【連載】モハンティ三智江の第3の眼

紛争で印パの関係悪化、危ぶまれる来月のインド帰国(164)

モハンティ三智江

(インドへの一時帰国から日本に戻ってきましたので、タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2025年5月27日】5月7日、目覚めてつけたラジオのニュースから、インドがパキスタンと領有権をめぐる係争地、カシミール地方(インド側は2019年Janmu kashimir州の特別自治権を剥奪後、ラダックとジャンムー・カシミールの2連邦直轄領に分割)のインド・パキスタン分割支配地域のパキスタン側を空爆したとの速報が飛び込んできた。

わが息子はインドで人気のラップミュージシャン「Rapper Big Deal(ラッパービッグディール)」で、西インドの商都ムンバイ(Mumbai)にベースを持つ。緊急時には、ワイフのベースであるアラブ首長国連邦のドバイ(Dubai)に逃げよと、アドバイスしてある。

実は5月6日時点でコルカタ日本総領事館から次のようなお知らせが届いていた。
「インド全土における民間防衛訓練の実施に係る注意喚起」
【ポイント】
1.報道によると、明日5月7日、インド全土において民間防衛訓練が実施される予定です。
2.訓練の際には、「サイレン(警報)が鳴る」「停電する」等の可能性がありますが、インド滞在中の皆様が訓練に参加する必要はありません。また、サイレンが鳴っても、落ち着いて普段どおり行動してください。
【本文】
インド政府は国内各州に対し、緊急時への備えを強化するための民間防衛模擬訓練を実施するよう指示したと報道されています。
(目的及び訓練内容)
1.空襲警報システムの有効性評価
2.インド空軍とのホットライン/無線の運用化
3.指揮所の機能性テスト
4.民間人・学生等が敵の攻撃が発生した際に自らの身を守るための民間防衛に関する訓練
5.灯火管制若しくは攻撃され停電した際の計画
6.重要施設の早期カモフラージュ対策
7.刑務所、消防・レスキュー・物資供給拠点を含む民間防衛組織の動員及び対応の検証
8.灯火管制もしくは攻撃され、停電した際の対応検証
9.避難計画及びその実行に関する準備態勢の評価

ちなみに、私がインドに滞在した過去35年でこのような民間防衛訓練は1度も行われたことはない。で、4月22日のジャンムー・カシミール準州パハルガム(Pahalgam)での観光客を含む26人の銃撃テロ(パキスタン政府が画策)の報復攻撃は喫緊だと悟ったが、まさか翌日目覚めて攻撃のニュースを聞くとは。速攻にびっくりした。

早速、息子に警告したが、のんびり夫婦でインドネシアを旅行中だけに、LINEがいっこうに既読にならずに気を揉んでいる。

まぁ、今すぐどうこうということはないだろうが、インド・パキスタンとも核保有国なので、エスカレートすれば、怖い。過去にも1度インド・パキスタン核戦争一触即発の危機があったが(2002年、2003年ころ)、あのときは北東部ダージリン(Darjeeling)の寄宿舎に送っていた息子を引き上げて、ネパールに逃げようと思っていた。当事者としては戦々恐々だったか、かろうじて難を免れ、ほっとしたものだ。

現在、アメリカはじめ、国連も緊張緩和に動き出しているし、大事に至らず、紛争がカシミール州内にとどまり、他地域に波及しないことを祈るのみだ。

インドのナレンドラ・モディ首相(Narendra Damodardas Modi、1950年9月17日生まれ、インド人民党=BJP所属、2014年から現在まで3期連続で首相)は、2019年の総選挙前にもテロ報復でパキスタン国内を攻撃(48年ぶりの武力行使)、その甲斐あって選挙に圧勝したが、「インドのヒトラー」との異名もあり、アンチムスリムに徹するタカ派。任期中2度の廃貨で市場を大混乱に陥れたことといい、何をしでかすかわからない怖さがある(画像はウイキペディアより)。

実は6月下旬インドに行く予定にしていたのだ。が、まもなく領事官から渡航制限勧告が出るだろうし、今現在、インド発東京便は飛んでないらしい。しばらくは状況静観で、帰れるかどうかも甚だ危ぶまれる事態になってきた。

ネットで日本終末論(7月5日の首都圏の巨大津波)が飛び交っているので、インドに逃れようと思っていたのだが、前門の狼、後門の虎、とはこのことか。地球上どこに逃げても、もう安全なところなどないのかもしれない。

最後に、5月7日に届いた領事館からのお知らせを載せておく。これを読めば、現地の大体の状況はわかるはずだ。
「インド軍によるパキスタンへの軍事攻撃に伴う注意喚起(その2)
【ポイント】
1.5月7日午前、インド外務省は軍とともに、本日未明のパキスタンに対する軍事攻撃に関するブリーフィングを実施し、攻撃に至った背景、攻撃内容につき説明しました。
2.北部インドの12空港(下記)は、5月10日(土)5時29分(インド時間)まで閉鎖されます。
3.邦人の皆様においては、引き続き不要不急の外出を避け、情報を注視するようお願いします。
4.6日付の領事メールでお知らせした民間防衛訓練が、本日16時から19時まで実施される旨の報道が出ています。
【本文】
1.5月7日午前、インド外務省はインド軍とともに、本日未明のパキスタンに対する軍事攻撃に関するブリーフィングを実施したところ、そのポイントは以下のとおりです。
(1)パハルガムにおけるテロ事件の背景(犯人の動機(カシミール平常化の妨害)、犯行組織の詳細、犠牲者のほとんどが家族の目の前で頭を撃たれた点等)に触れ、事件後にパキスタンから適切な対応が取られなかったため、軍事攻撃に踏み切ったと発言。
(2)7日1時5分から1時30分まで、インド軍はパキスタン及びパキスタン側がカシミールに所在する9つのテロ関連施設を攻撃。これらの施設はテロリストの訓練施設・出撃拠点であり、インド・パキスタン国際国境及び管理ライン(LOC)に近接する場所に位置する。
(3)陸軍及び空軍から、攻撃目標となった9つのテロ関連施設の詳細(どの組織の拠点でどのテロ事件の犯人が訓練されていたか等)を画像と共に説明し、攻撃は特定のテロリスト関連施設を狙ったもの、パキスタン軍の施設を攻撃していない、民間人の被害は確認されていないと発言。
(4)インドは、パキスタンが誤った行動をとれば、断固対応する、また、情勢は引き続き展開中につき、改めてブリーフィングの機会を設けると述べた。

