルが死亡に、2,770億ドルが医療費などのコストに起因していると概説しています。
2025年3月に公表された国家情報局による脅威の最初に違法薬剤が示された。
日本はやたらと自動車にかかる関税を問題視していますが、米国社会にとっての大きな問題はこちらであって、日本の自動車など大した問題ではない事をメディアはもっと強調するべきです。
日本は幸い薬物犯罪が大きな社会問題になる状態ではありませんが、海外からこれらの違法製剤が流入したり、若い人は海外旅行などで冒険心から一粒麻薬を試してみるといった事はおこり得ます。以前であれば大きな問題にならず、「良い経験」で終わった事も、「一粒で頓死」するカルフェンタニルが米国では日常的に出回っている事を肝に銘じて薬物には一切手を出さない覚悟が絶対に必要であることをメディアは強調するべきです。視点の圧倒的に狭いメディア諸兄はトランプの政策を闇雲に批判するのではなく、トランプ氏の持つ正常な危機感にもっと注目するべきだと私は思います。

防衛医科大学卒業、元陸上自衛隊医務官、医師、東京医科大学名誉教授、医療・軍事ジャーナリスト。温暖化とコロナに流されない市民の会代表。ブログ:「rakitarouのきままな日常」https://blog.goo.ne.jp/rakitarou