【連載】櫻井ジャーナル

【櫻井ジャーナル】2025.05.01XML: カシミールの襲撃事件が引き金になり、インドとパキスタンが開戦の危機

櫻井春彦

 ジャンムー・カシミール地方のパハルガムで4月22日に観光客が襲撃され、インド人25人とネパール人1人が殺害された。武装組織の「カシミール抵抗勢力」が犯行声明を出している。インドとパキスタンはかつてイギリスが植民地としていた地域で、1947年にヒンズー教徒が多数派のインドとイスラム教徒が多数派のパキスタンに分かれて独立、それ以降、対立が続いている。

 今回のテロ攻撃についてインド政府はパキスタンの特殊部隊が関与したと疑っていると言われているが、その背景には両国の「水争い」がある。中国からインドのカシミールからパキスタンを抜けてアラビア海へ注ぐインダス川の水は両国にとって重要。パキスタンでは人口の9割以上がこの水に依存している。インドはパキスタンへのインダス川の流入を遮断し、4つの水門すべてを閉鎖した。

 1960年には世界銀行の仲介でインダス川水利条約が締結され、全水量の20%にあたる東側の支流3本をインドに、また西側の支流2本をパキスタンに割り当てることなどが定められた。事件後、インド政府はこの条約を停止すると決めたが、ヒンズー至上主義のナレンドラ・モディ首相は今回の事件を口実に、1960年代のインダス川水条約を破棄しようと試みている。条約の破棄はモディ首相の長年の願望で、今回の襲撃はモディ首相にとって好都合だとも言える。インド政府が条約の停止を決めたことに対し、パキスタン政府は「戦争行為とみなされる」と反発、戦争が始まると懸念されている。

 インドは中国とドクラム高地で領土問題を抱え、2017年6月にはインド軍の部隊が中国の進めていた道路の建設工事を妨害するために侵攻、一触即発の状況になった。同年8月に両国はそれぞれの部隊を速やかに撤退させることで合意、軍事的な緊張は緩和されたものの、根本的な解決にはなっていない。この後6月27日にモディ首相はワシントンでドナルド・トランプ大統領と会談、7月7日にはイスラエルでベンヤミン・ネタニヤフ首相と会っている。今回の襲撃事件が原因でインドとパキスタンとの戦争が引き起こされた場合、中国を巻き込む戦乱に発展、新疆ウイグルへ飛び火する可能性もあるだろう。

 昨年12月8日にHTS(ハヤト・タハリール・アル・シャム)やRCA(革命コマンド軍)がアル・カイダやダーイッシュの旗を掲げながらダマスカスを制圧、シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒した。HTSはトルコの傭兵、RCAはアメリカやイギリスの傭兵だと考えられている。アサド政権転覆の背後にはトルコ、アメリカ、イギリスが存在していると言えるだろう。そして誕生した新政権はアラウィー派やキリスト教徒教徒をはじめとする少数派を弾圧、殺害された少数派は1万人を越すと言われている。

 HTSはアル・カイダ系戦闘グループのアル・ヌスラ戦線を改名した組織で、アル・ヌスラはシリアで活動を始める前、AQI(イラクのアル・カイダ)」と呼ばれていた。この集団には、殺害の際に首を切り落とすことで知られている新疆ウイグルの人間も含まれていると伝えられている。RCAの背景も基本的に同じだ。反中国派がウイグル人戦闘員を中国へ戻す可能性もある。

 シリアではウクライナ人が反アサドのアル・カイダ系武装集団を支援していた。ドローン、アメリカの衛星ナビゲーション、電子戦システムを提供、シリア内の工作員やTIP(トルキスタン・イスラム党)の協力者にそれらの使い方を教えたというのだ。停戦の直前にイスラエルはシリアとレバノンとを繋ぐ通信網をほぼ破壊、HTSはウクライナから提供された電子戦システムによってシリア軍の通信を妨害する一方、GPSとAIが攻撃に利用された。

 なお、中国政府によると、TIPは新疆ウイグル自治区で破壊活動を続けてきた東トルキスタン・イスラム運動と実態は同じ。そうした軍事的な支援の代償としてHTSは兵士不足のウクライナへ戦闘員を派遣したとも言われている。

 ところで、​アル・カイダとはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだとイギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックは05年7月8日付けガーディアン紙で説明している​。その仕組みを作り上げたのがズビグネフ・ブレジンスキー。戦闘員はサウジアラビアの協力で集められたが、その中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団だった。

 ちなみに、クックは2005年8月6日、休暇先のスコットランドで散歩中に心臓発作で急死している。

 戦乱の拡大を反ロシア、反中国の勢力は願っている。その中にはネオコンやイギリスの支配層も含まれている。

 1947年にイギリスの植民地がインドとパキスタンなどに分かれて独立した時からカシミールをめぐる対立は生じていたが、その根はさらに深い。

 カシミールは18世紀から19世紀にかけてドゥッラーニー・アフガン帝国の一部だったが、その後マハラジャ・ランジート・シンのシク教徒帝国に占領される。

 シンは第1次アフガン戦争中にイギリスと同盟を結び、1839年のイギリス軍侵攻を支援するためにカシミール人を含む軍隊を派遣。シンの死と王位継承をめぐる内戦の後、イギリスはシク教徒帝国を攻撃、ビーアス川とラヴィ川の間の土地を併合し、ジャンムー・カシミール州をヒンズー教徒のグラブ・シンに売却、そしてイスラム教徒が住む場所にヒンズー教徒の支配者がいるという構図が出来上がった。ここでも戦乱の原因を作ったのはイギリスだということだ。

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「 カシミールの襲撃事件が引き金になり、インドとパキスタンが開戦の危機」(2025.05.01ML)
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