【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(93):「安楽死」をめぐる世界情勢(上)

塩原俊彦

 

2025年5月27日付の「ル・モンド」は、フランスの国民議会が二つの法案を採決したと報じた。一つは緩和ケアに関するもので、全会一致で採択され、もう一つは不治の病に冒された成人に死への幇助の権利を認めるものであった。こちらは、国会の全政党が議員に自由投票を認めた結果、賛成305票、反対199票だった。法案は今後、さらなる審議のため上院に送られ、今年中に上院がこの問題の検討を開始する。2026年初頭に国民議会に修正案を提出し、その法案を2027年までに国民議会が最終的に採決し、成立する見通しだ。フランスは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、スペイン、ポルトガルの隣人がもっているのと同じ権利をもつことになりそうだ。

この問題は、直接に地政学・地経学とは結びつくわけではない。ただ、死生観の違いは空間支配にかかわっているから、無関心ではいられない。そこで、今回はフランス下院での動きをきっかけに、この問題について考えてみよう。

安楽死・尊厳死の問題

トマス・モアは、その著書『ユートピア』のなかで、いまでいう「安楽死」が望ましいかのように、つぎのように書いている(注1)。

「しかし、苦しみのような長引く痛みに襲われ、回復も安楽も望めなくなると、司祭や奉行がやってきて、生活の仕事を続けることができなくなり、自分自身にも周囲の人々にも重荷となり、本当に自分自身を使い果たしてしまったのだから、もはやこのような根の深い病気を養うべきではなく、むしろ、多くの惨めさの中でしか生きられないのだから、死を選ぶべきだと諭す。こうして自らを拷問から解放し、あるいは他人がそうすることを望むなら、死後も幸福になれると確信している。このように行動することによって、快楽を失うことはなく、人生の悩みを失うだけなので、合理的であるだけでなく、宗教と信心に合致した方法で行動していると考えるのである。なぜなら彼らは、神の意志を説く者である司祭たちの助言に従うからである。こうした説得に動かされた者は、自ら進んで餓死するか、アヘンを服用して苦痛を伴わずに死ぬ。」

この問題は、ミシェル・ド・モンテーニュ、フランシス・ベーコン、ロバート・バートン(『憂鬱の解剖学』の著者)、ジョン・ダン(詩人)などに引き継がれる。やがて、西洋では、安楽死の用語として、euthanasiaが定着するようになる。もともと、ギリシャ語の「良い死」、「安らかな死」を意味していた。

ここでは、佐瀬恵子著「安楽死と自己決定権」『創価大学大学院紀要』および冲永隆子著「「安楽死」問題にみられる日本人の死生観-自己決定権をめぐる一考察-」『帝京大学短期大学紀要』を参考にしながら、安楽死・尊厳死にかかわる基礎知識を確認しておきたい。

まず、刑法上の「安楽死」には、(1)純粋安楽死(肉体的苦痛の緩和を目的とするが、生命の短縮を伴わない場合を指す。たとえば、肉体的苦痛の緩和のために、生命短縮を伴わない麻酔薬を投与する場合)、(2)間接的安楽死(肉体的苦痛の緩和を目的とした処置を行うことによって、直接的に意図していない副次的結果として生命短縮がもたらされる場合を指す)、(3)消極的安楽死(死苦を長引かせないため、積極的な生命延長措置をとらないことによって死期が早まる場合を指す。つまり、持続的な植物状態の患者に対して、死苦をいたずらに長引かせない目的から、積極的な延命治療を行わずに死期を早めさせる場合など)、(4)積極的安楽死(肉体的苦痛を除去する目的で、作為による直接的な生命の短縮が行われる場合を指す。つまり、生命を積極的に絶つことによって、死苦を終わらせる場合)――という4種類がある。

なお、尊厳死は一般的に、回復の見込みのない末期状態の患者に対して、生命維持治療を中止し、人間としての尊厳を保たせながら死を迎えさせる場合を指すと解されている。

米国の事例

とくに、議論となっているのは、積極的安楽死についてである。ただし、それ以前には、消極的安楽死が問題となり、その後、積極的安楽死の議論にまで広がったにすぎない。米国では、消極的安楽死の段階にとどまっているようにみえる。具体的には、佐瀬論文によると、2017年の時点で、米国の州において、尊厳死および自然死が許容されており、現在のアメリカの安楽死及び尊厳死をめぐる議論は、医師による自殺幇助をはじめとする、自発的安楽死に対する法制化についての問題を中心に行われているという。ただし、この時点では、「オレゴン州尊厳死法」のみが成立していた。

オレゴン州尊厳死法案は、1994年11月にオレゴン州選挙民による住民投票が行われ、投票数の52%の賛成をえて法制化が進められることとなった。しかし、法案は違憲の疑いがあるとの理由から、反対派によって法制化手続きの差止めを求める裁判が行われた。その結果、連邦地方裁判所から法制化手続執行の暫定的差止命令が出され、さらに1995年 8月には「法案は違憲である」という理由で、法制化手続執行の本案的差止命令の判決が下された。しかし、その後、連邦控訴裁判所において争われた結果、1997年2月、逆転判決が下され、連邦地方裁判所に対して、法制化手続差止命令の撤回が指示された。連邦控訴裁判所の判決は、連邦最高裁判所においても支持されることとなり、法案に対する違憲差止め命令が撤回され、オレゴン州尊厳死法は成立に至った。なお、最終的に致死的薬剤を服用するのは患者であって、医師が患者に対して直接致死薬を投与する積極的安楽死は禁じられている。

