
【櫻井ジャーナル】2025.06.01XML: 第2次世界大戦で負けなかったナチズム信奉者がヨーロッパを跋扈している
国際政治フランスのエマニュエル・マクロン大統領、ドイツのフリードリヒ・メルツ首相、イギリスのキール・スターマー首相、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長、エストニアの首相から欧州連合外務安全保障政策上級代表(外相)になったカヤ・カラスなどはヨーロッパの利益を度外視、経済活動を麻痺させ、社会を破壊している。そして彼らが行なっているのは、ウクライナを犠牲にしてロシアとの戦争を継続すること。その実態を西側の有力メディアは隠してきたが、すでに隠しきれなくなり、各国の国民は不満を高めている。
ヨーロッパの反ロシア勢力の背後にはナチスの系譜が存在している。本ブログでは繰り返し書いてきたが、米英の金融機関はナチスに資金を供給していた。中でもアメリカのディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングがパイプ役として有名だが、イングランド銀行やBIS(国際決済銀行)もナチスを支援していたとされている。
ジョージ・H・W・ブッシュの父親、プレスコット・ブッシュは上院議員になる前、大手銀行の重役を務め、ウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しくしていた。ユニオン・バンキングはプレスコットとW・アベレル・ハリマンが1924年に共同で創設した銀行だ。1931年にプレスコットはブラウン・ブラザース・ハリマンの共同経営者になる。そして1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の大物たちはニューディールを掲げるフランクリン・ルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画、スメドリー・バトラー退役少将に阻止された。
ナチスに支配されたドイツは1941年6月22日に300万人以上の兵力でソ連に対する攻撃を開始する。「バルバロッサ作戦」だ。ウクライナとベラルーシを経由してロシアへ攻め込んだのだが、この時、西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人にすぎない。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーに退けられたという。
中央ヨーロッパにはナチスの協力者が存在していたが、そのひとつがウクライナのOUN-B。ステパン・バンデラを信奉する組織だが、1943年春にUPA(ウクライナ反乱軍)として活動を始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)
ドイツでポグロムが始まった翌年、1939年には少なからぬユダヤ人がポーランドからリトアニアへ逃げ込んだが、リトアニアでは約90%のユダヤ人が殺されたと言われている。リトアニアに武装SS(ナチ親衛隊)大隊は存在しなかったことになっているが、リトアニア領土防衛軍として存在、ユダヤ人、コミュニスト、反体制派を襲撃していたという。当時、リトアニアでは、ほぼ全国民がナチスに協力していたとされ、今でもナチスの高官だった人物が英雄視されている。またエストニアでは約7万人が志願兵としてSSに入隊、ラトビアではSSの部隊に合わせて8万7500人が参加いましたとされている。
1942年冬にドイツ軍は東部戦線でソ連軍に敗北、SSはアメリカとの単独講和への道を探りはじめた。実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアメリカの戦時情報機関OSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣している。そこからダレスはドイツ側との接触を繰り返した。
その後、ダレスたちは大統領に無断で話し合いを続け、1944年になるとOSSのフランク・ウィズナーを介し、ダレスたちはドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将と接触、アメリカ側はゲーレンを同志と見なすようになった。1945年初頭にダレスたちはハインリッヒ・ヒムラーの側近だったカール・ウルフに隠れ家を提供、北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。サンライズ作戦だ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)
ドイツは1945年5月に降伏するが、その直前、4月にルーズベルト大統領は急死、シオニストをスポンサーとするハリー・トルーマンが大統領に就任した。ゲーレンはアメリカ陸軍のCICに投降、ソ連関連の資料を手渡している。ゲーレンをの後ろ盾になったアメリカ第12軍G2(情報担当)部長だったエドウィン・サイバート准将は1946年、ドイツに新しい情報機関を創設する。いわゆる「ゲーレン機関」だ。
ドイツが降伏した直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連に対する奇襲攻撃を目論む。そして作成されたのがアンシンカブル作戦だが、この作戦を参謀本部は拒否、その直後にチャーチルは下野する。そのチャーチルは冷戦の開幕を宣言、アメリカの政府や議員にソ連を核攻撃するように求めている。
トルーマン政権の国務省はコミュニズムに反対する亡命者、つまりナチスの元幹部や元協力者の逃走を助け、保護し、雇い入れる「ブラッドストーン作戦」を1948年から秘密裏に始めている。この年に作成されたNSC20では、「結果として戦争を起こし、ソ連政府を打倒する」という方針が示されていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)
ゲーレン機関は1949年7月からCIAの監督下に入り、資金の提供を受けるようになるが、その一方で元ナチスとの関係は強まっていく。CIAに支援され、元ナチス将校に率いられた約2000名の若者グループを西ドイツの警察が発見したのは1952年のことだ。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)ゲーレン機関は1956年4月から西ドイツ政府の情報機関BND(連邦情報局)になった。
反ボルシェビキ戦線は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)へと発展、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。
イギリスの対外情報機関MI6は反ソ連勢力を拡大するため、1947年7月にインテルマリウムとABNを連合させ、9月にはプロメテウス同盟も合流させた。
APACLは1954年に韓国で創設されたが、その際に中心的な役割を果たしたのは台湾の蒋介石や韓国の李承晩。日本からは児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部を設置する際には岸信介が推進役になっている。同じ頃、「世界基督教統一神霊協会(統一教会)/後に世界平和統一家庭連合」も韓国で設立された。
それでも2003年にジョージ・W・ブッシュ政権がアメリカ主導軍でイラクを先制攻撃する当時のヨーロッパには自分たち意思があり、フランスのジャック・シラク大統領、ドイツのゲアハルト・シュレーダーらはアメリカやイギリスの侵略計画に反対していたが、現在のヨーロッパを動かしているリーダーたちにはそうした意思が存在しない。
第2次世界大戦でナチスは負けなかった。ナチスの黒幕が健在だからである。ウクライナでネオ・ナチが出現したのは必然であり、今後、ナチズムが広がっていく可能性がある。
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※なお、本稿は櫻井ジャーナルhttps://plaza.rakuten.co.jp/condor33/
「 6月20日の「櫻井ジャーナルトーク」のテーマは「 ロシア軍が進撃する中、メルツ独首相がミサイルの射程距離制限を撤廃すると発言 」(2025.05.31ML)
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