2.現時点での航空便、空港、鉄道の状況は、現時点では次のとおりですが、御自身でも最新情報の入手に努めてください。

シャバーズ・シャリフ・パキスタン首相(Mian Muhammad Shehbaz Sharif、1951年8月23日生まれ)。シャリフ首相の兄は、過去3度首相を務めたナワーズ・シャリフ(1949年生まれ)。インド・パキスタンの犬猿の仲は、1947年の分離独立に遡る(画像はウイキペディアより)。

(1)インド発東京行の航空便
デリー(delhi)、ムンバイ(Mumbai)、ベンガルール(Bengaluru)からの直行便は、通常通りの運航予定となっています。具体的な運航情報については、航空会社のホームページをご確認ください。
(2)インド国内線
北部インドの下記12空港は、5月10日(土)5時29分(インド時間)まで閉鎖されますので、ご注意ください。空港名は略。
(3)鉄道
通常どおりの運行が予定されています。

3.民間防衛訓練
6日付けの領事メールでお知らせした民間防衛訓練が、7日の16時から19時まで実施される旨の報道があります。「サイレン(警報)が鳴る」「停電する」等する可能性がありますが、落ち着いて行動してください。

※追記。上記は5月7日に書かれたものだが、その後、事態は進展し、10日にトランプ・アメリカ大統領の仲介により、停戦合意が成立した。が、以後も互いが違反を主張し、カシミール係争地で交戦が続き、予断を許さない状況だ。12日に軍高官同士の電話協議も行われたようだが、沈静化するまで今少し時間を要しそうだ(息子はドバイに避難中)。

なお、アメリカ介入に謝意を表したパキスタンに比して、インドはあくまで当事者の問題、両国が直接解決すべきと、第3者の介入を拒否している。
(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)

編集注:ウイキペディアによると、インド・パキスタン戦争は第1次(1947年)、第2次(1965年)、第3次(1971年)とこれまでに3度の戦争が行われている。第1次と第2次はカシミール紛争の過程で、第3次はバングラデシュ(元東パキスタン)の独立に際して勃発した。それ以降でも、1999年、2025年に両国が衝突している。

1947年に英国から分離独立した両インドとパキスタンは当初から対立を続けていたが、1948年に北西部のカシミール地方領有をめぐって武力衝突に発展。しかし、国連の仲介によって停戦し、そのときの停戦ラインによってカシミールは分割された。

1965年に再びカシミール地方の領有をめぐって、インド西部国境地帯を中心に武力衝突に発展、1966年には国連の仲裁で停戦した。

ベンガル地方のムスリムによって構成された東パキスタンは、政治実権を全て西パキスタン(現在のパキスタン)に握られており、植民地の様相を呈していた。また1970年のサイクロンによって東パキスタン国土の殆どが水没、西パキスタンに位置していた中央政府の怠慢に市民は憤った。

そこで西パキスタンからの独立運動が広がったが、その独立を阻止するべく、パキスタン軍が制圧を開始した。すると東パキスタンから多くの難民が発生し、インドに流れ込んだ。しかし、当時の貧しいインドに大量の難民を抱えるだけの力はなく、インドは東パキスタン独立のため介入し、1971年に3度目の対パキスタン全面戦争となった。インドは圧倒的な人員で戦争を有利に進め、主戦線から遠いパキスタンは敗北した。東パキスタンは1971年12月、バングラデシュとして独立し、1972年7月には(西)パキスタンもそれを承認した。

1999年に、カシミールのカールギル地区でパキスタン軍およびカシミールの反インド政府活動家が管理ライン(停戦ライン)を超えてインド軍の駐屯地を占領し、両軍が衝突した「カールギル紛争」が発生した。インドは空と地上から攻撃を行い、パキスタン側を排除した。

2025年4月22日にインドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方のうち、インド政府が直轄地とするジャム・カシミールで、武装勢力が少なくとも26人の観光客を射殺した。現地警察はインド統治に抵抗する武装勢力によるものと断定した。インド政府はパキスタン政府の関与を主張し、対抗措置を相次いで打ち出したほか、報復攻撃も辞さない姿勢を示している。

2025年5月7日早朝、インド空軍がパキスタンの武装勢力基地9カ所をミサイルにて攻撃。これに対してパキスタン政府は断固反抗する姿勢を取っている。

 

本記事は「銀座新聞ニュース」掲載されたモハンティ三智江さん記事の転載になります。

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モハンティ三智江 モハンティ三智江

作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。

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