他方で、医師による患者の自殺幇助をはじめとする自発的安楽死までも許容することは困難な現状にある。実際、アメリカで唯一医師による自殺幇助を許容しているオレゴン州尊厳死法に対して批判は多く、さらに、現在に至っても、オレゴン州尊厳死法を無効にするための運動が行われているという。

オランダの事例

オランダでは、2000年11月に「要請に基づく生命の終焉と自殺幇助の審査手続き、および刑法と遺体埋葬法改正」案が提出され、2001年4月に世界で初めての安楽死を許容する法律が成立した。さまざまな具体的条件をクリアすれば、担当医は安楽死を行うことが可能となった。

オランダの前記改正の特徴点は、第一に、「病が末期段階である必要がない」ということ、第二に「肉体的苦痛だけでなく、精神的苦痛が耐えがたく回復の見込みがないことも基準としてあげられている」ということ、第三に、オランダの成人は18歳以上であるが、「12歳から18歳未満の未成年者に対する安楽死も、条件つきで認められている」ということである。

世界で初めて安楽死容認法を制定したオランダに続いて、2002年、ベルギーが世界第二番目として安楽死許容法を制定した。ベルギーにおける安楽死容認法はオランダにおける安楽死容認法をモデルとして制定されている。

ベルギーの安楽死容認法において、安楽死は、法的成人年齢である18歳以上の患者が、自発的に数回に及んで行った医師への特殊な要望によって、患者の担当医が目的的にその患者の生命を終焉させる行為であるとされている。また、安楽死を要請することが許される患者は、医学的に回復の見込みがない状態であり、肉体的にあるいは精神的に絶え間ない苦痛がなければならないということ、さらに、患者が貧困に窮していたり、孤独であったりといった場合においては、貧困や孤独を理由に安楽死を求めないように、国家は、そのような患者に対して鎮痛剤による治療を受け続けられるように、費用を負担しなければならないと定められている。オランダの安楽死容認法と同様に、患者の病状が終末期であることを厳格に要件としておらず、安楽死を要望する患者が末期状態でない場合は、その患者の担当医に対して、精神科医あるいは患者の疾患のスペシャリストに再度患者を診てもらうことが義務づけられている。また、ベルギー安楽死容認法は、患者が安楽死の実施を思いなおす可能性があることを考慮して、患者から文書による安楽死の要請を受けた時点から安楽死を行うまでに、少なくとも1カ月間が経過していなければならないということが規定されている。

その後、オランダやベルギーのような安楽死容認に舵を切った国が少しずつ増加した。現状について示しているのが下図である。

安楽死が合法化された国(緑)と不法な国(赤)
(出所)https://worldpopulationreview.com/country-rankings/where-is-euthanasia-legal

積極的安楽死をめぐって

積極的安楽死の議論は、いわば自殺論に深くかかわっている。そうであるならば、エミール・デュルケーム(1858~1917年)を取り上げないわけにはゆかない。『自殺論』(1897年)を書いているからだ。なお、彼は「犯罪は社会にとって必要悪である」という立場にあり、私の「罪と罰」に関する考察において、刺激を与えてくれている人物である。

ここでは、大澤真幸著『社会学史』を参考にすると、デュルケームは、自殺を社会学的に説明する作業に取り組み、①自己本位的自殺、②集団本位的自殺(近代以前にみられた殉死のような集団死)、③アノミー的自殺――という三つの類型に区分した。ただし、人間に対する拘束力が低下して社会の解体傾向が生じているアノミー状態における自殺と、自己本位的自殺を明瞭に区別することはできないと、大澤は指摘している。

いずれにしても、ここで大切なのは、デュルケームが自殺を「社会的事実」(個人に対して、外部から強制力をもって束縛する集合的な現象)から説明しようとしている点だ。わかりやすくいえば、あるカトリックの集団をみると、ほぼ毎年同じレベルで自殺者がでる。そこには、集合的な規範・思考・法則のようなものが働いている。大澤の言葉で言えば、「カトリックであるがゆえに集団がもっている凝集力とか、プロテスタントであるがゆえに集団がもっている(弱い)ソリダリティ(連帯性)とか、そういうものが本人が意識していなくても、自殺を踏みとどまるか、あるいは自殺してしまうかというところに作用している」ということだ(236頁)。

こう考えると、自己本位的自殺の背後にある自己決定権をめぐる社会的事実に注目する必要性を痛感する。

「知られざる地政学」連載(93):「安楽死」をめぐる世界情勢(下)に続く

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。『帝国主義アメリカの野望』によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞(ほかにも、『ウクライナ3.0』などの一連の作品が高く評価されている)。 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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